プーチンの実像 孤高の「皇帝」の知られざる真実(朝日新聞国際報道部 駒木明義・吉田美智子・梅原季哉)

適度な角度、距離感、密度、そして“熱”を帯びたプーチン分析本

プーチンについては「スパイから大統領になった」程度の知識しかなかったため購入。
朝日新聞国際報道部連名での著作となっているが、大部分はモスクワ支局長を歴任した駒木明義氏が著している。
さまざまなプーチン関係者に対するイタンビューをもとに、その政治家像、人間像を掘り下げていく。証言者は多士済々だが、長年追い続けただけあって駒木氏自身によるプーチン描写が一番熱い。

スパイ、プーチン

プーチンのキャリアが KGB スパイから始まることは有名だが、東ドイツ時代の同僚によれば彼はいわゆる「リベラル」だったという。モスクワと比べればずっと豊かな東ドイツ生活を経て、プーチンは共産主義を内心で見限っていた。

プーチンの非共産主義的な志向は、のちのちのサンクトペテルブルク時代からも明らかだが、その一方で豊かさの源流である資本主義、ひいては自由主義を認めるまでは至らなかった。

やがて壁は崩壊し、デモ隊が KGB 庁舎に押し寄せてくる。銃を片手に決死の威嚇を行い、彼らを退けるプーチン。民衆の自由とは、彼にとって体制転覆の萌芽にしか映らなかったか。モスクワは救援を送らなかった。ソ連への失望を胸に、プーチンは妻子と共にドレスデンを去る。

いわば「プーチン:エピソード 1 」に相当するこの部分の描写は読み物として面白い(この部分は吉田美智子氏によるパート)。退けられたデモ隊が今では微妙にプーチンの胆力に魅せられている(?)のも印象的だ。これは作中でも度々描かれるが、「男気」「胆力」などを標榜する人々にとって、プーチンは非常に魅力的に映るようである。

以下、プーチンと友好的とされる人々だが……

シュレーダー
サルコジ
ベルルスコーニ
小ブッシュ
森喜朗
柔道の山下さん

ざっくりいうと保守系のおっさんもしくは体育会系と相性がいいようだ。特に森元首相と山下さんは後半でもキーマンとして登場する。

副市長、プーチン

ドレスデンを去り、90 年からプーチンは故郷サンクトペテルブルクに戻る。ここで彼は、改革派として名を馳せていた、サプチャーク市長の片腕として頭角を表していく。
副市長に就いたプーチンは、気まぐれな市長を陰で支えつつ、どんどん外資を導入してサンクトペテルブルクに欧州の風を呼び込む。やがてその辣腕ぶりから、いつしか「灰色の枢機卿」と畏れられていく。

(実はこのサンクトペテルブルク時代にプーチンは初来日を果たしている。当時対応した証言者によるプーチン像は、まさにスパイ然とした冷たいもの。ちなみに彼が最初に見学希望した施設は「講道館」。柔道スゴイ)

この時期の描写から強く印象的なのが、その絶対的ともとれる忠誠心の高さである。
プーチンは市長が再選できなかった場合、職員全員が市役所を去るという決意書を作成したうえで、自らが真っ先に署名していた。そしてサプチャークが落選した際、実際に辞めている。
自身だけでなく周囲に対しても同等の忠誠心を、そして運命共同体であることを要求するのがプーチン流だ。

このメンタリティついては証言者の一人として登場するヤコブ・ケドミ氏(イスラエル情報機関『ナティーブ』元長官)が端的に分析している。

「プーチンは誰かに仕えるということに慣れた人間だ。そして、愛国的な精神に浸って教育された。彼は共産主義やその理想に心服したわけではない。国家そのものに心服したのだ」


じっさい、プーチンは誰かに「仕える」ことで能力を発揮しているような場面が多々あるが、その仕える延長線上にあるのは常に「国家」だったということだろう。

副市長を辞してのち、失職したプーチンはとある経緯でモスクワで働くことに。96 年。その職は大統領府総務局次長。管轄は法律とロシアの海外資産で、地味なポストらしい。
しかしここからプーチンは驚くべき速度で権力の頂点へと駆け上がっていく。

たった三年で無職から大統領代行へ

98 年にプーチンは FSB 長官となるが、ここでさっそく前述の高い忠誠心を発揮する。
当時のエリツィン大統領の汚職を追及していた検事総長スクラトフ性的スキャンダルで失脚に追い込み、結果、エリツィンと敵対していたプリマコフ首相は解任。エリツィン取り巻きの政商たち(セミヤー)からも信頼を得ることに成功した。
さらに最終的には自らが首相の座に就くに至ると、第二次チェチェン紛争を利用して(これも様々な黒い疑惑があるが)、強いリーダー像を国民に印象付ける。
そして 99 年の大晦日、エリツィン辞任表明に伴い、大統領代行に指名される。副市長を辞して無職期間を挟み、わずか 3 年半ほどの出来事だ。

当時、体調面で機能不全に陥っていたエリツィンの周辺は取り巻きとして政商、ボリス・ベレゾフスキーらが寄生していた。なぜ、彼らは副市長以外に政治経験のないプーチンを候補として「抜擢」したのか?前述のケドミ氏の分析を引用する。

「プーチンこそ、『無菌状態』だった。彼にはなんの政治的基盤もなかった。経済的な利権も全く関係していなかった。」

「ベレゾフスキーは、ちんぴらのような男だった。プーチンは目立たず、誰からも求めらず、経済的基盤を持っていない点で、彼にとって理想的な大統領候補だったのだ」


つまり、プーチンは忠誠心もあれば実務能力もあるが、政治家としては無菌状態で根無し草だった。大統領になるために自ら積極的に働きかけたり、あるいは政治的基盤を築いたりしたというより、むしろ、そうしたものが無いがゆえに大統領候補として選ばれた。政商たちは彼が国家に向けた忠誠心を自身に対するものと誤認し、エリツィン退場後の保身のために、プーチンを選んだというのだ。

このくだり、まるで当時のロシアという権威主義社会そのものが彼を適格者として捕捉し、大統領の空位に「吸い上げた」かのようにも見える。サプチャークが市長選で落選しなかったら、あるいはエリツィンが不摂生でなかったら、権力の座が彼を見初めることはなかっただろう。プーチンの策謀ぶりも当然無視できないが、少し運命的な流れも感じる。

そして幸か不幸か、彼は権威主義者としても独裁者としても十全たる資質を有していた。エリツィンのように酒に溺れて「降りる」ことも無く、結果として現代に至るまでその座に居続けている。ちなみに政商ベレゾフスキーはプーチンから追放され、 2013 年ロンドン近郊の自宅浴室で死亡。死因は「自殺」とされている。

大統領復帰、そして暗転

2000 年代がプーチンの黄金期だったのだろう。原油価格の高騰もプーチン政権を後押しした。前述の通り、G8 首脳の数人とは心を開いた交流が出来たようだ。
初めての議長国を務めた 06 年サミットのプーチンのはしゃぎっぷりは今読むと少し胸が痛い。先進国の仲間入りがかなったという喜びが伝わってくる。同一人物とは思えないほどにこの時のプーチンのコメントは謙虚かつ初々しい。
08 年の時点で政界から身を退くのが彼にとっても国民にとってもいい引き際だったのかもしれない。

だが 12 年、腹心であるメドベージェフを大統領に立てた「双頭体制」を経て大統領に返り咲いたプーチン。すでにその心は欧米に対する失望、NATO への猜疑心に昏く淀んでいた。

「私たちは、ソ連とその他すべての文明的な世界を分け隔てていたイデオロギーから脱すれば、手かせ足かせが外されて、自由がその入り口で私たちを出迎え、兄弟たち私たちに剣を与えてくれるだろうと考えていたのだ」

「しかし『兄弟たち』は、私たちにいかなる剣も与えようとせず、ソ連が持っていたかつての戦力の残りさえ喜んで取り上げようとしたのだ」


14 年、軍事力によるクリミア併合。プーチンおよびロシアのその孤立化は決定的なものになった。G8 からも追放された。
上記は、15 年時点のドキュメンタリー番組『大統領』におけるプーチンの発言である。「兄弟たち」とは言うまでもなく西欧、そしてアメリカを指すが、もはや逆恨みに近い西側への怨嗟と失望をまざまざと感じ取ることができよう。

「核」を握りしめた隣人

彼はなぜウクライナに侵攻したのか? その検証は今後さまざまな角度からなされていくと思うが、個人的な動機として、プーチンが殉教の手段として戦争を選んだという見方もできるかもしれない(だとしても到底許容できる理由にはならないが)。2 年間のコロナ禍における物理的孤独も、彼のイデオロギーを先鋭化させてしまった可能性もある。

ロシア国家に対する、持ち前の忠誠心から約 20 年間大統領を張ってきたプーチンだが、ではその理想の国家像は如何なるものか。実際のところあまりビジョンが見えてこない
なので欧米や NATO への猜疑心が拠り所になってしまうし、そんな彼をなぞったようなメディアにさらに応えようとして、猜疑心の自家中毒に陥っているのではないか。

プーチンの元経済顧問、現在は米国リバタリアン系シンクタンクに所属するアンドレイ・イラリオノフ氏は次のように述べている。

「侵略者は誰かに止められない限り、侵略を続けることを歴史は示している」

「ウクライナで起きていることは、プーチンの個人的心理から起きていると私は思う」


ロシアに内在する論理でプーチンを止めることは出来ないのではないか。結局のところ、力の論理で彼を組み伏せるしか道はないように思う。無論、その過程では「核」という最悪の結末へ至り得る分岐点を、幾度も迎えることになる。

本書、さまざまな角度から、かつ適切な距離感でプーチンを描写してあるが、ウクライナ侵攻を経た今となっては、その描写さはそのまま、核を握りしめたかの老帝と地球上に同居せねばならないリアリティにも繋がってくる。平時ならともかく、現状においては読んでいてうっすらと重苦しい気持ちになるような労作だ。

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