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奢る、奢られる

奢る、ということについて考える機会があった。


個人的には奢る奢られるは難しくてあまり好きじゃない。だから本当に親しい人か家族以外にごはん代をしっかり出したことはない。奢ってもらったらもらったで、お返しをしないといけないかなとか、次は私が出す番かななど考えすぎてしまい、その人と会うことすら億劫になる。律儀なのはいいのか悪いのか。


大学生の頃はというと、1つ年上の方とお付き合いをして全て奢ってもらっていた。私はその頃から律儀な方で毎回、今回は本当に私が出すよと言っていたのだけれど、彼は女の子に財布を出させてはいけないと考えるタイプだったから1円たりとも出させてはくれなかった。それどころか本当に知らないところで、光の速さで支払いを済ませてくれてるような人だった。だから、クリスマスには少し高めのものをプレゼントしたり、ときには手作りのお菓子をあげたりしていた。

今考えると、彼も無理してたのかもしれない。旅行代はさすがに出させてもらったけれど、すべての外食、カラオケ、交通費、寺社の拝観料、ガソリン代など出してくれてた。彼も私と1つしか変わらない大学生だったのに。


そしてかたやそうかと思えば、カフェの400円くらいの紅茶1杯ですら、会計は別でと言ってきた人もいた。スタバのような会計が先のタイプのところで、一緒に話しながら決めていたのに自分が先に注文して、店員さんが「お連れ様もどうぞ」というと別々でと告げた人。奢ってほしかったわけでもなかったから別にいいのだけれど。

極め付きは、ランチで税込みで960円のものを食べたときに、席を立つと1000円でいいよと言われたあの日。40円に未練がましい思いはなくとも、1000円「で」いいよという、いかにも端数は俺が払っておくよ、とでも言いたげな口調には違和感を覚えた。


こうやって考えると、大学生の頃と比べると大人になったなと思う。初めの彼には、長い付き合いがしたいからこそ少しだけでも払わせて、とか、◯◯くんがバイトに使う時間も会いたい、とか言って出させてもらうだろうし、別の彼にはすかさず突っ込んでることだろう。

世の中には奢られ上手で世渡り上手な人もいるけれど、私自身は奢ったり奢られたりする状況を避ける世渡り上手になりたいのだと、改めて実感した。それもこれも、難しい人間関係が苦手なこととあれこれ考えすぎる性格が原因なのだろうけど、それについてはまた改めて書きたい。

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