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小声の日記(04/15〜04/21)要約から逃げる

04/15
世武さんのnoteがよかった。これは04/08の自分へのアンサーだと思った。おい04/08の自分よ、これを読みたまえ。きみにはそんなことに割いている時間はないのだよ。

でも、ここからは私のエゴになるが、仮におじさんを追跡し、修理代を10万円もらえたとしよう。 そのおじさんとコミュニケーションを図る時間はたったの一秒でも私にとっては損失であり、10万円では全く元が取れない。逆に言えば、おじさんと関わらない時間は一秒でも多く確保されるべき優先事項なのだ。 だから、何故警察に言わないの?とか、防犯カメラをチェックしてもらえないものなのか?と色々な人から言われるのだが、それでは相手に価値を与えてしまうことになる。私にとって(もちろんお金も必要で大切だが)時間ほど価値のあるものはない。

世武日記(「時間」の価値(4/14)) | 世武裕子

ふと自分の日記を読み返して、要約から抜け出せていない自分がいるな、と思った。悲しいとか嬉しいとか、「どう」悲しいのか、っていうところが抜けている。日記なんだから、とりとめもなく書いていけばいいのに、遠回りすればいいのに、なんでなんだろう。適切な表現がなかったときに、すぐに諦めているのかもしれない。底抜けに悲しかったとしても、悲しいと書いてしまえば、まあ書きたかったことの半分は書けているようなものだから、そこに落ち着いてしまうのか。

04/16
診察の日。エリアの一番奥にある、一番大きな診察室で受けることがわかり、ここは手術することを決めた日に行った、お偉い方々がいた部屋だった。たかだかこんな背中の痛みだけでは来ない方がよかったのかもしれない、と少し後悔する。医師に自分の症状を伝えるのが昔から苦手なので、毎回緊張する。

眠気に襲われながら待っていると先生に呼ばれ、症状を伝える。血液検査も異常がなく、今のところ原因がわからないので、6月のCTで確認しましょう、それまでにひどくなるようであれば気にせず来てください、とのことだった。話している最中「うーん、わからないな!ははは、すいませんね。」と正直に、かつ自然体にそう話してくれて、この人が執刀医でよかったな、と思った。肩肘を張らないその態度によって、こちらも安心するし、信頼できる。

04/17
黙々と、粛々と仕事。悪意があるのかないのかわからないが、そんなこと言わなくても!と思う文章ばかり目に入る。傷つくのは自己都合か。今日から金曜日まではちょっと負荷がかかると思うので、いい具合にリセットしたい。

在庫販売分の豆を注文いただいたので、終業後発送準備をする。手紙に近況を書こうと思って何も考えずに書いたら、なんだかよくわからない内容になってしまった気がする。なんかすいません。

利他・ケア・傷の倫理学を読み終えた。ぼやっとしていた利他というものが、ようやく少し輪郭が見えたか、という感じだった。利他は一つの言語ゲームから見た時に愚行でなければいけない。なぜなら利他とはその言語ゲームでは正しいとされないことを行ない、言語ゲーム自体を書き換える行為そのものだから、ということだろうか。次の本を買うまでもう一周したい。
気になっている本の系統といい、最近の自分の意識といい、要約するな、というのが最近のテーマのように思える。遠回りをする。時間をかけて向き合う、焦らない。誰にも急かされてなどいない。

04/18
在庫販売分の発送準備続き。前もって選別をしていたので作業が楽で大変よかった。しゃっと梱包ができてご満悦。
作業中、spotifyのプレイリストから日食なつこ「vapor」が流れてきてグッときた。やさしい離別の歌なのかな。

昼休憩の合間で先日処方された薬を受け取りに行く。ロキソニン99錠、みたいな処方のされ方をしたので、薬剤師さんに「今日はどうされたんですか…?」とすごく心配された。 行き帰り、ねこに出会える確率の高い、通称ねこロード(勝手に名付けた)を歩いたが、出会えず。

04/19
昨日の夕方に1件、今朝2件とそこそこの問題が立て続けに発生していて、対応に踊らされていた。午前中にエネルギーを使ってしまったのか、夕食以降もぬけの殻みたいな感じだった。考えることができない状態になっていた。
風呂から上がってようやく少し回復し、ドリップバッグの相談を妻にしたところ、最適解に至ったのだった。やっぱり自分一人で考えるには限界がある。よっ、相談役。

4/20
お買い得商品を求めてスーパーを3件ハシゴする。イズミヤではきのこと牛乳が安く、イオンでは食パンが安い。サンディは質の良い豚肉がいつも安いので買っておきたい。欲しいものはすべて手に入ったので良かった。

道すがら、書店も2件ハシゴする。ちくまQブックス「苦手から始める作文教室」を探していたのだけど見つからず。前見たときあったんだけどな、誰か買ったかな。 他にも「死ぬまで生きる日記」や「小さな声の向こうに」や「センスの哲学」等々、気になっていた本も置いてあり買おうか迷ったが、いやいや今の自分に必要なのはきっと苦手から始める作文教室だ、と思い、堪えた。

ふと気付いたが、ネットで本を買うことをしなくなったな、と思った。どこを探してもないようなものは最終手段として、街の書店のオンラインショップとかで買うことは稀にあるのだけど、Amazonや楽天みたいなところでは一切買わなくなった。できるだけ書店に行って、実物を手に取ってから買うようになっている。何が変わったんだろう。パラパラと書かれている言葉を見てから決めているような気もする。立ち読みの重要性を感じる。

04/21
妻が友人の出産祝いを買いに行きたいとのことだったので、朝から一緒に近所のショッピングモールに赴く。友人があらればっかり食べているとのことであられを探していたのだけど、良さげなものには「おかき」と書いてあり、これはあられとしてカウントして良いのかどうか、というところで悩んでいた。

店のこと。「いいもの」と称したものを売ることを決めて、きちんと売り切りたいという想いから本を1品だけ取り扱ってきた。けれど、珈琲に選択肢があって「いいもの」に選択肢がないのもどうかと思い始めている。売り切りたいという想いがあるのは本当だが、在庫を抱えてしまうことにたいするおそれもあって増やせない気持ちもある。でも、そこを乗り越えないと、なんかもっと先には行けないような気がしてきている。届けたいものが他にもある。そろそろいいのではないか。


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