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はじめての奄美大島

タイミングが良すぎる。

島は、そういうことが多い気がする。

潮の満ち引き、月と太陽、光と陰。

きっと、なるべくして起こること、自然の移り変わりのように、そっと当たり前に。


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私はまた頭をぼーっとさせて、飛行機に乗り込んでいた。たまに、疲れたり考えすぎたりすると、自己防衛的に頭の働きをストップさせる傾向がある。それになると、如何にもこうにも出来ない。この防衛本能がだんだんと早まっていく(未然に防ぐんだ!と頑張ってくれちゃう)ものだから、ずっと頭は鈍化し続けている気がする。困った気持ちと、自分らしいリズムを手にした嬉しさとがある。

奄美大島に降り立った時、困惑してしまった。数年前に暮らしていた沖縄、八重山が染み込んでいる私にとって、一見似ているが異なる島に来てしまって、どうも手持ち無沙汰な気がした。全く別なのだから当たり前なのだが、ぼーっとした私の頭では処理しきれなかったようだ。


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島を案内してもらう。青い海と降り注ぐ日差しに反射的にテンションは上がっているが、まだまだ心許ない。ざわざわと心がしたまま夜は眠った。


次の日の朝、用意してくれた朝食をホテルの部屋で食べる。コロナ対策なのだが、果物と野菜がたっぷりで、部屋でこんな贅沢な時間を過ごせるなら、これもいいなと思った。窓を開けて、東京ではもうこの時期、聞くことができないセミの大合唱の中、今日も暑くなるだろうなと思わせる湿気混じりの暖かい空気を感じる。そのホテルは以前はスーパーマーケットだった建物を利用して、作られたホテルだった。なので、集落の真ん中あたりに位置している。

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部屋の窓の眼下には集落ビュー、トタン屋根の平屋が並ぶ。すると、集落内放送のようなものが流れてきた。2泊して2日とも流れていたので毎日のものなのだろう。子供のアナウンスの後に、島の民謡が流れてくる。程なくすると、集落の中のどこかの家から三味線と唄も聞こえてきた。

ここは紛れもなく、この島の日常の真ん中だった。子供達が学校へと連れ立って行く。おばあさんがゴミ捨てに出て、ちょっと庭いじりをしている。やっと、この島にこの土地に私は来たのだと、ざわざわしたものがすーっとおさまった気がして、ぼーっとしていた頭も軽くなっていくのを感じた。

都合が良い気もするが、タイミングよく島に呼ばれることが、私には何度かある気がしている。

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