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酩酊日記/ 不安と逃避と、神と信仰と

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 以前働いていたバーで、毎度、席に座ると同時にスピリタスのトニックウォーター割を頼むお客さんがいた。スピリタスとは、ポーランド産のアルコール度数96%にも達するウォッカの銘柄。そのあまりの純粋さがもたらすクレイジーな味わいは、他の数多のパーティドリンクとは一線を画す。強烈という概念そのものを生搾りしたかのようなスピリッツだ。
 これ以上ない透明さのその液体の入った、小さなショットグラスを持ち上げた勢いで揺れるお客さんのでっぷりとした風体、まばらに頭皮をのぞかせる脂ぎった髪、不安と警戒とを両の手に構えたような細く鋭い落ち着きのない目つき。それらを見るに、きっと世捨て人としてのイニシエーションのものまねかなにかの、安っぽい振る舞いの類であろうと思っていた。


 ある日、なぜそんなにそのカクテルを好むのかたずねてみた。
 スピリタスにはな、いいか、これ以外にはない味わいがある。酒好きにとってのファイナル・デスティネーションとはまさにここだ。
 なるほど、よりたくさんのアルコールをより早く摂取したいというパーティ野郎が追い求めるべき能率、そして、酔いへの期待に水をささない口当たりの軽さを求めれば、炭酸で割るのは理にかなっているような気がする。ヤク中まがいの妄言と一笑に付すにはためらわれる、実にビジネスライクなその主張を、今では、アルコールの作用と反作用、つまり浮遊感の中でも目を離してはいけない危険性とは何で、そしてその先に何を求めるのか。そこまでを見越した責任感ある発言のように思う。いや何言ってるんだろう。まるっきりアル中の妄言じゃん。


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 HHC規制が話題となってから2週間。向精神作用のある食品などを摂取するたび思うこと。
 ストレスの解消手段として有効だとされている、読書、運動、瞑想、あるいは旅行といった行動、それらはすべて「ここではないどこかへ行くこと」を目的とする。そうしたメソッドは一時的な逃避はもたらせど、本質的な解決を提供するわけではない。そういったものを真摯に目指せる状況にある人は、そもそも逃避なんてやってる暇はない。メンヘラの生態にお詳しい愛好家のみなさんにはおなじみの、「死にたい」とSNSで騒ぐ女と、やっていることの種類は同じ、というわけ。あの「死にたい」というフレーズは語義通りの意味を一切含まず、「人間関係や仕事の上での責任や義務、すべての煩わしい物事からすっかり解放されて気ままに遊んで暮らしたい」といった主張を意味するため、どちらかといえば鳴き声に近い。ということなんて、専門家のみなさんはすでにご存知のとおりですね。

 メンヘラ女に限らず、例えばアジア諸国をバックパッカーとしてめぐる自分探しツアリスト、ロハス・オーガニックなどのライフスタイルの追究のために地方移住を決断する全身無印良品武装夫婦などは、あらゆるメディアでいじられ揶揄されて久しい。これらは、さぞ崇高な大義に則った使命かのように仰々しく見せかけられたものが、実は目の前の課題から逃げるためだけの単なるチープなおためごかしに過ぎない、というギャップがおかしみを生んでいる。出生国で落としたりなくしてしまった自分という存在が、小蝿の舞うベトナムのバインセオの屋台やラオスの闇市に届けられている、なんてことが起こるべくはずはない。世界有数の物流量を誇る東京をしてすら達せなかった物質的な追究が、過疎化に財政喘ぐ地方などでうまくいくわけがない。
 つらい感情、満たされぬ思いを気持ちを霧散させたくば、今、そしてここ、この時点とまさしくこの場所で、なんとかふんばってがんばる以外には、対処のための選択肢はない。世に華々しく羨まれる人々を含め、皆、霞む目を必死に凝らして、口角にこびりついた反吐をあかぎれまみれの手で拭って生きているんだということを、知って、そして認めなくてはいけない。

 現在地すら忘れてしまって行き先のはっきりしない逃亡は、介護業界では『徘徊』と呼ばれているそうだ。


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 HHCを含む大麻由来成分・もしくは大麻様成分、あるいはLSD・マジックマッシュルームなど、幻覚作用に特徴づけられる薬物は、短期記憶能力に著しい制限をかけることによって、認知機能に一時的かつ大きな障害をもたらすらしいことがわかっている。それが脳というプロセッサのクロック数の低下につながるのか、はたまたRAM自体のエラーを引き起こすのかは、私の知識量ではわからない。が、規制前のHHCにて運良く経験できた状態を踏まえると、あるなんでもないような考えをまとめようとするだけで、かなりの労力を要することはわかった。周囲の状況の認識、それに合わせた感情の沸き起こりとその処理に際して、平常時ならなんのことはないはずの作業に、額に汗するレベルでかかりっきりにさせられてしまう。
 マンチーと呼ばれる、大麻摂取の際の食欲増進現象がある。食事という強い刺激に対して、いつもならおなかの具合や総摂取カロリーやその時の気分などを踏まえつつ楽しめるものが、「おいしい」「もっとほしい」以外のことがまともに考えられない、一種ループに近いものの中に閉じ込められる。
 こうした快楽だけが反響・増幅するのであれば、笑い話にして終われるが、これが不安や恐怖、焦燥、劣等感、怒りなどのネガティブな感情にカテゴライズされるものであれば、その限りではない。バッドトリップなどと呼ばれているものがこれにあたる。

 SNSで観測される大麻合法化を掲揚する活動家の多くがスピリチュアルというか、オカルトというか、大麻に対する信仰めいた意見を発信するのは、ここに原因が求められると思っている。
 バッドトリップを恐れ、そこに陥らないために、その源流となるネガティブな発想や物事から、強迫性めいた必死さで目をそらすようになる。目をそらしたその先にわかりやすい目印があればこの上なし、ということで、宗教めいた信念も付け合せに濫用する。神や霊、魂といった概念は実在も不在も立証ができないからこそ、いつでもどこでも誰にでも扱いやすい。素晴らしいコンセプトだ。
 これが繰り返されることで次第に効率化し、思考形態そのものに儀式めいたアルゴリズムが導入される。

 一度でも、”あの感覚”を味わったことのある人は、なぜ、大麻を含む多くの向精神性薬物が法的規制の檻に閉じ込められているのかを、体感を以て察する。恐れながら、活動家の主張に反して大麻はやはり危険と表現する他ない。使用・所持が脱法行為につながるあらゆる薬物も言わずもがな。処方箋薬は医師の管理下以外での使用は認められないし認められるべきではない。アルコールは、荘厳な文化史の鎧をまとっただけの、悪質極まりないハードドラッグだ。


 酒を覚えたばかりの頃のまだうら若い私に、
「ワインは危険だ。ちゃんぽんは絶対にするな。少量でもやばいんだ。でも、ウィスキーは安全。値段の張るものならなおさら」
という謎理論を繰り返し説いた、バイト先のバーの上司は、沖縄から家出してきた孤独なメンヘラ女を堕胎させながらSM嬢と浮気し、アルコールと覚醒剤に溺れ、混乱のさなかでからくも手に入れた精神障害者手帳を握りしめたまま、神戸港に打ち寄せる低い波の間に消えていった。

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 アメリカでは、手軽に素早く儲けたい医者と、インスタントな逃避を果たしたい患者との利害がマッチングし、処方箋薬の濫用が社会的な問題になっている。
 さまざまな州で大麻の合法化が進められているが、そもそもとして、高校生における大麻経験率は8割近くにものぼっているという。
 これを、ある時代のある期間に対し蔓延する世界的な風土病の一種ととるか、内分泌すら人為の御名の下に統制される、さらなる進化への航空チケットととるか。

 アンプのボリュームをあげ、キリル文字のラベルが貼られたドンキで買った安いウォッカを、ぐぐっと飲み込む。ビリー・アイリッシュが、深く刻み震えるトレモロをかけられた声で、ザナックス依存を歌う。



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