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【絶対写真論】Chapter10 リカーシブ・コール

リカーシブ・コール(Recursive Call)とは再帰呼び出しと呼ばれるプログラム処理のひとつであり、呼び出された関数のなかで再度自身の関数を呼び出すものである。

なかでもフラクタル図形と呼ばれる、繰り返し同じ図形が延々とループする幾何学的な関数がある。その大半はフランスの数学者ブノア・マンデルブロによって理論化されている。


本章で示した写真は撮影はおろか、元となる画像データさえも使用してはいない、完全にアルゴリズムによってのみ生成された情報(=画像データ)である。

写真とは画像の最小単位である各1x1pixelの色情報が集合することによって、われわれはその全体像を「写真」として認識しているだけにすぎない。その解像度が上がれば上がるほど、われわれは画素情報を認識することが困難となる。

本作は単に無彩色の濃淡がアルゴリズムによってランダムに積層された、色情報の集合体にしかすぎない。しかし、濃度差や色の境界などから、われわれはこのイメージを「山」であるかのように想像してしまう。

さらには、これは何とか山、こっちはどこどこ、といった具合に、その形状から特定の山として「みえて」しまうのである。


ここで、本書の原点に立ち返ってみる。

「写真」とはなにか。

たとえ撮影した画像データではなくとも、各pixelに色情報が与えられており、それが集合体(全体像)としてみることができたとき、われわれはそれを「写真」として認識し、そのイメージが何であるか想起することとなる。

つまり、「写真」とは単なる情報の集合体であり、その集合体の元となる、各種デバイスが認識可能な画像データが何らかの方法によって生成できさえすれば、それが「写真となる」のである。

そして、その生成方法の根源を担っているのが、カメラ内にも搭載されている「アルゴリズム」なのだ。


写真となるためには「アルゴリズム」が絶対的な存在である。すなわち、本書における絶対性とは、写真の生成における根源的な役割がなにかを提示している。写真として表象するイメージが何で、何が写っているかといった、イメージ主体の写真論には正直なところ明確な答えはなく、千差万別な解釈が存在する。

そうではなく、写真とはなにかにおける根源的な問いに対して、「なにが写真となる」かと突き詰めたとき、その答えとして「アルゴリズム」が挙げられるのではないのであろうか、というのが本書におけるひとつの解の提示である。

これは、デジタル写真にだけにとどまらず、銀塩写真においても同様のことがいえる。銀塩写真におけるアルゴリズム=化学反応による潜像→顕像プロセスによって、フィルムに刻まれた光の情報が顕在化することによって、最終的にそれが「写真となる」のである。


われわれがみている世界とはいったい何なのであろうか。そして、写真によって表象した世界とはどのようなものを見せてくれているのであろうか。本作によって、写真とはなにかということについて鑑賞者自身が自分に問いかけ、そして考えるきっかけを与えるための作品として機能してくれることを願って。

本作はaaploitで現在開催中の個展『Absolute Photographs』にて実際に展示しています。実際の作品をみることで細部までみることができますので、ぜひご高覧ください。詳細は以下をご参照ください。



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