フラストレーションの効用
なかなかうまくいかないなあという意識の期間が長い中、それがある意味プラスに働くこともあるなあと思うこともある。と最近気づいた。
ある部分がガチで満たされないと、ちゃんと満たされようと行動せざるを得なくなるらしい。
お直しの仕事をしていたときは、なんやかんや、どんな些細な仕事だろうと仕事をしているだけで、自然と自分の1番大事な部分が満たされていたようだ。失敗も成功も直に自分にかえってくる手応えに震える。何時間ぶっ続けでやっても飽きない。何度失敗しても全く心折れないどころか、やり直せることに至高の喜びすら感じていた。
(しかし楽しい〜⭐︎とかやってるだけでは食えないのだこれが)
そこからライトに紆余曲折の末、ある意味最も自分の資質から遠い仕事に飛び込んで、学びは凄まじく環境は最良だが、どうやら充実しているからといってそう単純な話ではないようだ。自分のセンスを活かす楽しさも、社会人としての成長への喜びも、身に余る環境への感謝にも1ミリも嘘はないが、それら全てと引き換えに享受していた(らしい)「自分の根っこ」的な部分がスッカーンと抜け落ちてしまっている。
日に日にもやもやが溜まる一方、気づく。あ、世の中の多くのひとたちは、こういうフラストレーションを燃料に、めっちゃ楽しいことをやっているのか。
(どこまでも省エネすぎる自分にちょこっと笑ってしまった)
気づいたあとも、帰宅後はぐったりして酒を浴びながらオモコロに癒され気を失う日々だったが、強制リモートのおかげで通勤時間分、少しずつ縫ったり描いたり、根っこが欲しがることをできるようになってきましたとさ。
備忘録でした。はよ外でぼんやりビール飲みたいな〜そして普通は社会人1年目とかで感じるのかなあ。そんなようなもんだからいいか。