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5月を土に埋めた。

4月末から体調が悪化し、5月はほとんど布団の上で過ごしていた。絵を描こうとはしていたし、前に進もうと努力もしていたけれど、体がそれを許さなかった。体が私の心からやる気を奪っていく。そうしてできた肉の塊を、布団にくるんで季節外れの冬眠を試みる毎日。
私の仕事である料理も家事も洗濯も、全部家族がやってくれた。いつか捨てられるんじゃないかって思いながら、優しくされるたびに謝罪した。

noteを作ろうと思ったきっかけは、森美術館で観たバンクシーやアート観について書き綴りたかったから。けれど、それをする気力も沸かなくて困った。だから今とりあえず5月の愚痴を書き綴っている。

少しでもやる気を出そうと、意識高い学生のvlogを見て、todoリストをインストールしてみる。そうしたら、毎日、タスクの残量を通知で責められた。20時きっかりに「もちさん、まだ10件のタスクが終わっていません」なんて通知が来て、終わるわけねーだろがカス!!と思ってスマホをぶち投げる(妄想をする)日々。

理想の私は、朝の目覚めが良く、紅茶を淹れて、朝ごはんを食べながら毎日のタスクを確認する。あさんぽをして朝日を浴びてから、帰宅してメイクをして学校へと向かう。バイトも問題なく行い、帰宅後は速やかに料理をし、栄養素が揃った食事をしながら、食後は残った家事を行って入浴。丁寧に髪のケアをしたあとに、課題の残りを行ってから睡眠。もちろん好きな絵を描いたりTRPGをしたりする時間の余裕もある。
バカが。無理だろ。
でもたまにこれができる日がある。
そういう日は嬉しくてたまらなくなって、自分を抱きしめなら、今日という日に感謝できる。けれどもそれができない日は全部無意味な一日と思ってしまうので、情けなくて泣けるのだ。5月はすべて無意味だった。

最近ネットで見かけた、人間やその他の生物は、起きている状態のほうが異常なのだ、という論説。睡眠状態こそが生物の基本状態であり、睡眠をするために覚醒があるらしい。
じゃあ私のしていることは無意味ではないのかもしれない。むしろ許されていいのではないか。
許されるのならずっと寝ていたい。ずっと夢の中で、誰もいない給水塔のてっぺんで、鳶の鳴き声を聞いていたい。

よく、忙しそうだねと言われる。しかし実情は全く忙しくはない。怠けていた。強いて言うなら睡眠に忙しかった。
覚醒する理由が薄れていくのだ。
なんたって、理想の自分の1日は少しも再現できないどころか、終わらないタスクを責めてくるアプリに辟易としながら、やる気の出ない身体にむち打ち、無いアイデアを振り絞って作品を作らなければならないのだ。そんなことまでして起きていたくはない。寝ていたい。寝るのが人間として生物として正常なら、もう寝かせてくれ。
異常だ、活動すべてが。

苦しんだ結果わかったのはコロナに感染していたということ。やる気の抑制も睡眠欲も布団から出たくないのも全て身体が休息を求めていたというつまらないオチ。

かといって、6月に入った今、やる気満々かと言われたらそんなことはなく、ただただ未来から目を背ける毎日だった。

生活は続く。5月はゴミ箱に捨てた。
こんな人間が経済や社会の歯車の一員になれるわけもなく、働いてる人を横目に、今日も人生をサボる理由を探している。

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