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Bence Nanay, Aesthetics as Philosophy of Perception (第七章: The History of Vision)

Nanayの 『知覚の哲学としての美学(Aesthetics as Philosophy of Perception)』の第七章「視覚の歴史(The History of Vision)」について読んだのでメモ。

第二章の「分散した注意」に関してはこちら。

本章の目的

さまざまな美的現象(たとえば美的経験や唯一性、絵画の美的判断など)において重要な役割を果たす「分散した注意」は、歴史的に比較的新しい現象で、時代や文化によって非常に異なった形式をしているということを示す

方法論・議論の進め方

方法論

美術史や美学の議論をもとに検証していく

議論の進め方

- 7.1「視覚は歴史をもつ」とする主張を支持する論を説明する
- 7.2「視覚は歴史をもつ」とする主張への反論を説明する
- 7.3 両者の折衷案を提示する
- 7.4「視覚は歴史をもつ」という主張に関する曖昧な部分を明確にする
- 7.5「視覚は歴史をもつ」という主張を掘り下げる2つのステップを説明する
- 7.6「二層注意(twofold attention)」に注目し、注意の変化から知覚現象学の変化を推測する
- 7.7 絵の鑑賞時に行使する視覚注意の割り当て方が16世紀に変化し、絵をみるときの視覚経験も同じく変化したと結論づける
- 7.8 視覚的注意を行使する方法には文化間の差異もあることから、視覚は歴史を持つという主張の補足をする

7.1 で、「視覚は歴史をもつ」という主張に同意する意見をまとめている。美術史家のHeinrich Wölfflinは、「視覚それ自体が歴史を持ち、視覚の地層を明らかにすることが美術史の主要な仕事である」(Wölfflin 1915/1932, p. 11)といい、Alois Rieglは古代ローマ人と現代人の世界の知覚方法は異なっているといった。また、19世紀と20世紀の芸術、歴史、美術史、美学の議論において、歴史と美術史が少なくとも部分的には視覚の歴史から理解されうるという前提がある。

一方、7.2では、「視覚の歴史」への反論がまとめられている。Dantoは、視覚がモジュール化されており、視覚の解釈は歴史を持つが、視覚それ自体は歴史を持たないと主張した。David Bordwellは、視覚は変化しない(hardwired)と論じ、私たちの視覚システムの機能は、進化によって決定されるが、文化の影響によっては決定されないと主張した。
DantoとBordwellへの反論は二通りある。

1. DantoとBordwellのいう「視覚」という用語が指す内容について
2. 「視覚はモジュール化されている」という仮定が間違っている

2に関しては、脳の神経可塑性の研究によって、知覚プロセスの大半が進化によって決定されているということから否定される。なので、以降の節で1の「視覚」の用語の違いについて言及していく。

7.3では「視覚には歴史がある/ない」の二項対立で論じるのではなく、いくつかの側面では歴史をもち、他の側面では歴史を持たないというアプローチで議論を進めていく。ゴンブリッチは「Art and Illusion」で視覚(vision)とスキーマ(schemata)を区別し、歴史の中で変わるのは視覚ではなくスキーマだといった。David BordwellやTom Gunningも、視覚(vision)と視覚能力(visual skill)を区別して構造的に似た主張をしている。また、Michael Baxandallは一般的な「視覚の様式(mode of vision)」は歴史を持たないが、絵をみることに関する特定の視覚能力は歴史を持つように思われると主張した。

7.4では「視覚は歴史をもつ」という主張の曖昧な部分を明確にしていく。この一見するとシンプルな主張は2つの曖昧な点を持つ。ひとつめは、「視覚(知覚)が何を意味するか」だ。本章では知覚内容を「知覚の現象学(perceptual phenomenology)」として解釈する。ふたつめは「(視覚の歴史について語るとき)視覚とは何の視覚のことなのか」というものだ。ここでは、知覚の範囲を「特定の文脈における知覚」とする。

7.5では「視覚は歴史をもつ」という主張を次の2つのステップで説明する。


1. 視覚の現象学は体系的に視覚的注意(visual attention)に依存する
2. 視覚的注意は歴史をもつ

1は、第三章の「不注意による盲目(inattentional blindness)」現象が表すように、注意は私たちが経験したものを変化させうることから、正しそうに思える。つまり、視覚の現象学は視覚的注意に依存する。2に関しては、以降の節で、絵画と文字記録をもとにして16世紀の間に視覚的注意が重要な点で変化したことを論証する可能性を探っていく。

7.6では、「視覚的注意が歴史をもつ」ことを示すために「二層注意(twofold attention)」に注目する。注意の変化から知覚現象学の変化を推測するには、

1.  私たちの目の前にある光景が同じである 
2. しかし、注意は異なった方法で行使されている

という2点をともに満たすケースを説明する必要がある。
今回は、一般的な文脈での分散した注意についてではなく、特定の文脈(絵画を鑑賞する文脈)での分散した注意が歴史をもつことを論証する。絵画を鑑賞するとき、現代人は絵画の表面と描写されているものの双方に同時に注意を向ける(二層注意)。この二層注意を昔の人が行使していたのかを、絵画の特徴の変化から推測する。

7.7では、design-scene性質への注意に歴史があるのかを探っていく。現代の私たちは絵を見ている時、絵の表面の特徴と描写されているものの特徴との関係に注意を向け、美的に絵画を鑑賞する。この二層注意を行使していない時代があったということを、絵画の特徴から推測する。たとえば、アルチンボルドの絵や、《最後の晩餐》、《ヘリオドスの追放》を正しく評価するにはdesign-scene性質に注意を向けることが必要だ。このような二層注意に積極的に依存する作品は16世紀中頃に突然出現した。一方、アルベルティの『絵画論』(1435)からは二層注意が必要とされていないことが読み取れ、15世紀イタリアの絵の知覚に関する文献を徹底的に調べたBaxandallによると、15世紀の教養あるイタリア人鑑賞者が絵の表面の性質に注意を向けていないようだ。以上から、暫定的にだが、15世紀の西ヨーロッパでは絵の鑑賞の際に二層注意は求められておらず、16世紀後半には教養あるイタリア人は絵を見るときに二層注意を行使していたことがわかる。つまり、絵の鑑賞時に行使する視覚注意の割り当て方が16世紀に変化し、絵をみるときの視覚経験も同じく変化したと結論づけることができる。

7.8では二層注意が歴史をもつという主張の補足をしている。もし注意が文化や歴史を超えて一様であるなら、7.7の主張は弱くなってしまう。なので、文化ごとに異なることを示す。たとえば、ここ十年ほどで、東アジア人と西洋人が視覚的注意を行使する方法が異なることを示す研究が多く発表されるようになった。西洋人は焦点となる物体に注目し、東アジア人は背景の文脈に注目しがちであるという特徴が挙げられる。西洋人と東アジア人の注意を行使する方法には違いがあり、それは文化的なものである。つまり、それぞれの地域の人が社会化されてきた方法が歴史の中で大きく変化したから生まれた差異だと考えられる。ここからも注意が歴史をもつことがわかる。
一方、本書のテーマである「対象物には集中し、対象物の性質には分散した注意」に関しての異文化的側面については何も主張できないことに注意しておきたい。というのも、本章で挙げた研究は、「どのような対象物に注目したか」に関するもので、「対象物のどのような性質に注目したか」についてではないからだ。

本書で述べてきたことの基本的な歴史的性質についての、非常に暫定的な考察は次のようなものだ。もし16世紀のある時点で絵への注意の向け方が変化し、それが分散した注意の亜種である二層注意と関係があるなら、本書でこれまでに分析した美学の重要な概念はすべて、ある意味で16世紀以降の(西洋美術の)歴史的時代に根ざしているということはおかしくないだろう。わたしたちが知っているような美的経験や、美的鑑賞、現在理解しているような独自性の感覚、これら全ては歴史的に限定された範囲を持つ概念だ。それ以前の人々の芸術作品(や、美的な方法で経験している自然やすべてのもの)への関わり方は、かなり違ったのかもしれない。そして、美学は世界とかかわる独自の方法として、比較的新しいものなのかもしれない。

結論

知覚内容を「知覚の現象学(perceptual phenomenology)」、知覚の範囲を「特定の文脈における知覚(絵を鑑賞するときの知覚)」とすると、「二層注意」は16世紀のある時点からヨーロッパにあらわれたので、昔の人は現代人と違った形式で注意を行使していたように思われる

自分はどのような立場をとるのか

目的

昔の人と現代人が同じように絵を鑑賞していたのではないかという疑問は、意識していなかったが言われてみれば確かにそうだなと面白さを感じた

方法論、議論の進め方

  • 視覚に歴史がある/ないというこれまでの議論を紹介し、互いの「視覚」という言葉で言及したものが異なることを示したあとに、視覚現象学を用いて両者の主張をうまくまとめていると思った

  • 根拠も、絵の描かれ方の変化や美術批評、文化による注意行使方法の違いなど多角的な面から検証しており、面白い

結論

  • 16世紀ごろに、「二層注意」という方法で絵が鑑賞されるようになったことから、確かに視覚には歴史があるのだなと思った

  • 注意の行使方法に変化があることから、美的経験や美的鑑賞などの美学の他の領域も今と昔で違っていそうだという影響範囲の広さも興味深い

  • 一方で、何がきっかけで二層注意が広まったのかも気になるし、もっと細かい時代区分での注意の向け方の違いをトラッキングできたら面白そう。ただ、根拠を集めるのが難しいか

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