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【雑記】現代写真の市場価格

現代写真における市場価格が軒並み下落しているとの記事を目にした。

アンドレアス・グルスキー、トーマス・シュトゥルート、杉本博司など、2010年頃をピークに下落の一途を辿っているという。

上記の記事ではスマホによる写真のコモディティ化=一般化を指摘しているような書きっぷりではあるが、そういう訳ではない気はする。

記事で指摘があるように、写真作品=エディション制、版画におけるエディションを写真にも適応することによって、その希少性を担保しようとしてきた歴史がある。

ベンヤミンの「複製時代の芸術作品」とように、写真とは工業製品によって生成される複製可能な作品である。

一般市場においては、需要と供給によって価格設定がなされるが、アート市場においては必ずしもそうとは限らない。合法的にインサイダー取引可能な商品こそが「アート作品」であり、とりわけ写真においてはオリジナルである必要さえない。


市場価格の下落の際たる要因は、写真によるアート作品であるからではなかろうかと記事を読みながら考えていた。つまり、ステレオタイプな写真=撮影によって制作された作品がアートとして認知された作品の価格が下落している一方で、最終成果物として写真として提示されたアート作品は下落しているわけではないのではなかろうか、ということである。

アートとして提示された写真作品と、写真として提示されたアート作品とでは似て非なるものである。そして、「写真」というワードによるイメージ、すなわち撮影によって獲得するイメージこそが「写真」であるというステレオタイプな考えから解脱しないと、スマートフォンによる「写真」へと安直に結びつけて考えてしまってはいないだろうか、というのが争点となる。

いまや、写真は「画像」抜きには語ることは不可能なのである。


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