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【雑記】アートへのトレンド

ここ最近、環境活動家を名乗る人物による、アート作品への「攻撃」が後を絶たない。

アート作品に対して過激な行動をとることによって、瞬く間にネットで取り上げられ、その行動はエスカレートの一途を辿っているかのように思われる。

彼らの主張の多くが、アートとして価値のある作品の保全と、地球環境を守ることとはどちらが重要かを知らしめることにある。

そんなの決まっている。どちらも重要なのだ。では、地球環境を改善するために、われわれ全地球人が一体となって何かに取り組んでいるかといえば、NOと言わざるを得ないであろう。


とりわけ、19世紀にイギリスで起こった産業革命以降、地球の環境は人間の利益や利便性の代償として悪化の一途を辿っている。

では、地球環境を取り戻すにはどうすればいいか。答えは簡単である。人間が地球上からいなくなればいいだけのことである。これは、大学で自然科学(地球科学)を専攻していた私の、最終的な答えである。

環境問題とは、人間の住環境にとって理想的な自然環境を保全、改善することが目的であり、決して地球のためではない。問題提起の主体は常に人間のためが前提としてある。


1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故。放射能汚染によって立ち入り禁止区域からは人間がいなくなった。時が流れ、30年も経過すると、そこには動物が生息する自然の楽園と化していた。

自然や動物の生態系にとっては人間の存在が放射能よりも脅威であると上記の記事にもあるように、人間がいなくなりさえすれば、地球環境は自然と回復していくのである。


とはいえ、われわれ人間は今のところこの地球でしか生息できないので、地球環境を改善する、すなわちより良い地球を守ることは生態系の頂点に立つ人間にとって課された使命であるともいえるであろう。

彼らの行動は、いってしまえば環境破壊そのものである。汚したりした作品をクリーニングするために、本来使わなくてもよかった水や洗剤などを大量に消費することになる。

環境活動家たちは環境破壊が主たる目的であろうか。もちろん、このようなことまで考えての行動だとは全く思わないが、今まで気にもとめなかった人々に対してアピールをするという目的は達成できている、のかもしれない。


さらにいうと、こうした気付くきっかけを与えるためのトリガーとして、現代アートこそがその役割を担っているのである。つまり、環境活動家たちがすべきことは現存するアート作品への攻撃なのではなく、自らの主張を訴えるためのアート作品を制作することではなかろうか。

当然ながら、アート作品を制作したからといって注目される可能性は非常に低く、全く評価の対象とさえ扱われない可能性も十分にあり得る。

しかしながら、自らの主張を自らのやり方で提示できる方法として、現代アートは非常に有効な提示方法なのである。


アート作品を攻撃することが目的化して、本来主張すべきであった内容が表象していないのは、正直なところ本末転倒である。

どこどこで誰々の作品に危害が加えられました。ニュースをみる層に植え付けられるのはそれだけである。それでは非常にもったいない。

攻撃する作品よりも、もっと強度のある作品を作った方が、もっとずっと気に留められると思う。もちろん、いうのは簡単、実際には非常に高難度。それでも、やってみるだけの価値はある気がする。

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