こんなはずじゃなかった自分との戦い
社会人4年目、今年の春で5年目を迎える目前に、私は2社目を退職することになった。
「退職することになった」というのは自分の中で腹落ちしていないから。
初めての転職時は自分の中でありたい姿があり、円満退社で「次はもっと頑張ろう!!」とポジティブな退職だった。未経験ながら異業種への転職は、挑戦でもあったし、何よりドキドキワクワクが止まらなかった。
だからこそ、今回の退職は自分のことじゃないように思えてしまう。復職したい気持ちはあったし、人事の方から休職期間は最大3ヶ月と言われていたので、何としてでも3月末(今年の1月から休職)に復職する気持ちでしかいなかったから。けれど、退職は自分のことだから退職に向けた手続きが始まっている。
今こうして考えていると、無理して3ヶ月以内に元気になろうとしていたな、と思う。
うつって怪我とは違うから「1ヶ月くらいで治るね」といったものではないのが難しい。主治医に言われるわけでもないし、ましてや自分でもわからない。3ヶ月で治るかわからないものを、3ヶ月以内に結論を出さないといけないってかなりプレッシャーだった。その後、想定外の出来事が私を苦しめた。
身体が「YES」と動かなかった。
3月上旬の時点では、「あのクライアントともっとこう関わりたい、提案していきたい!」とメキメキやる気が出てきていた。
ただ、3月の2週目に行った部長面談時に
「まだ主治医からの診断書は出ていないのですが、復職する気持ちでいます」
と伝えた後、部長が人事へ復職に向けて話を進めてくれていた。(私が復職するかどうかで、3月とのこともありチーム編成や部として予算の振り分けに大きく関わるため、現状の気持ちだけでも聞きたいと言われていた)
面談後、部長から至急で電話が来て告げられたことは私にとって想定外の出来事だった。
出来事①
3月18日までに復職の診断書の送付
出来事②
産業医面談は月に1回しかなく、それが3月18日
その日を過ぎては、対応不可かも。=復職できない=退職
一旦整理しよう、落ち着こう、大丈夫、と自分に言い聞かせても、もう制御不能となり、私はそれから体調が一気に悪化した。
突然壊れたかのように、泣き始めたら止まらない日が続いた。毎晩、目がパンパンに腫れるまで泣いて、朝は泣いた後の目のむくみ処理に追われた。
今思い出すと、大人になってあんな泣き方したの初めてだったかもしれない。笑
泣くときはポロポロ人にばれないように泣いていたのに、声を出して「わーん」と泣いていた。
そして本が読めなくなり(集中力低下)、吐き気と頭痛が起きるので電車移動も思うようにできなくなっていた。
頭痛と貧血を繰り返し、ボーっとする日が続いた。
悪化した時の頭の中と気持ち
▼会社の対応
・同じポジションでクライアント数を減らし、時短での対応のみ可能
・部署異動は現状不可
▼自分の中でのネックポイント
・「担当クライアント数を減らす=時短でできる」仕事ではない
→むしろ、限られた時間で捌いていかないといけない
・フロントに立つ立場なので、自分が体調を壊すことで、社内外に迷惑をかけてしまう不安
・可能であれば、まずはサポート的なポジションや部署異動などで調整しながら復職していきたかったが、会社的に対応はできない
・今のままでは復職後、速攻再発する気がする
・再発してクライアントの引き継ぎでまた、部のみんなに迷惑をかける…
などなど、考え出したら止まらなかった。
行動数を管理して、管理されて、マイルストーンを置いて、PDCAをゴリゴリ回していく、会社に求められる人材像になるために「したいから」ではなく「しなくちゃいけない」に追われていた数ヶ月前の自分が頭をよぎった。
出なかった、出さなかった復職の診断書
「何も結論が出ないまま来てしまいました、すみません。」と言いながら、開口一番泣き出した。
「正直、もう少し休養が必要だよ」
そう主治医の言葉を聞いたら「あ、退職だ」と絶望的な気持ちになりながらもどこかふっと張り詰めていたものが緩んだような気がした。
正直、お金を出せば診断書は出せた。
ただ、もうこれ以上、自分を傷つけるのがかわいそうだと思った。復職して「戦闘モード」になれる自信もなかった。
マリオカートのゲームで例えると回復アイテムも、パワーアップアイテムもスターモードになれるアイテムも、何なら車も持っておらず、何も持ち合わせていなかった。
これ以上、自分をすり減らして、すり減らすものがなかった。
結果的に、部長や人事の方が3月末に産業医面談ができるように調整してくれたのだが、何にも心が動かなくなってしまった。
今思うこと
「休職期間は3月末まで」に対する、私の考えが甘かったのかもしれない。
そして 3月 という組織の配置転換や来年度の予算組みやら、4月期初の会社であればどこの会社もものすごい忙しい中、3月で復職するかもしれない従業員(私)とのタイミングがものすごく悪かった、と思う。
そして、何より「復職しよう!」と思った自分を最後まで信じきれてあげられなかった。
「人生そんなこともあるよね☆」なんて今は思えない。
だから辛い。
頭ではそう自分に言い聞かせながらも、「こんなはずじゃなかった自分」と向き合って、これからの不安と「今」を精一杯受け止めることが難しい。
だからこれは自分との戦い。
今までの「強がりな自分」や自分を縛っている「こうであるべき」を少しずつ手放していけるといいな、と思う。
「よく頑張ったね、たくさん頑張ってるよ、お疲れさま」