見出し画像

『デリシャスパーティプリキュア』における「非プリキュア的戦士」たちの悲哀(ネタバレ有)

いまさらに過ぎるが、過去記事で触れたプリキュア変身動画再生リストをダラダラ眺めていたら、キュアフィナーレにハマった。一気に 45 話見終わってしまったので、以下感想。

↑ ジェントルーでゴージャスな変身


野暮なツッコミ

感想を書く前にまず気になった点。

もともとそういうテーマで制作されたらしいが、本作が中心的に描いているのは食の消費者側の幸不幸であって、それを届けようとする側のリアルな労苦ではないという点。飲食店経営者や料理人、農業従事者あたりは多少触れられるけど、小売業者や運送業者、畜産・漁業関係者あたりはほぼノータッチだった。これら従事者からは様々なエピソードが生まれる余地があるにも関わらずだ。

最終話で主人公の母親が菜食料理を売りながら「肉や魚を使わない料理ならいろんな考えやお国柄の人も一緒に楽しんでもらえる云々」と言うシーンがあるが、彼女の夫(主人公の父親)は漁師である。そんなキャラクターにこういう取ってつけたようなセリフを言わせる程度に、本作の生産者に対する思慮というものは希薄だ。

別に漁師の嫁がヴィーガニズムを許容してもなんら問題はない。ただ、どうもそのキャラ設定に実体がないような気がしてならない。ついでにいうと、主人公の父が漁業に従事するシーンもほぼ無い。なんかエピソードが描かれるわけでもない。

(菜食料理の描写はおそらく、プリキュアたちが毎回決めポーズとして画面に向かって合掌していたことへのフォローなのだろうとは思うが)

率直な印象として、本作の世界観は食に関わる数多の労働者の存在感が妙に薄い。そんな世界で主人公たちはハラペコってデリシャスマイルしてパワーをみなぎらせている。

それ自体はいい。というかまったく構わない。女児向けアニメが啓蒙的である必要性などどこにもなく、プリキュアは NHK の教育アニメでもない。純然たる娯楽作品である。食べ物を大切にして、作ってくれた人に感謝。そのレベルの描写がなされていれば十分。

にもかかわらず野暮を承知でこういうことを書くのは、本作が 1 話冒頭において飲食店の閉店ラッシュや、「敵の攻撃によって味が変わってしまう」という異常を描いてしまっているからだ。

これらが現実のパンデミックを意識した描写であるのは間違いないが、実際にその苦境にある家庭が、本作を見てどういう感想を抱いたかはわからない。彼らが味わったのは「お料理の妖精が奪われたせいで店の味が失われた~」みたいな生易しいものではないだろう。そもそも「味が変わる」という症状は、「閉店」の原因ではない。ここを混同しているあたりも思慮のなさを感じてしまう。

つまり、作品冒頭では飲食店のリアルな苦境をそれとなく描写しながら、他方では彼ら、および関連する労働者をどこか無化するような世界観を描いているように思えてしまうのだ。考えすぎだろうか。

本作、農林水産省の覚えもめでたいようだが、もう少し現実的な描写があっても良かったと思う。結局のところ、本作においても食はモチーフであってテーマではない。セーラームーンたちが惑星の名を冠しながら別に宇宙開発をやるわけではないのと同様、主人公たちは飯にまつわるネーミング、必殺技を放ちながらも、食に携わる多くの人々の立場を代弁しているわけではない。というか、ラスボスの動機からして食がまったく関係ない個人的な私怨だったりするので。

和実ゆいという謎


白米無罪
デリシャスパーティ プリキュア 東映アニメーション 公式ウェブサイト より)

こういうリアルな部分への深入りを妙に避ける姿勢はキャラクターに対しても同様で、端的には主人公の和実ゆいと、追加戦士の菓彩あまねの二人が顕著だ。

主人公である和実ゆい(キュアプレシャス)はいわゆるハラペコキャラだ。とにかく胃で考えて拳で決断を下す、苦境に接すると祖母の言葉を引用して機械的に対処、そういうサイヤ人的思考で行動している。彼女の内的な葛藤であるとか、信念が揺らぐシーンというのは終盤近くまで描かれない。

そもそも彼女のプリキュア化自体が「レシピッピを守る」という、余人からすればピンとこない動機に端を発している。もちろんそれは「食べる人の笑顔を守る」ということにつながっているのだが、「この町を守る」「この味を守る」とかのほうが共感はしやすい。

加えて、しばしば引用される祖母の言葉というのが、言っちゃ悪いが、どうにも年長者らしい重みに欠けており、妙に自己啓発的なフレーズが和実ゆいの口から自動再生され、とりあえず話が進んでいく。

あと、理由は不明だが彼女だけ自分の店がまったく敵の被害に遭わない(他の三人にはある)。作品全体に、彼女が問題の当事者に陥るのを巧みに避けているようなところがあって、祖母譲りではない彼女自身の思想がいまいち掴みづらい。

菓彩あまねという謎


本作最大の目玉かつ問題児
デリシャスパーティ プリキュア 東映アニメーション 公式ウェブサイト より)

菓彩あまね(キュアフィナーレ)の場合は逆に、葛藤するに余りある設定を持ちながらその詳細がまったく描写されない。

なぜ彼女が洗脳の対象として選ばれたのか。一方的に洗脳されていただけとは思えない、その苦悩の理由はなんなのか。明らかに他のキャラと異なる口調、老成しすぎた性格、文武両道のハイスペック、非プリキュア的な声質の正体はなんなのか。これらがまったく描かれないまま終わってしまう。「光堕ち」「追加戦士」というコンセプトだけで強引に動かしている感は拭えない。

そもそも菓彩あまねというキャラクターには生活感が無い。他の三人のように家の稼業に対する描写が希薄だし、親の存在感も薄い。実質的な保護者が二人の美しい兄という点も、彼女の生活感のなさに拍車をかけている。

私は菓彩あまね(キュアフィナーレ)の声とデザインが好きだ。冒頭に書いたとおり、これがなければ本作を見ていなかった。他方で彼女自体が、存在を無視しても展開上なんら支障はないキャラという、文字通りデザート的な存在になってしまったのは非常に残念だ。なぜ制作陣はこうも彼女の過去を描くことを避けたのか。

(もしかすると当時の世相が影響しているのかもしれない。本作はシリーズ序盤でロシアによるウクライナ侵略が始まり、菓彩あまねが復帰したあたりでは安倍元首相の銃撃事件が起こった。プリキュアは女児向けの番組だ。かけがえのない仲間が「敵」だった合理性や、あるいは「洗脳」そのものの描写を躊躇するような意向が制作陣内部にあったのかも知れない。ちなみに、めちゃくちゃユルい描写ではあるものの、彼女以外のブンドル団構成員はラストで投獄されている)

追加戦士、品田


東映アニメーションよ、彼にも変身バンクを
デリシャスパーティ プリキュア 東映アニメーション 公式ウェブサイト より)

だが、これら描写の浅さはある意味で全体的な見やすさにもつながっている。確かに物足りなさはあるが、かといって大きな破綻もない。ストレスを覚えるような、面倒な関係性も特にない。

何より、このおかげでキャラクターがストーリー上のパーツとして機能している面はある。和実ゆいは主人公なのにいまいち考えの読みづらいドーナツの空洞のようなキャラだが、ゆえに周辺のキャラクターのワチャワチャが活きている面もあり、中盤まで狂言回し、終盤では物語を締める主人公として機能している。

(とにかく本作、キャラクターデザインが破壊的に可愛いのだ。さらに声優陣も実績才能に満ちている。キャラクターが動いて喋ってるだけで楽しいという体験は久々だった)

しかし本作の妙味というのが、メインストーリーを推進させている異世界クッキングダムおよび近衛兵士クックファイター周辺の話で、これが妙に少年漫画的なのである。

で、ここで品田拓海というキャラクターに話を移す。

彼は和実ゆいの幼馴染で、昔から密かに彼女に想いを寄せている。

(ちなみに幼馴染だけど学年は一年上なので周囲からは「拓海先輩」と言われるが、和実ゆいからだけは「拓海」と呼び捨てにされている。この関係性は非常に美味しい。名前で呼ばれるたびに彼が内心デリシャスっていたのは間違いない。さらに同学年の菓彩あまねからは「品田」と呼ばれている。「品田許せ」は私的菓彩あまね三大爆笑セリフのひとつで、思い出しただけで笑える。これは女騎士以外の何者でもない)

品田拓海目線で本作を解説すると、ある日、(自分の中で)未来の嫁である和実ゆいが正体不明のオネエが展開する異空間で怪物と戦っていた、未来の嫁の身を案じていたら親父から譲り受けた謎の石が発光、そういえばこれは親父が大切なときに使えと言い残した大切な石で……いや未来の嫁を守るため、俺がやらねば誰がやる、追加戦士ブラックペッパー参上、未来の嫁、そしてプリキュアたちに正体を隠しながら自力でデリシャスフィールドに侵入、ほどよく加勢して撤退、このルーチンを繰り返しているうちに親父が帰還、なんと親父は異世界クッキングダムの最強の戦士だったが、冤罪を着せられて現世界に逃げ延びた男だった! そして今、親父をハメた男が現世界の征服を企み、未来の嫁が窮地に! 許さん、ゴーダッツ!

少年漫画かな?

プリキュアたちはおいしーなタウンを守るために正体を隠して戦うが、ブラックペッパーは嫁を守るためにさらに正体を隠して戦っている。真に孤独な存在であり、変身はできるけど(力として劣るという意味で)プリキュアにはなれない。そういう葛藤もある。なんなんだこの主人公は。

彼はヒロインを守るヒーローなのだ。いわばこの「非プリキュア的戦士」の導入こそ本作の特色である。

実質紫キュア、マリちゃん


あんさんが六人目のプリキュアや!(五人目は品田)
デリシャスパーティ プリキュア 東映アニメーション 公式ウェブサイト より)

ローズマリーもまた「非プリキュア的戦士」の一人だ。この手のキャラにありがちな、父性と母性のいいとこ取りしたような人工感が無くはないものの、彼の他者への慮り方やいたわりというのが妙に人間臭いのである。

これは最終話で明らかになるが、彼も内心ではプリキュアのように「強く美しい存在」に憧れていたのだ。彼はプリキュアたちに重い使命を課してしまったことを詫びつつ、憧れの存在と共闘できて嬉しかった、と語っている。

この吐露は責任感の表れであると同時に、これまで見せてこなかった彼の孤独を孕んでいる。深読みするに、彼にもまた品田拓海同様「プリキュアになれない」ことへの葛藤がどこかにあったのではないか。品田拓海の場合は「強さ」においてだが、彼の場合はおそらく「美しさ」においてだろう。

彼が 43 話で語る「メイクで挫折した」失敗談というのは、おそらく比喩的な表現なのだ。彼は人生のどこかの時点で、「強く美しい存在」には決してなれない自分を知ってしまった。表面的に取り繕えないような、理想と現実のギャップに出会ってしまったが、いつしかそれを自身の孤独として受け入れた。彼はやがて、「強く美しい存在」を見守る立場にこそ己の役割を見出し、それを全うした。いやもう、深読みだけど。

ラストはおっさん大乱舞や!


なんなんだこの絵面は
デリシャスパーティ プリキュア 東映アニメーション 公式ウェブサイト より)

ラストバトルではここに品田拓海の父、伝説のクックファイターことシナモンも加わり、おっさんが、オネエが、少年が拳を振り上げ、光弾を放ち、ビームを撃ち、叫び、負傷し、そして復活するという一体何のアニメかわからんような局面に移行する。

品田拓海もローズマリーも、いわば「プリキュアになれなかった男たち」だが、プリキュアたちの内面描写がマイルドなために、むしろ彼らのキャラクター性が妙に際立つというヘンな現象が生じてしまっているのだ。これは制作陣がどれほど意識した結果なのかはわからないが。

おそらく品田拓海(ブラックペッパー)もローズマリーも、多分にポリコレ的な要請によって生み出された。彼らの戦闘力がプリキュアに劣るのも作品上の都合だろうが、結果としてステレオタイプ的なまでの少年漫画主人公、あるいは責任あるメンターキャラを作品世界に入門させてしまっており、しかもそのキャラクター性になんら不自然さがない。

必要だったのは「男のプリキュア」ではなく、彼らのような存在だったのではないか? とも思うが、男を参戦させるためにこれほどの物語構造を用意するのはコストが高い。まあ普通にプリキュアに入れたほうがスムーズだろう。その可否はこれから検証されていくのだろうが。

中盤まではマイルドな内面描写でツルツル飲み込める演出、終盤では徐々に少年漫画化しそうになるのを、ここぞとばかりに主人公・和実ゆいが葛藤をかまして成長、ラスト 2 話ではきっちり『プリキュア』として収めた感のある本作。面白かった。しかし、鑑賞前の印象とは裏腹に、私の心にもっとも痕跡を残したのは、この「非プリキュア的戦士」ニ名をおいて他にない。

この記事が参加している募集

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?