浴衣とわたし

今この瞬間、これを着て歩いているのは私だけ。

夏が過ぎて行った。始まった時と同様に、急激に。
浴衣のシーズンももう終わり。
今年の夏は浴衣色に染まった夏だった。

浴衣を手に入れる

浴衣がほしいなぁ、とぼんやり思い始めたのはそれこそ、去年の夏ぐらいから。巷のお店で色々なものを見るけれど、かわいすぎる柄は好みじゃないし、だからと言って百貨店で売っているものは高すぎて買えないし、そもそも店にも入りづらいし…

なので困った時の母頼み、と母に相談してみた。母なら絶対に何かヒントをくれる。
「ねぇ、浴衣を着たいと思ってるんだけど。。。」
「私の絞りがあるけど、着る?」と返事が返ってきた。
やはり母は全てに答えを持っている。

「絞りの浴衣なんて持ってたっけ?」
「うん…嫁入りの時に持ってきたけど、多分一度も着てないんじゃないかな」

母は出身がまぁまぁ田舎で、少なくとも彼女が結婚した80年代の頃は、娘の結婚の際は着物から車まで、たんまりと嫁入り道具を持たせて送り出す、という風習が地域に残っていた。

なので母もそれに漏れず、結婚した際に桐のタンスに着物をたっぷり携えて、嫁入りしたのだ。私に着る?と聞いた浴衣もそのタンスの中にあったもの。

タダでしかも良いと言われている絞りの浴衣が手に入るなんて!これは天からの思し召し、と思って二つ返事で答えた。とはいえ、体にあててみても、見慣れていないせいかしっくりこない。仕付け糸も取らずに、誰にも着られずに35年も寝かされていた母の絞りの浴衣。せっかくもらったのに気に入らないとかなったらどうしよう、と少し不安に思う。

母は私より背が少し小さく、お店に持っていって私のサイズに仕立て直しをしてもらう。洋服だと小さくサイズ直しすることはできても、大きくサイズ直しすることは難しい。なのに、和服だと小は大を兼ねることができるんだ…すごい。

そして待つこと数ヶ月。
冬にサイズ直しに出し、春も半ばになりようやく実家より手元に送られてきた浴衣。
「帯とか下駄は気に入るのを買ってね」と。

浴衣を揃える

はて、帯なんてどこに行けばいいのだろうか。浴衣を携え、都内のリサイクルショップを巡る。

帯を見つつお店の人に声をかけらもらうのを待つ。
「帯をお探しですか?」
「そうなんです。絞りの浴衣に合うものを探していて…」
ここで好感触なら、持ってきた浴衣を取り出し、実はこれに合わせたくて、と、相談する。

「あら、いい浴衣ねぇ。どの帯にしましょうね」
と親身になって一緒に悩んでくれるお店もあったし、「その浴衣に合わせるだったらうちにはこれしかないわ…」と少しつっけんどんなお店もあった。
帯探しをする時は何店舗か巡ること、これ大事。

そして回ること4店舗。
出会ってしまった私好みの帯。薄めの色の、麻の帯。
お店の人と話が盛り上がり、「これがあるともっと素敵よ」と合わせてもらった帯締めも併せて購入(そう、私はちょろい客)。帯締めは買う予定なかったのだけど…帯に似合ってしまったから、仕方ない。ちゃんと浴衣引き立つように諸々揃えるのが着る人間としてのつとめ。

着物沼は本当に危ないと言われているけれど、少しわかった気がした。
もちろんちゃんと下駄も買って店を後にした。

浴衣を着る

でも浴衣は持ってるだけじゃどうしようもない。着る機会がないと。
納涼祭をしよう、と言われれば「浴衣で行きます!」と返事し、和系の催し物に誘われれば「浴衣着てった方が盛り上がるよね!」と伝え、美術館鑑賞しない?と誘われれば「浴衣で行っていいですか??」と前のめりで言ってとりあえず浴衣を着る機会を作った。この夏だけで3回は作った。

そしてここからが本当の戦いだった。

浴衣を一人で着たことはあるものの、何年も前のことなので夜な夜なyoutube見ながら復習をする日々。着付けとか帯の結び方とか髪の毛のセッティングとか。今更だけど、youtubeってすごい。なんでもある。イベントの日に焦点をあわせ、その前の1週間はなにかしら画面を見ながら格闘していた。

浴衣は袖も長いし、襦袢も重ねるから暑くなる。エアコンをガンガンにつけ、着ては脱ぎ、締めては解きを繰り返す。

浴衣で歩く

そして、浴衣を着る日。

浴衣を着て駅に向かう。あれ、いつもより一歩の幅が狭い。そうか、浴衣を着ていると歩幅が制限されるんだ(メモ:エスカレーターに乗る際は一歩の歩幅がいつもと違うので要注意)。いつもより小さい歩幅に若干イライラしながらお店に到着。

お店に一歩入れば、やはり珍しいのか、店にいる全員(店員、お客さん全員)の視線が一気に注がれる。こんなに見られるとは思わず少し焦る。
気を取り直し、友人たちのいる少し奥まった席の方へ。

こんにちは〜と顔を出すと、「きゃぁ〜」と歓声があがる。友人たちからは「かわいい」「かっこいい」「素敵」「似合う」と全方向からの称賛を浴びる。浴衣への称賛だけれども、もう自分への称賛ということにする。とにかく気持ちが良い。

こんな褒めてもらえるだなんて、控えめに言って自己肯定感の爆上げでしかない。写真を撮ると当然だけど一人だけ目立つし、悪いこと一つもない(いや、これは嘘だ。あっつい日だと汗だくになる)。

浴衣で出会う

友人たちとのご飯が終わって、そのまま家に帰ろうとも思ったけど、でもなんかもったいなくて、少し銀座をブラつく。

部屋に飾るちょっとした絵がほしいと前々から思っていたので、路面に面した小さな画廊にふらりと入る。ガラスのドアを開けて、こんにちは、と声をかける。奥には70代ぐらいの店主のおばあさん。

壁には名前の知らない画家たちの夏らしい小さな絵がバランスよく飾られている。夏の1シーンを切り取ったものや、動物の絵、抽象的の絵。別の壁を見ようと視線を動かした時におばあさんと目が合う。

「その浴衣、素敵ね。」
ありがとうございます。

初めて会った人に服を褒められるだなんて。これも浴衣の魔力なのか。「やっぱり浴衣って良いわね。貴女がドアを開けて入ってきた時、思わず目が引き寄せられたもの。」とおばあさん。そんな…照れます。

「最近はおしゃれな人達が少なくなっちゃってね」と、ガラス越しに街を歩く人達を見ながら嘆く。
「私の母はね、死ぬまで着物を着ていた人でね・・・浴衣の時期になると母は夜のうちに着ていた浴衣を洗って、次の日の朝になったら張り板に張って。それを見ると夏だなぁって思ったものよ。」

私が知らない時代の夏の話。
彼女に取っては遠い夏の話。

「私は体型が変わっちゃったからもう浴衣着れないけど、やっぱりこうやって見るといいものね。貴女、それ似合っているから、いっぱい着てちょうだい」と、目を細めて言ってくれた。
言ってる彼女も嬉しそうにしていて、褒められているのは私の方なのに、なんかくすぐったかった。

このおばあさんに言われたこと、後で母に電話して伝えてあげよう、とあったかい気持ちに包まれて店を後にした。

浴衣で思う

歩きながら、「おしゃれな人が少なくなって」というのがどうしても気になった。

だって、時が流れるにつれ、ファッションは多様化してきたはずじゃないか。だから「おしゃれ」な人は過去最高に増えているはず、と私には思える。なのに、60年も銀座の街を眺め続けていた人には今の状況が「おしゃれな人が少ない」と見えるだなんて。

もちろん和装=おしゃれ、ということは決してないと。が、確かに服はトレンドや気温、土地柄の影響もあるからか、シンプルやコンサバなものを着ている人が多く、目を引くような服を着ている人が少なかったのもまた事実。

そして洋服ならこの時代、自分と同じ服を着ている人は絶対探せばどこかにいる。でも、大量生産/大量消費が今ほど当たり前でなかった80年代に作られた浴衣を、今でも着ている人ってどれぐらいいるんだろう。

私の祖母いわく、「(嫁入りなんだし)悪いものは持たせてません」とのことなので、それなりに良い浴衣なのだろう。絞りである以上、同じ反物がたくさんあるとは少し考えにくい。うちの場合は35年ほどタンスの肥やしとなっていたから生き残っていたけど、下手したらいまこの時代に、この柄の浴衣を持っている人、私以外にもういないんじゃないのかしら・・・そう思ったら少しこわくなった。

軽くヴィンテージの域に入ったこの浴衣、世の中にある最後の1枚だとしたら、ある意味私は歴史の継承者みたいなものじゃないか。木綿の浴衣のはずなのに急に重さを感じる。仮に最後の1枚でなかったとしても、少なくとも今この瞬間、これを着て歩いているのは私だけ。

浴衣の仕立てに連れて行った祖母、それを受け取った母、着た私、褒めてくれた人たち。浴衣が手渡され、着られていく中で、そういう人たちとの思い出や記憶の断片が少しずつ染みて、布以上、服以上のものになっていくのだろう。

時代の中で生まれ、消えていくのは形あるものの運命だけど、せっかく自分の元にやってきたんだもの、存分に着よう、と思った。

うん、最初見た時よりも自分に馴染んでる。ショーウィンドウに映った自分を見て少し満足気に思った。

さてと。休日の銀座は歩行者天国。せっかくだし道の真ん中を歩かせてもらおう、と藍と白の袖を翻して歩き出した。少し青みがかかった空気が流れる、夏の夕暮れの街を。



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