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【雑記】価値の再評価

先日、ある記事に目が止まった。

キュビスムの創始者のひとりであり、生涯でおおよそ15万点を制作したパブロ・ピカソ(1881-1973)。没後50年を迎える今年は改めてその作品の価値を高めようという思惑があったに違いない。

しかしながら、着目されたのはピカソの女性遍歴である。

性的虐待や浮気癖など、昔であれば「芸の肥やし」といわれ、純粋に作品に対して価値付けがなされてきた。言ってみれば、作品の価値において世間一般的にマイナスとされる負の人間性や性格といった点についてはほぼ関係なかったのである。


しかしながら、昨今のトランスジェンダーや某芸能事務所、某スポーツ選手など挙げればキリがないように、性的な問題に関するゴシップはマス・メディアの格好の的であり、連日ニュースで目にしない日はないほど過激な状況を呈している。

「時代が違うから」と割り切ることもありがちではあるが、今の時代において再評価する、つまり価値のアップデートはアートの基本である。


これまでアート作品は、一般的に再評価することによってその価値が上がるものとして扱われてきた。アーティストが亡くなれば希少性はさらに増し、その価値が上昇する。アート作品は資本主義経済よりもずっと安定的な右肩上がりの投資対象であったのである。

ところが、名の知れたピカソでさえその女性遍歴や性癖などが評価対象のひとつとして扱われたことによって、価値が下がるという状況を迎えているのである。


しかし、アート作品については、アーティストの手を離れ自律してはじめて、作品としての価値が問われるものである。となると、価値(価格)が下落することによって、利益を得る人物がいると考える方が想像するに容易い。

つまるところ、こうした現代の潮流にのっかり、作品の価値(≒価格)を下げることによって、高騰しすぎたピカソの作品を「安く買える」ことが可能となる。そしていつの日か価格は上昇し、買値<売値となったところで売り捌く。


下記のサイトにあるように、アート作品が最初に競売(オークション)にかけられたのは1742年だそうだ。資本主義が始まった18世紀後半とほぼ同時期であるのは、単なる偶然ではない。


自身にとって「価値」はどこに位置付けているのか。自問自答するためのツールのひとつとして、アート作品は機能している。

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