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ちいばあちゃんが亡くなったのは、私のせいではなかった

9月5日は、ちいばあちゃんの命日だ。
私のひいおばあちゃんで、母のおばあちゃんで、おばあちゃんのお母さんのちいばあちゃん。
1996年9月5日、私が生まれる10日前に、ちいばあちゃんは亡くなった。

私の両親は共に大阪生まれ大阪育ちだが、仕事の都合で北海道で暮らしていた。母は、北海道で私を産む予定だった。しかし、96年の8月に「ちいばあちゃんが危ない」との知らせを受けた母は、ひとりで飛行機に飛び乗った。出産予定日は9月1日で、いつ生まれてもおかしくない時期だった。

母はちいばあちゃんが大好きだった。自由で独立していたちいばあちゃんは、「大人とは、女性とは、こうでなければならない」のような型に全くはまらないひとだった。ちいばあちゃんと過ごした思い出が、母の生きる上での軸を形作った。

母のもう一人の祖母、母のお父さんのお母さんはちえさんといって、母が小さいころから同居していた。ちえさんはとにかく難しい性格の人で、母とも母の両親ともよくぶつかっていた。

私が2歳か3歳くらいのとき、ちえさんにサンタさんからのプレゼントを自慢したことがあった。ちえさんは「サンタなんかおらん、サンタはあんたの親や」と言い放った。私「サンタはおる」ちえさん「サンタなんかおらん」、両者一歩も引かず。この「サンタ事件」が、ちえさんの伝説として言い伝えられている。ちえさんは、こう!と思ったことはまげない。人の立場に立って考える、ということが極端に不得意な人だったようだ。

96年の夏、母が大阪の実家に帰ってからしばらくして、ちいばあちゃんは亡くなった。ちいばあちゃんは病院が大嫌いだったので、かなり悪くなるまで自分の体調を隠していたらしい。母は実家で「ちいばあちゃんが亡くなった」という祖母からの電話を受けた。真っ昼間で、家には母とちえさん以外誰もいなかった。電話を受けて立ち尽くす母に向かって、ちえさんが言った。

「あんた、そんなお腹でお葬式に行ったらあかんで。わかってるな?」

ちえさんはいつも通り一方的に言い放って、返事も聞かずにスタスタと去っていった。

お葬式に行ったらあかんってどういうこと。
ちいばあちゃんに最後に会われへんっていうこと?
ほんまにそんなルールがあるんやろうか。
そんなん知らんし、でもほんまにそうやったらどうしよう。

ちいばあちゃんが亡くなったこと。
お葬式に行ったらあかんというちえさんの言葉。

母はショックで、言葉が出なくなった。

今調べてみると、地域によっては「妊婦がお葬式に参列するのは縁起が悪い」といった言い伝えが存在しているらしい。赤ちゃんに何かが起こるとか、無事に生まれないだとか。妊婦さんの体に負担をかけないようにと作られたものだ、という説もある。

母は「お葬式に行ったらあかん」と言われたとき、自らが穢れているからお葬式にいけないのかもしれない、と勘違いした。母にとって何よりも大切だったちいばあちゃんとの繋がりが他人の手によって切られてしまった、良くないものになってしまった。母はパニックになり、夜まで部屋で大泣きした。その日の一連の出来事は、人生で受けたショックの中でもかなり大きいものだった、と母は振り返る。

結局、母はちいばあちゃんのお葬式に行った。父や、他の家族に「ちいばあちゃんのお葬式なんだから、何を言われても気にせずに行ったらいい」と言ってもらい、ちいばあちゃんとお別れをした。その後、無事に私が生まれた。

なぜこの話をしたのかというと、私の根深い自責思考の元を辿るとどうやらかなり幼いときの体験が関連しているのではないかというところまで辿り着いたからだ。私は物心がついたときから、何もかも自分のせいだという思考を持っていたように思う。

私は、以前こんな夢を見たことがある。

どこか冷たい雰囲気がする部屋の中で、ベッドに横たわっている。眼鏡をかけた男性と何人かの女性が、みんな無表情のまま、私を囲んで見下ろしている。突然、男性が4本の指の先を使って私のみぞおちを強く押した。やめて!と叫んだところで、目が覚めた。不快感と、絶望感と、「なんでこんなことされなきゃいけないんだ」という怒りと共に。

私がこの夢の話を母にしたとき、あなたが生まれたときの状況に似ている、と母は言った。私を出産したときの母の感覚と私の悪夢の話を擦り合わせると、確かに共通していることが多かった。先生(夢の中の眼鏡の男性)への印象や、病院の雰囲気、みぞおちを強く押されたこと、そしてそのときの感情まで。

最近、私の中に「なぜ生きなきゃいけないんだ」という気持ちがずっとあるのはなぜなのか、いつからなのか、ということについて考えていたときに、ふとこの夢の記憶と母とのやり取りが蘇った。私の中の「なぜ生きなきゃいけないんだ」という気持ちには、どこか無力感(生きたくないのに無理やり生かされている)とか、諦め(生きなければならない)とか、恨み(なんで私を生んだんだ)が含まれている。

あの夢のあとの感情にぴったりなのだ。
「生まれてきてしまった」という言葉が。

私は生まれてきたくなかった。
なのになぜ生んだの。
そこには深い悲しみと傷がある。
生まれた瞬間にそんなことを思う赤ちゃんがいるだろうか。

ここからは(というかこの文章のほとんどがそうとも言えるのだが)私の推測である。

母が最も親しい人を亡くした悲しみを、私も受け取っていた。そしてさらに、「お葬式に行くな」発言のショックと混乱も、一緒に受け取っていた。

母がとてつもなく悲しんでいる。
ショックを受けている。

もし私を妊娠していなければ、母はちえさんにそんな辛いことを言われなくて済んだのに。もし私がいなければ、母がこんなに悲しむことはなかったのに。私がいるせいで、母が傷ついた。

それなら、私は生まれてきたくない。こんなに母を傷つけるくらいなら、存在していたくない。生まれたくない。

そう思っていた矢先に、みぞおちを押されたのだ。

今ならわかる。例え私がお腹にいなくても、ちいばあちゃんはいつか死んでしまっただろう。人は永遠には生きられない。だから、母の悲しみは避けられないことだった。ちいばあちゃんを愛していたから。愛していたから、悲しいのだ。

例え私がお腹にいなくても、ちえさんが母を傷つけてしまうことはあっただろう(傷つけるつもりはなかったのかもしれないが)。ちえさんは確かに自分勝手に見えるかもしれないが、不器用な人だった。自分には寄り付かないのに、ちいばあちゃんには喜んで会いにいく孫を見て、寂しい気持ちがあったのかもしれない。

人生では、悲しみも、傷も、避けることはできない。自分だけではなく、みんながそうなのだ。私はそれをとても受け入れられなくて、誰かを傷つけるのが怖くて、悲しくて、「生まれたくなんかない」「母が辛いのは自分がいるからだ」「母が悲しんでいるのは、自分のせいだ」と思ったのかもしれない。

ちいばあちゃんが亡くなって、10日後に私が生まれた。私は両家にとって初孫だった。親戚の中では、私の誕生が慰めになったらしい。「もし順番が逆だったら、もっと長い期間落ち込んでいたかもしれない。でも、新しい始まりを感じて、前向きになれたのよ」と母は言う。私が不貞腐れながらこの世に誕生しても、歓迎してくれる人はたくさんいたのだ。

私が生まれる10日前に亡くなったちいばあちゃん。直接は会えなかったが、私は母のお腹越しに声を聞いたはずだ。そしてもしかすると、私が生まれる直前にどこかですれ違っているかもしれない。

大仕事を終えてこの世を去るちいばあちゃんと、この世に生まれる私。

「大丈夫。生きるのも、そう悪いことばかりではないですよ」

すれ違ったそのときに、ちいばあちゃんが、私の背中を優しく押してくれたのではないだろうか。だからこそ私は、生まれてくることを選んだのだ。

私は、悲しみと恐れを乗り越えて愛を知る旅をこれからも続けていく。
ちいばあちゃんに、そして私を愛するすべての存在に、見守られながら。

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