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ぐるぐる考えていることを書きます

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"幸せになると決めることを、人生が困難ではなくなるまで引き延ばすことはできない"

コップを落としたから、コップが割れる。全ての物事には原因と結果がある。私が幸せじゃないのは、私をそんな状態にさせる原因があるからではないのか。 私は常に不安で、怯えていた。その原因を見つけて、解決するか取り除かなければならないと思った。人や状況からは逃げ出すことができる。でも、自分自身から逃げ出すことはできない。私自身の欠落によって、私は不幸なのだと思った。 私は私を受け入れられなかった。いくら自分を責めても「ちゃんとした自分」に変わってくれるわけではないのに、責め続けた

    • それでもあなたに愛されたい

      愛したからといって、愛されるとは限らない。 愛することと愛されることって、実は全然別のことである。私は愛することはできるが、愛されようと思って愛されることはできない(誰かに愛されるには、私は愛されるべき存在だと自分で認める必要はあるにしても)。それは、こうして書くと当たり前のように思えるが、大人になってからようやく分かったことだ。 オレンジが欲しい相手に向かって、りんごの私がオレンジ色の服を着て「お願いだから愛してよ」と嘆いたところで、無理なもんは無理なのだ。少女漫画によ

      • 生きるか死ぬかではなく、どうしたら生きられるか

        私の心の奥底にはいつも「なんで生きているんだろう」という気持ちがある。 ひどいときには、頭の中で話しかけても「いやいや、私別に生きていたくないんですけど」に全てが集約されてしまう。 端と角には黒しか置けない、オセロの盤面のようだ。どんなに白で埋め尽くしても最後には真っ黒にひっくり返ってしまう。結末に気づかないふりをして毎日毎日白を並べ続けるのは、結構虚しい。 定期的に真っ黒になる盤面を何度もリセットして、またゼロから白を並べていく。その繰り返しに疲れてしまう日がある。

        • ちいばあちゃんが亡くなったのは、私のせいではなかった

          9月5日は、ちいばあちゃんの命日だ。 私のひいおばあちゃんで、母のおばあちゃんで、おばあちゃんのお母さんのちいばあちゃん。 1996年9月5日、私が生まれる10日前に、ちいばあちゃんは亡くなった。 私の両親は共に大阪生まれ大阪育ちだが、仕事の都合で北海道で暮らしていた。母は、北海道で私を産む予定だった。しかし、96年の8月に「ちいばあちゃんが危ない」との知らせを受けた母は、ひとりで飛行機に飛び乗った。出産予定日は9月1日で、いつ生まれてもおかしくない時期だった。 母はちい

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        "幸せになると決めることを、人生が困難ではなくなるまで引き延ばすことはできない"

          お空のご機嫌と同じ

          2年前の8月に、私はバセドウ病だと診断された。休職してから2か月目のことだった。 初めて行く病院の診察室に入ると、優しそうな男性の先生が座っていた。先生は、検査結果の紙に赤ペンで線を引きながら説明してくれた。 「体、動かへんやろ。これはしんどかったなあ」 そう言われて、ぽろぽろ泣いてしまった。 休職してからは一日中横たわって過ごした。心療内科ではうつ病だと診断されていたし、自分でもそれが動けない原因だと思っていた。仕事から離れてひたすら休めば回復するはずだと思ったが、

          お空のご機嫌と同じ