小説家にはなれないや
私が今まで言葉に出来ずにモヤモヤしてきたことを、ピタッとハマる言葉に出来てしまう人がいると、本当にかっこいいなと思ってしまいます。
学生時代についてあまり後悔することはないんですが、一つ心残りは、日記を書かなかったことです。
味気ない単調な毎日だと感じても、日々の小さな出来事を思い返して、その時の感情を素直に言葉にしてみると、案外毎日は全然違う色なんだなって気付きます。最近ちゃんと日記を書き始めて、やっと学ぶことが出来ました。もっと早く始めれば良かった。
言語化することの本当の価値は、その時に紡ぎ出した言葉よりも、そのプロセスにあると思います。言語化するために、ある出来事やある感情と向き合い、抽出作業をして、表現する。その繰り返しの中で、自分の本当の気持ちや新たな一面を知ることができる場合があるからです。
特に、大きく心が揺さぶられる経験をした時は、言語化したいと強く思います。でも当たり前ですが、感情は一番言語化が難しい。
私は涙腺が脆く、すぐに泣いてしまうのですが、映画やドラマのいかにも泣かせようとしているシーンを見ても、全然泣けません。家族愛、人間愛、友情、人情など、テーマが分かりやすいからかもしれません。私って捻くれてるのかな笑
一方で、音楽や芸術を五感で感じた時、感情の波の振幅が最大になって、涙が溢れてきます。
少し前、歌舞伎を初めて見た時がそうでした。見える物、聞こえる物に加えて、体に伝わる振動や会場の雰囲気など、全てを含めて歌舞伎であると感じ、この伝統芸能が今日まで受け継がれて来たことに感動を覚え、気付いたら涙が出ていました。
家に帰ってからこの時の感情を言葉にしようと頑張ったんですが、どうにも表現できず結局は、言葉では表現し尽くせない感動、っていうチープな表現をしてしまいました。その時に、言葉って不十分だなと思いました。(もちろん私の国語力や語彙力の不足も大きいですが)
言葉を紡ぐことによって生まれるものは大きいし、言葉を通して沢山のことを学ぶけど、やっぱり万能じゃないんです。当たり前なんですけどね。他人の旅行記を読んだ時の感動と、実際に旅行に行った時の感動が全く違うのと同じです。
だから私は、日記を通して、沢山の大切な経験や感情を言語化する努力は続けますが、同時に、心に強く焼き付けようと思いました。日記を読み返した時に、それが鮮明に蘇ってくるはずだから。人間はそうやって、言葉を上手く利用して、今まで生きてきたんですかね。
(1年前には、自分がこんなことをつらつらと考えているなんて思いもしませんでした。noteって楽しいです笑)