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2023.3

踊ったときの書き付け第二弾です。

その6

今日あんまりしっくりこなかったのは、音を細かく聞けていなかったから。ただ音をじっくり聞いて、そこに乗るだけ。腹で踊るという四世(確か)井上八千代さんの言葉。ああやっぱり私は芸を極めている人をずっと見ていたいと思う。かっこいいと思う。

扇子が閉じてきて焦ってしまったのもあったなあああ。

入れてないな、と思ったのと、周りをちゃんと見渡せてなかったのは割と関連してると思う。あと、メインキャラクターのジャケットも拒まずに着ていくことが今後必要になっていくでしょう…。腹括ろう!あとpunking、肘から先の力を抜いてるんや。

私はパンクだ!

袖を通すときの安心に包まれる、ふわふわよりももう少し重たさのある空気が身体に滑り込んでくる。締める。力の入る位置が少しズレる。

この場においてみたいもの。残してみたいもの。じっくりとした流れ。袂のリズム。

その7

私が知ってる踊りを通じて、何かを感じ取ってくれる人がいたんだな、という嬉しさ。

ポストモダンについてもう少し調べてみるとreferenceが見つかりそう。

即興で踊るということ。何回も繰り返して繰り返して稽古してきた振りを披露する場とは全然性質が違ってる。そこで、身体が結局どう動くのか。普段から身体をどう動かしているのか、がもろに出てしまう。だから稽古場は普段の生活になる。身体の真ん中への力の入れ方とか、ちょっとした手の動かし方とか。型を習って直して踊って覚えてきたものをなんとなくこうかなという感覚を頼りに姿勢を作っていく。着ているものを確かめてああ今ここにいるなと改める作業はもう少し時間とってやってみてもいいかも。結局やっぱりちゃんとお稽古に行きたいというお気持ち。あとはもうひたすら音に任せる。メロディが主軸になっている曲やから、必然的に手の振りが増えるのかもしれないな、と納得。ちょっとここ月火は三味線で踊る時間を意識的に増やそうと思う。

自己表現とかいうけど、それはなんか結果的に書いちゃったものとか出てきちゃったものに勝手に受け取ったものが何かを見てとってそれが自己ってことにされるんだろうなとか思ったり。音楽をやってる人の話も聞いてみたい。

影を見るのが好き。花びら一枚一枚の重なり方、少しずつずれた葉っぱ。葉や花の間に作られる小さな隙間。思わず指をそうっと添えたくなるような緩やかな草の曲線。色がなくなる。光の煌めきがなくなる。黒の濃淡だけで表されるそう言ったものたちは風のリズムに合わせてこ気味よく揺れている。背丈の違う草花が重なり合って色の濃さを作り出すのが綺麗だと思う。それは息が止まるようなハッとする美しさではなくて、自然とスーッと風が身体に入り込んで気付けば気持ちよく息ができているような美しさ。ここに突っ立ちながら、時々ぼそりと宇宙人の話をできる人の人生は少しのぞいてみたいんだよなあ。

その8

今日は、これまでで一番、入ったな、と思えた。でもそのぶん、姿勢に意識がいってなかったように思う。照明があるから、めっちゃ舞台と距離が近くても顔が全然見えない。あの感じはすごく好き。

Tightをもっと楽しんでることが伝わるポーズができたらよかったなあ。

その9

今日もまた動くことに気を取られてしまっていたのかもしれない。姿勢に意識はあった。もうちょっと袂と遊んでいたいとなんとなく思いながら踊っていた気がする。言葉で考えていないのは確かです。Missing worldは上手側にある。知ってる人が来ているとなると否応なくその人の存在が脳裏に浮かび上がってくる。でもやっぱり顔を上げた時にふっと浮かび上がってくるのはじいちゃん。みてて欲しい、会いたい。これは最近過去が美しいという話を友達から聞いたりしたことに影響されているのは間違いない。でも遠い過去と知らない土地は繋がっているように思う。論理的に考えれば違う気もしてくる。でも今の自分が立っている地面からはずーっと遠くに広がる景色のように思える場所なんだよな、両方。視線の先にあるのはその2方向。とりあえず懐かしさに釣られて顔を上げてみたけどここにいる感覚が急に現れてぐらつくから着ているものを確認する。流れる音楽にただただ合わせて新しい景色に惹かれて走る。遠くを望む、振り返る。心地のいい音楽が鳴っているから舞う、舞う。知っていることをする。繰り返す。光の方向へかけてみる。どの角度で止めたら「ええかっこ」なのかは私の身体が一番知っている。撫でる振りが出てくる、身体から、それが沿うのではと思う。

着物を羽織らないとなんかうまく動かない。腕が急にただの腕になるし、「私」がそのまま剥き出しで放り出されている。Not prepared. 馴染んでいるはずのフリが出てこない。というかそれっぽくてもそれはただただ私の腕の動きでしかなくて、人様に踊りとして魅せられるものではない、と思ってしまう。魅せるもの、となると、美しくありたいという欲が出る。私の踊りは衣装ありきだ。

踊りはそもそも身体の限界を目指すものなのか果たして?「すごいでしょ」はやっぱり美しくないんだよ。

自分から行くときと待っているとき。周りへの意識の配り方がこんなにも変わってくるのかと。体重を間に持っていって重さをかけるって難しい。

ちょっとしたコミュニケーションをとったか取らないか。

明日は扇子をすぐに開かないでおこう。ため。

文体を楽しむ読み方。感性―――。

思考していない。沈んでいない。

その10

今日は空っぽで踊った。スーッとただなぞるような気分だったような気もする。頭から上の重さが今までと決定的に違ったような?今日一つやってみたことは、いつも以上に体重を後ろに後ろに持っていくということ。近代的西洋的美と伝統的とされる美が合わさった博多人形のイメージ。上村松園。それと直接関係があるかはわからんけど、今日は立ち上がってからの姿にいつもよりたっぷり時間をかけたくなった。走り出してから止まるときの振りも昨日より一息ついた時間があった。それは少し好きだった。友達が撮ってくれたビデオをみたことは確実に影響しているんだろう。歩幅のバランス、後ろへののけぞり具合、頭の中のイメージとのずれ。その間を埋めるのにより時間をかけてみる。思っているところへと置きにいく。明日は、じっくり着物を確かめながら踊ろう。

武原はんさんの踊りを見たこと。レファレンスをひたすら頭の中で思い描く。

Started to feel like I moved a little too much, so I decided to reflect purposely by using language.

小さな拍手、控えめで少し遠慮がちで、嬉しかった。


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