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Blauer Himmel

わたしの毎週の癒しが、ついに終わってしまった。
さみしくなるなあ。

初回放送から、欠かさず毎週見ていた。こんなに熱心になるのは、かなり珍しいほう。それほどに、わたしの心には、深く深く、入り込む作品だった。

ドラマティックな展開、刺激的なストーリー、気を衒った演出、それらを駆使してどうにか聴衆を飽きさせまいとする令和の──もちろん、それだけではないが、そんな「タイパ」なものづくり時代に一石を投じた、ように思う。

けれども、普段そんな世界で生きているからこそ、金曜日の夜になると、日々の喧騒からすこし離れて得られる癒しがあった。森の中の小屋で眠るようなひとときが存在していた。
日々、忙しない人々にこそ刺さった作品ではないだろうか。

なんてったって、主人公は1000年以上も生きるエルフ。
人間の寿命なぞ、取るに足らない時間なのだ。


そんな作品だから、ほんとうに令和のアニメかと疑いたくなるほど、ゆったりとした空気が流れている。30秒前、30秒後の景色はあまり変わらない。ファンタジーには変わりないが、基本的に描かれるのは、ひと続きの牧歌的な日常風景。

(コマごとの状況を把握しないと置いていかれる、アトラクションのような作品も嫌いではない)


──飽きてしまわないのが、不思議。

それは、この作品が限りなく普遍的であるから、そしてその普遍さを、これでもか、というほどに丁寧に丁寧に描いているからだと思う。

わたしの好きな台詞を、作品からすこし借りてくるとする。

「心の支えが必要なのは子供だけじゃない。悪い気分ではないだろう?」

ヒンメルの言葉

風邪をひいたフリーレンの手を握りながら、ヒンメルが言った台詞。
このときのことを思い出したフリーレンは、風邪をひいたフェルンの手を握ってあげた。

弱っているときは、だれだって素直に甘えていい。
けれど、それが大人になると意外と難しかったりする。そんなわたしたちに向けられたこの台詞、とてもあたたかい。

フリーレン。
あなたには褒めてくれる人はいますか?
あなたは女神様を信じていないようなので。
身の上を話して頂ければ代わりに私が褒めますよ。

ハイターの言葉

作中の大きなテーマの1つが「褒めること」。

ハイターは「女神様」を信仰する聖職者で、死後、みずからの人生を「女神様」に褒めてもらえるのだ、そのために生きるのだと言う。

人間にとって、1000歳を超えるフリーレンの人生はまるで宇宙。圧倒的な魔法使いとなるまでの、血のにじむような努力なんて、誰も知らない。

知らない、想像もつかない、けれど、だからこそ私が褒めてあげよう。褒めてもらうことは、大切なことだから。

そんな考えに、至るだろうか。

ハイターが「褒めてくれた」ことは、フリーレンのなかで大きなきっかけになった。後に、フリーレンが彼の元を訪れたときには、晩年のハイターのことを褒めてあげたのだった。

そして、ヒンメルやハイター亡き後、新しい旅の仲間たち(フェルン、シュタルク、ザイン……)に対しても、フリーレンはたくさん褒めてあげるようになった。

フリーレンには人間のこころが分からない。限られた寿命があるからこそ突き動かされるもの、を理解できない。

けれど、ヒンメルを失ってはじめて気付いた、「なぜ知ろうとしなかったんだろう」という後悔が、「人を知りたい」へ彼女を突き動かした。

ヒンメルや、ハイター、人間たちの言葉を振り返り、旅の中で「あれはそういう意味だったのか」と、1つ1つ気付いていく。

してもらったことの意味を、時をさかのぼって理解していき、自分も出会った相手に返してゆく。
そんな不器用なすがたに、共感せずにはいられない。

そして、フリーレンの背中には、もうこの世界にはいない、ヒンメル。

もういないけれど、ヒンメルの存在が人々に与えた影響が、少しずつ世界に働いて、何十年も過ぎたいま、変わらず旅をつづけるフリーレンのもとにまた帰ってくる。

勇者ヒンメルはどこにでもいる。

世界を旅する中で、ヒンメルのかけらを見つけるたびにすこし嬉しそうなフリーレンを見ると、胸が痛くて仕方がない。

さて、2クール連続放送の最終話がいよいよ幕を閉じた。
最後のこの台詞を胸に、まだわたしは泣かないことにする。

また会ったときに恥ずかしいからね。

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