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「時間」の価値(4/14)

なんでだか、毎日22時を過ぎたくらいからアレコレと仕事の連絡が入ったり作業が求められて忙しくなる。今日も全ての仕事が終わったのが2時10分。日中のんびりと優雅に使った時間は一体なんだったのだろうか。
"効率良く合理的に"というのは自己中心的な発想のひとつでもあると思うが、もう少し効率良くならんものかと考えてしまう。

まさにそんな「時間」について。坂本龍一さんと高谷史郎さんの作品「TIME」を新国立劇場に観に行った。
個人的にはアンビエント京都で観た展示の表現の方が響くものが大きかったが、極力余計なものを削ってゆく音の探求はとても居心地が良い。きちんと探して置かれたものだと、目を閉じて聴いていても眠くなったりしないものだから面白い。

この前、SAで隣に駐車していたおじさんとのいざこざがあった。日記にも書き記していたと思うが、そのおじさんは私が故意におじさんの車にドアを当てたと言い掛かりをつけて、勝手にヒートアップしていた(勿論、おじさんの車には全く何の傷もついていない)。
トイレを済まして車に戻ると、おじさんはすでにいなくなっていたが、代わりに私の車のドアのぶ周辺に幾つも引っ掻き傷が残っていた(おそらく鍵などを使ってつけた傷)。おじさんが引っ掻き傷に化けた可能性もゼロとは言えないが、十中八九、鋭利なもので引っ掻いたのかなと思う。

もちろん腹立たしさもあるにはあるが、どらちかというと最初はおじさんの不幸に心が痛くなってしまった。
こんなことをするような人は、一体どれほどの不幸に見舞われているのかと思うとやるせなかった。
やはり今の社会が人を不幸にしている、とも思った。
政治の腐敗や経済の落ち込みは、国民と表裏一体だからだ。

ああいう人は絶対に他でも同じようなことをしているし、私がガタイの良い強面の男性だったなら同じ事をしてきただろうか?とも思うので、その意味では徹底的に向き合うことも大切かもしれない。

でも、ここからは私のエゴになるが、仮におじさんを追跡し、修理代を10万円もらえたとしよう。
そのおじさんとコミュニケーションを図る時間はたったの一秒でも私にとっては損失であり、10万円では全く元が取れない。逆に言えば、おじさんと関わらない時間は一秒でも多く確保されるべき優先事項なのだ。

だから、何故警察に言わないの?とか、防犯カメラをチェックしてもらえないものなのか?と色々な人から言われるのだが、それでは相手に価値を与えてしまうことになる。私にとって(もちろんお金も必要で大切だが)時間ほど価値のあるものはない。

「時間」というのは語り甲斐のあるテーマであり、とても難しい問題だと思う。
「価値を与える、与えない」というテーマにしたって、人は間違える生き物だから更生のチャンスが与えられるべきと思っている一方で、とても厳しく突き放す自分もいる。

こんな込み入った議題を、眠さから頭痛を引き起こしている深夜に書くものではないので、また改めて書きたいなぁと思う。

ほら、睡眠だって時間。時間でしか解決しないもののひとつだ。

最近、朝8時にはお隣さんが洗濯機を回し始め、子供達は走り回るわ、引き戸は遠慮のない音を立てるわで寝不足気味だ。

管理会社の方に相談したところ、「日の出が5時9分であることを考えると、7時以降は明るくなり、つまり"早朝"と呼ばれるものは終わっていると思いますが、それでも8時を過ぎて生活音の配慮が必要だとお考えでしょうか?」と、マウンティング大好き臭を漂わせすぎている屁理屈のメールが戻ってきた。

原始時代のような超自然的感覚を生きているのか、世の中は全員会社勤めの会社員で、全ての常識はそこにだけ基づいていると考えているのか分からなかったが、

「集合住宅ですので色んな生活リズム、家族構成の方がいらっしゃいます。お子さんがなるべく我慢しなくて済むようにと、私にできる工夫もしています。お互い譲れる範囲を探る努力や対話が大切なのかと思いますが如何ですか。」と返事を出した。

そもそも、生活音の配慮が全く問われない集合住宅はないと思っている。自分の思い通りにだけしたければ、広大な土地を購入し、一軒家を建てれば良い。
朝8時だと外はもう明るいので、洗濯機をガンガン回して良くて、子供たちは大騒ぎしても問題がないのだろうか?
20時になったら小さい子であれば寝ていることもあるかなと生活音に気をつけているが、私は同じように屁理屈で
「日本人の平均入眠時間は23時12分と発表されていますが、準備を考えても22時半まで私は生活音に配慮すべきなのでしょうか?」
と返すかといえば、返さない。

それは、配慮はすべきであるし、集合住宅に生きる選択をしているからに他ならない。

管理会社の人間が、そんな考え方で何を管理しているというのか理解に苦しむが、誰も指摘する人はいないのだろうか。
おそらくそういう人には何を言っても刺さらないと思うが、話し続けることが大切だと思う。
生きていたらどこで「ああ、あの時にああ言われた事ってこういう事だったのか...!」などと雲を抜けるチャンスが到来するかもしれない。未来への投資として、種は常に蒔いておきたいなと思う次第である。

さあ、寝ます!
明日も朝から叩き起こされてしまう予感がする...

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