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【雑記】Xenobot

Yahoo!ニュース(※1)で、『ゼノボット』が自己生殖が可能である記事を目にした。

ゼノボット(Xenobot)は以下の通り、AIによって設計された合成生物形態である。

孫引用になってはしまうが、(※1)の記事には以下のように書かれていた。

ロボットといえば金属製かセラミック製だと思っている人が大半だが、重要なのはロボットが何で作られているかではなく何をするか、つまり人間のために自力で行動するかどうかだ(ジョシュ・ボンガード教授)

現時点では人間は、人間以外の命を頂戴する(食する)ことによって生きながらえている。

しかし、やがて人間は他の命(豚肉や牛肉)は食さなくなり、「人口肉」が我々の食卓にあがる日、そう遠くはないのかもしれない。

ここでは人工的に培養された「肉」は生物的ではあるが、ボンガード教授の言葉を借りると、人口肉は人間のために培養されてはいるものの、「自力で行動」しているわけではないため、「ロボット」ではない。

ゼノボットはその名前の由来の通り、アフリカツメガエルの幹細胞から設計図に基づいて作られた「生命体」である。

さらに(※1)には、以下の記載があった。

自己複製するバイオテクノロジーの出現に懸念の声も上がりそうだが、研究者らによると、ゼノボットは生分解が可能で、倫理の専門家によって規制されているため、研究室内に閉じ込めておき簡単に消滅させることができたという。

生かすも殺すも、研究者にゆだねられている。人は創造神になったといえるのであろうか。「簡単に消滅させることができた」ら、果たしてそれは倫理的に問われないといえるのであろうか。

いまや「クローン猿」が誕生している以上、すでに「クローン人間」さえも創られていると想像するには容易い。

マスターデータとクローンデータ。そのパワーバランスが崩れ、クローンがマスターになることもあり得る。このとき、なにをもってして「オリジナル」であるといえるのだろう。

命とはなにか。生命とはなにか。宗教的、生物学的に問われ続けているこれらの問いに明確な正解は存在しないのかもしれない。

これは、写真でいうところの「写真とはなにか」と同義だと思う。すなわち「あなたにとって写真とは、どのようなものを指すのか」ということがこの問いには込められているように、「命」や「生命」もまた、あなた自身がどのような立ち位置にいるのかが問われる、ある種「踏み絵」のような問いなのであろう。


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