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【雑記】過去との対峙

近く引越しを控えており、9年間住んだ家での生活も残りわずかとなってきた。

元から割と物が多い方ではあったが、意を決して断捨離に勤しんでいると、過去の写真やネガなどが大量に出てくる。

さて、ここでどうしよう、となる。

果たして、見返すかどうかもわからない、ましてや作品になるかといわれればなる気は全くしない「モノ」をどうすべきか、、と。

確かに写真家であれば、過去の自身のデータからセレクトしてどうにかこうにかコンテクスト(もしくはテキスト)を構築し、作品として提示することもできよう。

しかし、私は関係性のない写真をつなげて何か別のコンテクストを与える手法には向いていない。所詮、何かしらの意味(枠組み)に写真を宛がう行為としか思えてならないのである。

ただし、さすが自分で撮っただけのことはある。数10年前のものであったとしても、おおよその年代と場所は瞬時に理解できる。記憶を呼び覚ます装置としての役割において、写真は非常に有用なものである。


解決策のひとつとしてデータ化、というのもあるが、正直すべてをデータ化する時間も気力もない。

しかし、場所は結構とる。現時点ですでに5箱くらいはフィルム、プリント、額縁などで埋まっている。そしておそらく、引越てもすぐに(もしかしたらずっと)空けることはなく、山積するだけの光景が容易に想像できる。

最低限にとどめ、過去(主に写真学校時代に撮ったものが多い)と決別するか、もしくは過去とともに進んでいくのか。


迫りくる引越日と片付けとの狭間で、選択を迫られている今日この頃。さすがに9年も同じ場所に住んでいると、びっくりするようなもの(いい意味も、悪い意味も)が出てきたりする。

住んで数年は暗室部屋として使用していた1部屋から、暗室関連一式は姿を消し、9年ぶりに窓から光が差し込んできた。カーテンの隙間から漏れる光が入る部屋には、段ボールのタワーが形成されつつある。


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