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映画『エターナルズ』鑑賞メモ/かんそう

映画・音楽などの作品鑑賞は昔からの趣味ではあるが、ただチョコかじりながらぼーっと見てるだけっていうのはなかなかもったいない(≒優雅な)時間の使い方してんなと思って、鑑賞に際してメモを取りながら見てみた。楽しかったら続けてみようというつもり。


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※以下、作品内容への言及を含みます。─────────────────────────────────────────────

・わたしはネタバレ食らっても全然作品を楽しめるタイプの人間なので、予め軽く作品について調べて、予備知識を入れた。表題の『エターナルズ』は、宇宙誕生よりも前から存在するセレスティアルズによって、地球上の原始の人間に遺伝子操作を加えられ、ディビアンツとともに作られた種族とのこと。現代の人間・エターナルズ・ディヴィアンツの3種間での戦いがなされる?

・マーベル映画で初めて "ゲイ" と断定されてるキャラが出る。ポリコレに対するアライアンスを超わかりやすく示さないといけない現代の作品、ついその設定の必然性とかストーリーとの軋轢に注目してしまって注意力をそがれる感、否めない

・元は同じ種族同士の争いが描かれるんだとしたら、ポリコレ的にどう折り合いをつけるんだろう。現代の差別構造の揶揄?

・手話でコミュニケーションをとるキャラも出てきたけど、ヒーリングファクターを含むエターナルズの能力的に考えるとキャラ付けの必然性にかなり無理を感じてしまう。神の如き能力を持ってるから "こそ"、めちゃくちゃ変わり者に仕上がってしまったためにそういう意思疎通の方法を好んでる、みたいな設定だと、ろうあ者に対する差別的な扱いを示唆しかねない、とかでアウトなんだろうか。どうせPG-13に指定されてるんだからそういうとがったキャラが出てきてくれるほうが個人的には嬉しい

・長寿かつ神の如き能力を持つセルシ、そしてイカリスのエターナルズ側と、三角関係に陥る人間デーンの特徴が「天才的な知性を持ってること(原作準拠)」で、また、中盤からストーリーに展開をもたらすディヴィアンツの中のいちモブの特徴が主人公勢と同じく「治癒能力を保持している」っていう部分なので、序盤からメリトクラシーを匂わせる。こういうのってこれからも素直に本能的に肯定されていくんだろうか。宗教革命以降のキリスト教圏では神の存在を中心にメリトクラシー/資本主義における論理的な整備がなされたらしいけど、日本ではそれは稲作が育んだ精神性を屋台骨にムラ社会となって現れ、よりミニマムかつ直感的な形で実現された、みたいなことが書いてあった稲作と国民性の関係の記事、もう一回読みたい。

※探してきました


・スプライト役のリア・マクヒューがまじナイスキャスティング。欧米圏にもこんな「幼い」感じの俳優の立ち位置あるんだな。アジア人を描く上で「同齢の欧米の人間に比べてかなり幼く見えること」が見た目の特徴として重要になるけど、これからこういう俳優さんが増えるかもしれないと思えるのはアジア人としては嬉しい。いろんなところで言われてると思うけど、セルシ的なアジア人の起用はルッキズムの文脈というか、白人的な価値観が土台。「こういう美しく魅力的な見た目なら俺たちも受け入れやすいよ」みたいな。実際のアジア人の特徴はネオテニー(幼形成熟)感というか、白人の感性からすれば「不気味の谷」のはざまにあるんじゃないかな。将来的にそれが欧米(特にアメリカ)の肉体信仰と衝突するとき、現代の欧米社会を貫く差別感情を形作るものに、アジア人はやっと実際に触れられるんだと思う

・ドクター・ストレンジもシャンチーもそうだったけど映像中のゴールドの使い方が最高。映像のタイトな色遣いの中でキラッキラと目立ちまくるかがやき感、見てるだけで心躍らずにいられない。

・フューチャーポップを始めとする懐古主義、TikTokでもよく見られるけど、やっぱエモ的な志向のぼんやりのっぺりしたものよりやっぱ現代的な高コントラストなものが魅力的だよね、って改めて思った。てかフューチャーポップのもともとの到達点ってそこに据えられてたんじゃないの。古いものの再構成と再解釈というか。ウィークエンドの新曲では日本のシティポップがサンプリングされてるらしいですね、いよいよオーバーグラウンドに達した感


・エターナルズ/ディヴィアンツは、セレスティアルズがセレスティアルズ自身と自身たちが暮らす宇宙のために作りあげた、セレスティアルズの餌となる知的生命体を成長させるためだけの存在、という描写を見て真っ先にナウシカ原作を思い浮かべた

・原爆/ヒロシマでの出来事が、ファストスが自己を喪失して家族愛を獲得し直すまでのキーポイントとして描かれる。『ウルヴァリン:SAMURAI』でも原爆の描写があったけど、アメリカが原爆についてヒーロー映画で描くとき、どういう意図を持つんやろう。ちなその原爆描写、ウルヴァリンの能力のあまりの凄まじさが "シリアスな笑い" に達しかけててどうも真面目に見れない。てかあの映画ぜったい全体的にふざけて作ってるだろ

・X-MENのミュータントは、ディヴィアンツ的な能力を人間が発現させた結果として説明される。MCUのX-MEN導入への丁寧な誘導に感謝

・アベンジャーズもそうだけど能力者がたくさん出る作品、誰が強いのか弱いのかまじでいまいちわかんなくて混乱する。そういう視聴者の不安に対して、とにかく体がでかいドンソクさん、問答無用でわかりやすくて最高

そしてそれを遥かに上回るでかさのセレスティアルズ誕生シーン!!!!!!!!!!でけえええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!迫力すごすぎてほかの細かいことがどうでも良くなる。シャンチー後半のゴジラKOM展開もそうだけど、シンプルなモンスターフェチを感じる

・神的な存在の凄さを表現する方法として「とにかくバカでかい」って手法が使われるの、まじでたまらん

・ディズニーの大作映画にて繰り返し主張される家族愛、ひいては家族の素晴らしさ・家族への回帰って、ポリコレ的な文脈と齟齬をきたすような気がしてしまうんだけどそのへんってどう解消されるんだろう。家族志向の人生や生活は、引いて拡大解釈していくと共同体賛美に繋がらざるを得なくて、ポリコレ的個人主義とぶつかり合っちゃうように考えてしまう。勉強不足なんだろうな。図書館いこ

・セレスティアルズ、ディヴィアンツ作りもの失敗しちゃうし、その失敗を帳消しにするために用意したエターナルズも計画通りにうまく動かせずわがまま突き通されちゃうし、おっちょこちょいでかわいい

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何回でも見返したい、バカクソデカセレスティアルズたん


・この作品はいわゆる「親殺し」のテンプレートに収まる物語だけど、現代日本人からするとナウシカより先に思いつくその類型の物語として、エヴァは外せないよなあ、とか思ってたらラストシーンが旧劇と似た感じでテンションあがる

・ディヴィアンツの4つ目の付き方かっこいい。ARをコンタクトとかメガネで浸透させるなら、人間にもああいう複眼つけないと安全面でかなり問題あるんじゃないだろうか。人間の視野がそもそも広くないのに、その中で注視できる範囲を踏まえると、視界の端に情報を表示させるとか単なるSFのいちアイディアが限度でしょ。実際のところ、脳の処理能力的に目って追加できるんだろうか。腕はあと4本くらいなら追加できるだけの余裕はあるらしい。

・そういう疑問も、エターナルズが人類を効率よく成長させるためにちょいちょい技術を授けたりするのも、テクノロジーと倫理観のせめぎあいを考えずにはいられない。倫理観自体が科学に付随する落とし子みたいなところあるよね

・アリシェムの顔のデザインがリリスぽい

最後のハリー・スタイルズかっこいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!Kiwi死ぬほど聞きました!!!!!!!!!!!!


・ここから、魔術とマルチバースを貫くような超存在を基盤に、MCUフェーズ4はまだまだ広がってく感じなんですね。監督は若手中国人だし、そういうアジア的な価値観の雰囲気をぷんぷん感じる作品だっただけに次の展開まじ楽しみ。

・クレジットの終端で出てくる剣の箱に書いてる『Mors Mihi Lucrum』の一文、ラテン語で「死は我が褒美」みたいな意味とのこと。スプライトが人間になることを選択して永遠の命を失うことと関係があるんですかね


鑑賞後まとめ

最近の作品はポリコレのメガネを外して見ることが難しい、というか、そのメガネをかけさせた上でメガネに意識を向けさせる、それが近年の作品の役割なのではないかな、と思ってしまう。
こうした、ポリコレのような急進的なイデオロギーが高まるにつれて、それが破綻・崩壊したときの影響を懸念せざるを得なくなるが、現代において特に割を食っているはずの若年世代が将来的に社会に不満をぶつけるようにならなければいいと思う。就職氷河期に人生を狂わされた世代のように。コロナ世代なんかそれに合わせて暴力的に青春奪われたりしてるし。
ただ、その就職氷河期世代といまのコロナ世代が違うのは、社会に抗議の姿勢を示すための世論を形成するほどの人数すらいないかもしれない、ということ。

将来的に、今の時代のポリコレ色の強い作品を見返したときに、どういう感情や批評が得られるのか今から楽しみ。もしその時にポリコレが破綻しているのなら、せめて、戦時中の独裁政権下のプロパガンダ作品のようなおかしみを感じられれば、まだマシだなと思う。

てかメモ取りながら見るの、すげえ時間かかるけどたのしかった。


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