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美しい生活を崩さない範囲で行われる「支援」

最近、良いジュエリーが欲しいと思うようになった。
「良い」というのは、ジュエリー自体に意味があったり、身につけた時にテンションが上がる理由があったりする、ということだ。騒々しい大教室での授業中にポチっと購入しては荒れた部屋のどこかにまぎれ込み、まあこの金額なら仕方ないか、と取っ替えひっかえされてきたようなアクセサリーではない。
もうすぐで24とか25とかいう年齢になるし、いわゆるハイブランドのジュエリーを記念とかなんとか言って買ってもいいのかもしれない。中高時代のリッチな同級生は、こぞってDから始まる紙袋と花束の写真をInstagramにアップする。そういうフリー画像サイトでも存在するのか?そしてそこには往々にして「thank you」やら「ありがとう(主語なし)」のキャプションが添えられるが、もはや自分の趣味嗜好への思いやりへの感謝ではなく、ただ「金を出した」ということに対する「thank you」なのかもしれないと思うと、それで人間関係が無事に構築できている人々の存在にぞっとする思いがする。


誰でもブランド物をもらったらある程度嬉しい

別に恨みがあるわけではないが、こういう人々を見ていると、きちんとした理由がなければ自分はハイブランドのジュエリーに手を出してはいけないような気がしてくる。

そして今のところ、10万以上をポンと出せるようなでかい出来事は起きていない。かと言って、お洒落なインスタグラマーがこぞってつけるようなイケてるジュエリーブランドのシンボリックな四角い指輪をつけるのも、なんだか気がひける。

そんななかで最近私が気になっているブランドがある。
ARTIDA OUD」という日本のブランドで、HPにはこのように書いてある。

Raw Scents of Glimmer
地中海から砂漠を越え、ユーラシア大陸を東方へ…
旅のなかで出会う大自然の偶然と文明の神秘。
インド・ジャイプールで厳選する唯一無二の宝石。
伊勢志摩で育まれるかけがえのないアコヤ貝。
そのありのままの姿が放つ煌めきを
畏敬の職人技が上質なジュエリーへと昇華する。

何を言ってるのかはよくわからないけれども、良い雰囲気が漂っている。商品自体とても素敵なのだが、私が気になったのは、このブランドが不定期に出品している「"I am" Donation」というラインナップだった。

かわいい
世界中のだれもが自分らしく活躍できるようにと願いを込めた、ARTIDA OUDの“I am” Donation プログラム。
対象商品を1点ご購入で<途上国支援><森林保全><医療支援>、3つの寄付先からご購入時に選択し、最大1,100円を寄付できます。

だいたい10,000円くらいの商品を購入すると、そのうちの1,000円くらいがどこかに寄付されるため、綺麗なジュエリーを買いつつ、社会貢献ができるというとても良い仕組みになっている。普通に可愛いので欲しい!買おう!と思ったが、ちょっと待ってや〜と自分が言うので立ち止まった。
これ、普通に全額寄付した方が良いのでは?
本当に途上国や森林や医療支援のことを思うのであれば、わざわざ値段の一部ではなく、オールインする方が良いのでは・・・
もちろん、この商品の「紐を組む工程はインドの女性を支援するNGOの女性たちが一点一点手作業で仕上げています。購入することで、彼女たちの収入をサポートすることにも繋がっています。」という側面はあるけれど、なんだか、偽善者とまではいかないが、そんな気持ちになってしまった。
今年の1月にトンガ噴火が起きた際、銀座ウエストのシュークリーム(411円)を1個買い上げるごとに50円を義援金として寄付する「シュークリームプロジェクト」が話題になっていた。この時も職場がまあまあ近いので買いに行こう、と思ったが、いや、同じ400円を払うならセブンの1個160円のシュークリームを買って240円払った方が良いのでは? そこであえて銀座ウエストのシュークリームを買うのは、シュークリームを買いつつ被災者支援もできた自分の思い出づくりになってしまうのでは? と踏みとどまったことが思い出される。(その後UNICEF経由で3,000円送った)


シュークリームはおいしい

「あくまで自分は満たされた生活を続けるが、その流れを崩さずに困っている人を支援できる範囲ならば協力しますよ」と、言ってないけど、言ってると言われても反論できない自分になってしまう。

もちろん、何もしないよりは全然全然全然良いのは間違いない。
それこそ、現代における「良いジュエリー」とか「良いシュークリーム」っていうのは、こういうものを指すのだと思う。

ただ、こういう考えが頭をよぎることもあるよ、という話でした。

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