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【書籍】非唯物論

副題「オブジェクトと社会理論」。非唯物論は「新しい唯物論」の公準を逆説的に説いたものである。唯物論はあらゆる事象に対して「もの」(対象:オブジェクト)を中心として捉える考え方である。


あらかじめ区別する必要があるのは以下の項目。

■アクター・ネットワーク・セオリー(ANT)

■オブジェクト指向存在論(OOO)

ANTはブルーノ・ラトゥールらが提唱していた、ありとあらゆるものはネットワークの結節点として取り扱っているのに対して、本書の著者であるグレアム・ハーマンはOOOを提唱している。

「オブジェクト指向(OO)」と聞いて、私が真っ先に思い浮かぶのが、プログラミングにおける構築思想のひとつである。

プログラミングでは個別のオブジェクト(対象)を実世界に存在するものとみなし、システム全体を構築していくのに対して、OOOではOOにおけるオブジェクト(対象)そのものに焦点を当て、それが何であり、どういう性質を持ち、といったオブジェクトの観点から本質を明らかとすることが目的である。

ハーマンが掲げる非唯物論の諸原則をいくつか挙げる。これは、唯物論の「非」であり、また実在論をベースとしている。

・変化は間欠的であり、安定が標準である
・あらゆるものが偶発的というわけではない
・実体/名詞が行為/動詞よりも優位を占める

われわれはものごとを理解する際、既存の知識と比較・検証することによって、そのものが何であるかを理解している。そのものが実世界に存在しているという名のもとに。

オブジェクト(対象)=物質的な「もの」だけではなく、ありとあらゆる対象としての「もの」。そこには人間だけではなく、思想などの非物質的なものも含まれる。

無から生み出されるのではなく、オブジェクト(対象)は先ず「実在」している。すでにそのものが「ある」ことが前提として取り扱われているのだ。

ハーマンは非唯物論の中心概念として「共生」を取り上げている。

ある対象の生における個々の新たな共生が、ある一つの活動段階(stage)を生じさせる

OOOがANTと異なる点は、ANTが「アクターの行為=活動の全て」によってもたらされたことに着目しているのに対して、OOOは「実在=現実性を変化させることができた共生にのみ向けられている」点である。

簡略化すると、ANTは誰が何をしたことによって、どのような経緯を辿ったのかという「アクター=活動」に着目しているのに対して、OOOはそれが生じるオブジェクト(対象)、たとえば実在する特定のものや人に着目することで、どのような影響を及ぼしたのか、それを共生をもって理解しようとすることにある。

たとえば、「われわれは新幹線に乗車して目的地に到着する」、のではなく、新幹線という乗り物が存在していることを前提とすれば、「新幹線があることによってわれわれは目的地に到着することができた」、といった具合に。

その対象となるものが新幹線ではなく、飛行機であるかもしれない。「何が」ではなく「何で」、さらにいうと「何によって」その行為がもたらされたのか。

これはアート的な思考に通ずるものがある。すでに存在するものごとに対して、逆説的なアプローチによってものごとの本質を明らかにしようとするように。

オブジェクト(対象)のそれぞれが自律性を帯びる方向へと向かっていることを前提としたうえで、非関係であることによって本質的なものを見極めようとする。


ハーマンはこうしたことについて、世界初の株式会社でもある東インド会社(VOC)を取り上げ、オブジェクト(対象)に着目することで、そのものとの共生によって、どのような結果を招いたのかを説いている。

そして、「OOOの方法をめぐる十五の暫定的なルール」と題し、ANTや唯物論と比較しながらOOOによる思考をハーマンは提唱している。

その中で核となる「共生」は、それぞれのオブジェクト(対象)は自律しており、非相互作用的である。ANTの場合、アクター=活動が相互作用的に影響を及ぼし合っている点と、OOOは一線を画している。

だとしてもなお、モノとモノとは互いに働きかけを行うため、オブジェクト(対象)間の因果関係は認められない。この点を補うために、ハーマンは17世紀の哲学者マルブランシュが考えていた「機会原因論」を採用している。

そして、オブジェクト(対象)同士において、本書では「強い紐帯」「弱い紐帯」と呼んでいるように、強度のもった紐でつながっている。当然、紐は切れることもあり得る。

さらに紐はつなぐことも、結び方を変えることも、切断することも可能である。つなぎ方を選択し、関係性を導き出す。解釈は一通りではない。


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