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南の島とキラキラしたあの子

ビジネスフォーラムをバリ島の某ホテルでやりたいんだ

いつも突飛な要望を出すパートナー企業だからワガママには慣れてるが、正直これは度が過ぎると思った。リゾート地で仕事なんてできる訳ないだろ、と心の中で盛大にツッコみながらあくまでも顔はにこやかに「できたらいいですね」と曖昧な返事をした。

でも待てよ。先方の無茶を聞き入れたら、それはつまり私もバリに行けるってこと…?
やっぱサラリーマンだし、先方の言うこと聞かないとよね。

ということで、先方がどうしてもって言うんです、とパートナー企業に振り回される哀れな会社員を演じきって上司を説得し(説得できたか知らないが)、全力でバリ出張をもぎ取った。多分南の島に出張なんてあれっきりだと思う。

注)この話は全く仕事の話ではない

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せっかくだし早めの便に乗り、現地に到着する。海は優しく空は柔らかく空気はまろやかで、殺伐としたものなんて一つもない。羽があったならどこまでも飛んで行けそうな風景。

大都市東京の真ん中で4方向をガラスやコンクリに囲まれた檻のような場所で、眉間にシワを寄せながら仕事をしていた数日前の自分と、今この景色を見ている自分と同じ人間と思えなくて、思わず笑いが出た。

なんで私いま笑ったんだっけ?思わず出た笑いに戸惑う。そうか、人って自分の想像を超えるものに接すると笑いが出るんだ、となんか納得して、もう少しあははって笑った。周り誰もいないし。

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自分を囲む物質的なものがないと、人間、もう少し大らかになれるのかもしれない。今見えてる景色以外のこと、考えたくないや、って。それ以外はどうでもいいことだって水平線を見ながら思った。

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フォーラムの開催されるホテルにチェックイン後、遅めの夏休みを取っているオーストラリア人夫婦とその5歳の娘に出会った。最初に声をかけて来たのは奥さんの方。「あなたも旅行なの?」と。

「いや実は仕事で、モゴモゴ」と話してるうちにあれよあれよとお嬢さんと夫も紹介され、なぜか家族ぐるみで仲良くなった。知らない人との交流も旅の、いや出張の醍醐味である。

紹介されたはお嬢さんは5歳。ブロンドの髪をしたお嬢さんは初対面のアジア人女性の私にも臆することなく自己紹介をしてくれる。茶目っ気があっておませさんな彼女はフルハウスのミシェルを彷彿させることから、以下、ミシェルと呼ぶ。

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ある日、仕事が早く終わってプールサイドで本を読んでいると、ミシェルが彼女のパパと二人でやってきた。あれママは?と尋ねる私。「今スパだよ。ちゃんと奥さんにも自由な時間を楽しんでもらわないとね。これも夫婦がうまくやる秘訣だよ」とミシェルのパパは言う。

ミシェルのパパ、人気司会者兼コメディアンのジェームズ・コードンに似ているので以下、ジェームズと呼ぶことにする。参考までにジェームズ・コードンの記事とそこから拝借した写真を下に置いておく。

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プールサイドに話を戻す。ミシェル(仮)の面倒を見ているジェームズに「何読んでるの?」と話しかけられ「モスクワの伯爵よ」と答える私。「ああ、僕もそれ読んだよ!言葉のたくみさや芳醇さがたまんないよね」とジェームズ。
ベストセラーとはいえ、南の島で同じ本を読んだ人と会うなんて。一気にジェームズに親近感を感じ、おしゃべりが始まる。

その間もミシェルは「ねぇ見て見てここまでいけるの!」とか「こんなこもの見つけたの!」とちょっとした出来事を3分おきに教えてくれる。それに対してちゃんと応えるジェームズ。「さすがだよ、ミシェル」「その調子だ!でも遠くは行き過ぎちゃダメだよ!」

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そしてふと、僕たちが子供の頃は良かったよね、という話が始まる。インターネット普及前の時代への懐古趣味は万国共通らしい。

「だってスマホのない時代に育った僕としては…この時代、若い子達、特に女の子が生きて行くのって大変だと思うよ。スマホを開ければ自分と似た年頃の子がいて、その子と自分を比較しがちになるじゃない?だから親として、僕は娘をそういうものから守ってあげないと思ってる。」

ジェームス、至極まっとうなことを言う。確かに昔は、自分の価値を手の中にあるデバイスにいる他人に照らし合わせることもなかった。だから、基準というものがもっと曖昧で、一人ひとりの輪郭がしっかりしていたのかもしれない。

「だから、娘が7歳ぐらいになったら、1年ぐらい海外で過ごそうかなと思ってるんだ。半分はイタリアで、もう少しは日本で。様々な価値観に触れること、大事だと思うから。」
そう言いミシェルの方を愛おしそうに見つめる。

ジェームズ一家の世界ノマド計画!なんと素敵な!!
「いいんじゃない!!聞いてるだけでワクワクするわ。私が言うのもなんだけど、自尊心や自信をどう持つかって、環境の影響も多いから。いろんな価値観に小さい頃から接するの、とてもいいと思う。」と私。

「そうなんだよね。だから僕はこれからを生きる女の子の父親としてできるだけのことをやってあげたいんだよね」とジェームズ。
ジェームズ、最高か。。。こんなパパ私もほしかったよ。

「パパー!!」少し遠くからミシェルの呼ぶ声が聞こえる。
「パパー!ねぇ、これ見てよー!!」と。

ジェームズは苦笑し、「ちょっと娘の相手をしなきゃ。あっち行ってくるね。また話そう」と声のする方へ向かって行った。

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5歳の女の子の世界は無限だ。きっと大人になった私が気にも留めないことに、目を輝かせながら夢中になって。全てが新しい発見で、全てが自分のもの。そう、無敵なのだ。

そんな二人を眩しく思いながら、ふと思う。みんなミシェルのような時期があったはずなのに、人は、いや私は、いつから幼い頃の天真爛漫さを、世界が自分の味方をしていると信じて疑わないキラキラした無敵さを、なくしたのだろう。

人生が進んでいくうちに、やりたい、伝えたい、のような「〜したい」という気持ちを封じ込められていく。その代わりに、やらないと、伝えないと、のような「〜しないと」という自分の意思とは違う思いで動かないといけないことが増え出した頃からか。

はたまた、失敗が積りに積もって心がぽきって折れてしまって、折れてしまうぐらいなら失敗しないように、折れないようにより安全な道を選んで行くようになった頃からか。

あのキラキラした無敵さは一度落ちてしまったら、二度と手に入れることはできないのか・・・四方でコンクリに囲まれた部屋で眉間にシワを寄せながら仕事をしている私に必要なのは、そんなキラキラな気がする。それを失わないでいれたら、失ったとしてもまた手に入れることができたら、もっと自由にいろんなことができるのかもしれない。

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実はこの家族には実はちゃんとしたお別れを言えないまま、帰路に着いた。当時の写真を見ると思い出すのは当然仕事ではなく、この家族のこと。登場人物の名前をミシェルやジェームズとしていたことから気づかれたかもしれないが、正直名前も覚えていない。だから広いネットの海で探し出すこともできない。

あの会話をしてからもうすぐ2年が経つ。「娘が7歳ぐらいになったら…」のタイムリミットが来てしまった。今の世界の状況を考えると、ジェームズ一家の世界ノマド計画は明日・明後日のうちに実現できるようなことではない。

今年は難しいかもしれない。でももしかして来年や再来年とか、東京の片隅でまたあの3人に、そして前よりもひとまわりもふたまわりも大きくなった無敵でキラキラしたミシェルに出会えるんじゃないかと、こっそり思ってる。

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