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社会人1年目の記録

留年による2度の新卒就活から短期離職まで、私がどういうことを考えて仕事を選び、実際働いてみた感想をまとめてみました。

もっと最短で進みたい道を選べたら楽なのに、どうしていつもこんなに遠回りしているんだ、と嫌になることもありますが、私は実際経験しないと学びに繋がりにくいところがあるので、ある意味これが最短なのかなーと思います。ただの生存性バイアスかも?

ただ皆さんには、あんまり無駄に苦労してほしくないので、もしもこの話が何かのヒントになってくれたら嬉しいです。
長いので飛ばしていただいて結構です🙆‍♀️

第一回新卒就活:ピラティス

最初の就職活動(留年確定前)では、体を動かす仕事&資格取得できることの2点を軸に行っていました。自分が机に向かって黙々と作業する様子は全くイメージできないし、何よりそんなことをしていたら確実に体に悪い。体に悪い仕事をした上でわざわざジムやなんかにお金を使うなんて馬鹿馬鹿しい、それなら自分も健康でいられることで、かつお金を稼げたらラッキーじゃないか、と考えていました。

エステやマッサージ、ヨガなど健康そうで資格も取れる会社をひたすら見ていました。そんな中で出会ったのがピラティスです。当時はピラティスのPの字も見たことがなかったのですが、会社説明会に参加してみるとめちゃくちゃ面白い。ピラティスがいかに素晴らしいものであるか、ちょっと宗教かな?と思うくらいの熱量で教えてもらい、もうその時に絶対ここに入る!と決めました。ありがたいことに選考は順調に進み、5、6月頃には内定をいただきました。内定者にはレッスン受け放題の特典があったり、実際にスタジオで受付バイトをしたりなど、もう働く気満々でいました。

ところがどっこい、なんと卒業目前の2月末に留年が確定。これは完全なる自分の不注意だったのですが、マジ泣きました。もうお先真っ暗。
留年しました、入社できません。と泣きながら電話したところ、22卒での内定は取り消し、でも次の23卒で採用しましょう。とのこと。まじか良かった、九死に一生!!と思ったのも束の間、なんと6月の面接で落ちました。なんでだよー!!!と泣いたし、もう就活も終盤の時期、これからどうしたらいいんだ…とか言っている暇もなく、次の就活へ…。
(今思うと、23卒での採用については私が何か勘違いをしていたのかもしれないですがね。口約束でなくちゃんと文書にしてもらうべきだった)

第二回新卒就活:エンジニア

就活真っ盛り

休んでいる暇なんてない、22年6月末スタートの就職活動。もう終盤に差し掛かる時期で、枠が残っている企業も残りわずか、おまけに留年ありというなかなかに厳しい条件…。焦る中でとりあえず就活サイト登録、エージェント登録等々。

この時の就活の軸は、エンジニア職&IT系上場企業。エンジニア職ってこれからの必須スキルになること間違いないし、フルリモートも可能なら世界中に行ける!という考えと、ピラティススタジオでアルバイトをする中で、いきなりピラティスインストラクター目指しに行かなくてもいいかも?と思ったからです。ピラティスインストラクターって今けっこう飽和状態にあって、少し前ならまだしも、今の状態だといわゆるドリームをつかむのってちょっと難しそうだと考えたからです。あとは、純粋に社会人になるのに興味がありました。机に向かって黙々と作業するなんて…と思っていたけど、それもある意味経験かな、それをやるなら新卒の方がビジネスマナーとかも学べるしいいかも、と180度くらい転換しました。
あ、ちなみにこの時期は就活垢作って、nnt界隈にいました。限界すぎ😇

入社後

ありがたいことにいくつか内定をいただいた中で、最終的に入社を決めたのは、憧れガーデンプレイスにオフィスを構えるIT系企業。最後は完全に勤務地で決めました。だって憧れるじゃないですか、田舎者ですから!結果的に退職しましたが、ガーデンプレイスで働けただけでも収穫はありました😂

退職した理由は、焦りが大きかったです。自分がここでやっていけるのか、今の年齢と、理想の人生までの時間に間に合わないんじゃないかという不安や焦りに駆り立てられていました。
それにプログラミングがこれっぽっちも理解できなかった。そもそも私、過去に1度10万円くらいのエンジニア講座に入って、半分行く前にリタイアしてたんですよ。お金払ってまでやったことなのに克服できなかったんだから、ちょーっと自分には向いてないなと、その時気づいてほしかった…!そんなこともすっかり忘れ、エンジニアなんて目指しちゃったもんだから、研修に全然着いていけず…。
だから経理に配属されると決まった時は、むしろとてもラッキー!と思いました。
経理での仕事は、新卒ということもあって簡単な仕事ばかりだし、絶対に自分から進んで選ぶことはなかった道だから、新鮮で面白かった。ただ、めちゃくちゃ暇。一時期本当に仕事がなくて、聞いても何もない、勉強も勤務時間中はダメ、そうなってくるとまた不安が押し寄せます。このままずっとこんな状況なのか、配属期限が切れた後にエンジニアに戻されたらやっていけるのか、そんな風にどうしようもないことを考えては不安になりました。今考えると焦り過ぎていたし、不安から逃げちゃっていました。

そんなこんなで、こんなにぐるぐる考えているのもったいなくない!?それならいっそ、前からやる予定だったダイビングの仕事を、早めに始めちゃおう!と思い立ち、またも急転換。ダイビングインストラクターの就職活動を始めるのでした~

ダイビングショップ

ダイビングの仕事をしようと思ったきっかけは2つ。海が大好きで、できたらずっと海と関わる仕事をしていたいと思ったから。そして、ダイビングも世界中にスポットがあって、一度資格を取れば、世界の海で働けるから!こんなん最高じゃん!と、前の会社に入る前から、次の人生プランとして組み込んでました。
ただその時は沖縄とかの現地型ショップを想定していましたが、今回はまだしばらく東京にいたかったので、都市型ショップで探しました。なので、この時の軸は東京で資格取得しつつ働けるショップ&副業可であること!予定していた副業は、ピラティスインストラクター。3月のうちにマットの資格は取っていたので、実は新卒で入った会社でも、いつからなら始められそうかずっと狙っていました。

ただこの条件がなかなか厳しかったです。初級ライセンスしか持っていない状況で資格補助を受けられて、かつ副業ができるショップは、本当に数店舗といったところでした。その中で選んだのは、業務委託契約で副業しつつ、働いていく方法でした。フリーランスは正直不安でいっぱいでしたが、ミカさんや友達に背中を押してもらい、えいやっと飛び込みました。

都市型ショップの闇?

2回目の面接くらいから、おぉ~ん?と思うような点がいくつかあるものの、もう退職決定してしまったし、ここでやるしかない!と覚悟を決める。
結果的に、やっぱり初めにおぉ~ん?と思った感覚は間違ってなかったと思う。ダイビングも何回か行けたし、マイ器材も少し買えた。初級ライセンスから中級になり、海に関する知識も、やる前よりは確実に増えました。

どうしても許容できなかったのが、営業方法です。都市型のダイビングショップではわりとあること(らしい)なのですが、マッチングアプリでマッチした人にスクール契約を持ち込む方法でした。
会社の方針として、色恋的な営業は一応NGではあるんですが、実際に契約をとった人の話を聞くと、やっぱりそういう要素はあります。もうその時点で人を騙しているようで本当に嫌で辞めたくなったし、ツアー自体も、高いお金を払っていく価値があるとは思えませんでした。
それでも資格は取れるし、アプリ以外の方法も試し始めたところだったので、まだ続ける気はあったんですが、1日休みを挟んだところからギリギリ保っていたところが崩れて、結果11月末に退職。

田舎者プライド

新卒1年以内で短期離職×2とかやばすぎるし、もう社会のレールの上には戻れなくなってしまうことがずっと怖かった。でも仕事内容も耐え難いものがあるし、何より生活がままならな過ぎて、これはもうどうしようもないと、実家に帰ることにしました。実家に帰るという選択肢も、ずっと提示されてはいたけどなかなか選べなくて、1周回ってやっと選べたことでした。何しろ地元を出る時、サライとかカントリーロードのような気持ちで出て来たので、地元に戻ることは負けみたいで悔しかったからです。(これも余計なプライドかも)

学んだこと

就活の軸って本当に大事だった

こうして社会人として2社経験しましたが、どちらもかなり異なるタイプの仕事ですよね。
就活の軸も大きく違っていて、1社目では自分がいかに成長できるかという点、2社目では好きなことに全振りしてみた点です。

それぞれの結果として、まず前者では、自分の成長に期待しすぎました。私は往々にしてこのようなことがあるのですが、自分の能力や成長に過度な期待をしては、その高い壁を超えることができずに焦っていました。焦りは余計なことしか生みません、不安を生み、もっと自分を信じられなくなり、結果迷走しました。これも余計なプライドの弊害でしょうね。

後者では、自分の仕事に対する潔癖症みたいなものを感じました。売っている側として、その商品には本当に価値があるのか、営業方法は胸を張って言えるものなのか、もうこんなことが気になってしょうがなくて、そこに許容できない範囲のものがあるとどうもやりたくない感情が先に立ってしまうんです。
例えばピラティスだったら、私はどんなにいいものか勉強し、体感しているから胸を張ってお勧めできる。多少値段が高くとも、クライアントに無理をさせない範囲でだが、売れる、と思う。だけどダイビングは所詮娯楽。本当に楽しいし好きだけど、そんなに大金を払ってまでやることではない。

私にとって1番重要なのは、その商品に提供するだけの価値があり、正しいと胸を張れる売り方をすることだったのです。1周回って、最初の就活が一番自分の軸に沿ってたような気がしてます。

2年間自主強制実家生活

今一番興味があるのが、NPOやNGOです。利益を得ることに潔癖を発症するなら、いっそ利益中心ではない働き方ならいけるのでは、という仮説です。NPOやNGOですから、お給料はあんまり望めません。なのでそれまでお金を貯めるのも兼ねて、実家でじっくり自分と向き合う時間をとっていく作戦です。

方針自体は我ながらグッドアイデアだと思うのですが、なにぶん余裕のない状態で考えたことなので、一度ちゃんと落ち着いてから改めて考える必要があると、これまでの行動で学びました。
それに実家なら、仕事もすぐにはやめられないので、焦りがちな自分のちょうどいいストッパーになるかなと期待してます。2年くらいはいようと思うのですが、早くもこれ2年は長過ぎでは?と思い始めました。

その間の仕事としては、公務員いいなーと思ってます。これは私にとって大きな変化で、これまでの私だったら公務員だけは絶対にナシ!でした。でも一番やってみたかった仕事が今募集ないみたいで悲しい。

ちょっとポジティブに

仕事について、かなり長くなりましたが大体こんな感じです。冒頭にも書いたように、本当はもっとスムーズに事が進んでほしいし、紆余曲折とかそんなんやってる時間ないんだけど!と嫌になります。

でも、なんだかんだで楽しんじゃっている私もいるんですよね。仕事や職場って特に、その中にいる人しか見えないものがたくさんあって、そんな風に見えないもの・知らないことを知っていけることが、とても楽しいです。

こんな体当たり勝負みたいなのは本当疲れちゃいますが、なかなかできる人も多くないですよね、きっと。
そしたらこんな私の経験も、誰かの学びの糧になってくれるんじゃないかって、そう願います。最後まで読んでくれた方、ありがとうございます❣️

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