AIと人間
Yahoo!ニュースで以下の記事を目にした。
米医師試験の問題提示方法がどのような内容かは知らないが、たとえば知識を問うような内容であれば、当然ながらAIの方が優位であろう。
問題を解いたのは対話型AIである「ChatGPT」。
対話型、すなわち質問に対して回答するタイプのAI。
なお、現在でも画像診断の分野ではAIがメインで解析を行っている。しかし、最終的な病理判断は医師が行っている。それは、責任の所在を明らかとするためにほかならない。
AIが言ったからすべて正しい、とは当然ながら言い切れないし、もしAIが間違っていた場合、当然ながらAIが責任を追えるはずもない。
仮にAIドクターが認められるようになれば、その責任は開発元が負う形になるであろう。とはいえ、「AI自身が自ら学習して導き出した答えなのであって、私たちが判断を下したのではない」といった状況に陥るのは、想像するに容易い。
知識において、これからも人間はAIに勝ることはないであろう。しかし、得た知識をどのように生かし、発展させていくのかといったフェーズへの展開は、現時点においては人間の役割といえるのではなかろうか。やがて、その分野にもAIが侵食してくる日がやってくるであろうが。
かつてはセンター試験=知識を問う問題が主流となっていたが、現在の共通テストでは知識の応用力や活用などといった内容に重きがおかれている。もはや、「知っている」だけではコンピュータに太刀打ちできない。知っている内容をいかに応用・活用させることができるのかが、現代に生きる人間に問われている能力なのである。
ところが、科学技術の進歩はとどまることなく、今後もより便利で考えなくとも勝手にやってくれるような世界へと進んでいく。人間は操作性さえ覚えれば、あとはおまかせ。
ロールフィルムを発明したKODAKの広告には以下のようなフレーズが掲載されていた。
とりあえずカメラにフィルムを充填し、シャッターを押してくれさえすれば、どのような作業が行われているか知らなくても、現像(+プリント)してお渡ししますよ
いまや、こうしたブラックボックスはいたるところに溢れ、物事の本質や動作といった内容は非常に見えづらくなっている。そしてまた、われわれはこうした状況に慣らされてしまっているのである。
自ら考える、当たり前の状況に疑問を持つ。常にこんなことばかり考えていては精神が疲弊してしまうかもしれないが、とはいえ考えること、そして応用・活用することに対しては、人間が優位であると現時点では感じている。
小さいこどもがよく発する「なんで?」「どうして?」。大人になって当たり前だと思っていることも、子どもにとってはそれがわからなかったりする。
そんなこと当たり前じゃないか、と突き放すのではなく、自らの意見を述べてあげること。もし明確な解答がわからなければ一緒になって考えてあげる。そうしたことを繰り返していたら、いつしか自ら進んで考えるような人間となってくれるといいなー、なんて思っていたりもする。
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