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選択式演劇《それでも笑えれば》が再定義したインタラクティビティ

劇団ノーミーツの『それでも笑えれば』は、2020年12月26日から30日までの期間に計7回上演された演劇作品です。この作品では、新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行した2020年において、メジャーを目指す若手芸人たちが、様々な出来事に対して選択を迫られ、迷い、それでも前に進んでいこうと葛藤する姿が描かれました。公演場所は、劇団ノーミーツを運営する「Meets」がプロデュースするオンライン劇場「ZA」で、観客はPC、スマートフォン、タブレットからアクセスして鑑賞する形態でした。

私自身が観劇したのは初日の初回、最終日の千穐楽と大千穐楽の計3回で、初見の直後にTwitterに投稿したのが、この作品への率直な感想です。

この投稿でも書いたように、2020年という同時代を扱った物語には、共感し、心を動かされる場面が数多くありました。リモートでありながら登場人物たちを非常に近く感じるのに、オンライン会議システム「Zoom」のインタフェースを模した画面は「舞台」として効果的に機能していました。Zoomは、一部の人だけが使うオンライン会議システムだったのが、4月以降急速に一般の人々が使うまでに普及しました。これにより、本来の用途だった打合せや講義だけでなく、井戸端会議、飲み会、演劇など、多くの人々が様々な用途に創造的に転用しました。それらの経験を経て私たちが学んだのは、参加者の顔が一覧で並んだZoomの平たい画面に映し出されているのは、遠隔の出来事ではあるかもしれないが虚構ではなく、紛れもない現実なのだということです。その見慣れた空間で展開される物語は虚構だとわかっていても、自分自身が今年経験した様々な出来事が次々と想起され、虚構と現実が重層し、強く感情を揺さぶられるのです。この作品について、公式Webサイトでは次のように説明されています。

この演劇は、あなたとその劇を見るみんなが主人公の運命を一緒に選ぶ、「選択式演劇」。

この「選択式演劇」について、初回を観た時に思っていたことをここに記録しておきます。結論を先に書いておくと、この演劇はインタラクティビティを再定義したと考えています。以下、なぜそのように考えたのかについて、少し長くなりますが背景から順に説明していきます。

私は、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]で「Archival Archetyping」というプロジェクトを主宰しています。2020年は、多くの人々が「コロナ禍」と呼んだことにも表れているように、人々の活動がウイルスに大きな影響を受けた年であり、このプロジェクトも例外ではありませんでした。例えば、それまでは当たり前に行っていた、参加者たちが同じ物理空間に集まって議論する、ということが突然困難になりました。これにより、お互いの信頼関係を醸成するための手段を考えるところから始めなくてはなりませんでした。それでも、教員も学生も正解が分からないまま模索が続く大変な日々の中で、いくつか新たな発見がありました。

例えば、何かのツールを学んでもらおうとする時、従来であれば対面で進めていたのを、5月上旬にYouTubeによるオンデマンド型に切り替えた時のことです。この頃は、学生側の通信環境が整っておらず、リアルタイムにカメラとマイクをオンにした状態でZoomを利用することができない人が大半でした。また、長時間連続してZoomを使うと疲れてしまうという声もありました。そこで、視聴する側で解像度を選択することで自由にデータ量を調整でき、かつ、自由なタイミングで観られるオンデマンド型を試してみようと思ったのです。

当初、これはあくまで代替手段であり、対面かつリアルタイムで行う内容の一部だけでもカバーできればと考えていました。不明な点が出てきた時、その場で対応し、疑問を解決しながら進めていくのが最善だと信じていたからです。しかしながら、履修した学生からのフィードバックは、私にとって驚くべきものでした。オンデマンド型の方が、自分のペースで進められるし、分からなかったところを何度でも聞き直せるのでよかった、というのです。確かに、様々な背景の人々を対象にリアルタイムで進めていくと、どうしても中間の人々に合わせることになってしまい、理解の早い人は手持ち無沙汰になり、理解の遅い人は切り捨てられることになります。自分自身が最善だと考えていた手法が覆されたことにより、私は、これは確かに禍でもあるが、これまでの常識を疑う機会でもあると考えるようになりました。

2020年5月9日にオンデマンドで提供した最初のハンズオン教材の一部

そこで、このプロジェクトにおいては、これまで当たり前だとして受け入れてきたことについて一旦立ち止まって考え、再定義を試みていきました。その中で最も大きなものがインタラクティビティです。インタラクティビティは、メディアアート作品の特徴の一つとして捉えられます。作者が作品にインタラクティビティを持たせる目的は、作品と鑑賞者が対話できるようにすることにより、作品を閉じられたものから、開かれたものにすることです。しかしながら、インタラクティビティを持たせることは、作品を開かれたものにするための、必要条件でもなければ、十分条件でもありません。例えば、絵画、彫刻、写真などにおいても、作品と鑑賞者の対話は可能ですし、作者の意図を超えて解釈することも可能です。また、作品に中途半端にインタラクティビティを持たせてしまうと、鑑賞者はインストラクションに従うことを求められ、かえって作者の意図した範囲の中に鑑賞者が閉じ込められることになってしまいます。LEDをマトリクス状に配置した低解像度なディスプレイを用いた作品で知られるアーティストのJim Campbellは、2000年の論文において、コンピュータアートの定式を入力→プログラム→出力という形式で表しつつ、主に90年代後半のCD-ROMタイトルを念頭に批評しました。

Golan LevinがGIFアニメーション化した「Formula for Computer Art」

インタラクティビティの再定義を試みた作品として、同僚でもあるクワクボリョウタさんのインタラクティブアート作品《10番目の感傷(点・線・面)》があります。この作品においては、鑑賞者の動きに作品が反応するという意味におけるインタラクティブな仕掛けは何もありません。そうではなく、展示空間内で展開される光と影を観る人々が、それぞれ自身の内面に紡ぎ出すインタラクティブな体験に着目しているのです。

このような、インタラクティビティを再定義しようという取り組みの一環として、7月末には2日間のworkshop「インタラクティビティを再定義する」をオンラインで開催し、20名の参加者と一緒に議論を深めました。Jim Campbellを引用しつつ、入力→プログラム→出力という図式で表せるインタラクティビティに疑問を投げかけ、機械学習の可能性を参照しつつ、再定義し乗り越えていくことに取り組みました。この期間内には具体的に何かを掴むところまでには至りませんでしたが、その後も議論を継続し、いくつかこの後に繋がりそうな展開が見えつつあります。こうした経緯もあり、この《それでも笑えれば》という作品はとても興味深く鑑賞しました。

実は、この作品が選択式演劇である、という説明文を最初に読んだ時、かつて観客による選択を採り入れようとしたいくつかの映画、ライブ、CD-ROMタイトルなどを思い出し、モヤモヤとした感情がありました。そうした作品を面白いと思ったことがほとんど無かったからです。勿論、ゲームにおいては状況が全く異なります。激しい競争を通じて確立した様々な手法と、機械学習などの技術を活用して実装されたAIにより、プレイヤーごとに異なる物語が展開しつつエンタテインメントとして成立するのはごく当たり前になっています。はたして、演劇において選択式にすることにどれだけの意味があるのだろうと疑問に思っていたことがあり、初回の公演が始まって最初に選択肢が提示された時、素直に参加する気になれず、あえて選択しませんでした(2回目以降の観劇においては素直に参加しています)。

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公演中に画面に表示された選択肢と選択結果の表示例。観客の多数決により物語は進行していく。

それでも、この2020年に起きた様々な出来事を思い起こさせる登場人物たちの苦悩に感情移入し、日々の生活空間同様に慣れ親しんだZoomのインタフェース上で展開されるやりとりに、自分自身が体験した現実と作品中の虚構が入り交じった感覚が沸き起こってくるのを感じながら、すっかり没入して観ていました。

大きく感情が揺さぶられたのはルリコからマキに対してなされた解散の提案を「受け入れる」「拒否する」の選択です。観客個別の選択を集計し、多数決による決定に従い、生身の役者たちがリアルタイムで演じるヒリヒリとした展開に強く引き込まれました。これは、単に事前収録した映像を切り替えるのとは大きく異なります。ようやく選択式演劇という形態の必然性に納得した私は、最後の選択を迫られます。それは、2021年のマキが「お笑いを続ける」か「新しい道へ行く」かです。ここからは、観客はそれぞれの選択肢に従い別の内容を観ることになります。その間にもチャットには、他方を選択した人々のコメントが混じります。この部分における、同時並行世界が漏れ出しているかのような感覚は、単に途中で分岐した筋を追うだけの体験とは大きく異なるものでした。その後、エンドロールを挟み、全ての観客は再び同じ映像を観ることになるのですが、その前の選択肢により文脈が異なるため、同じ台詞であっても大きく意味は変化するのです。

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自分と同じ選択をした観客と一緒に選択した世界の出来事を観つつ、異なる選択をした人々が観ている平行世界の出来事をチャットから知る

この他、インタラクティビティという観点では、チャットを介した観客同士の対話が随所で成立していたことにも注目すべきでしょう。開演前、プロフィール画像の設定方法が分からないという人に別の人が説明するといったやりとりに始まり、公演中においてはそれぞれが思ったことを投稿しつつ、共感した投稿があればリアクションする。このように、出演者と観客の間の対話だけでなく、観客同士の対話も随所で成立していました。演劇においては、劇中で語られた漫才と同様にインタラクティビティが重要です。この作品では、チャットと選択肢という接点を導入し、同じ物理空間を前提としてきた演劇におけるインタラクティビティを、物理空間と情報空間を前提としたリモート演劇という形態において再定義したといえるのではないでしょうか。

長々と書いてきましたが、多くの人々が物理空間において会うことを制限された2020年の最後に、これまでになかった形態が生まれた瞬間に立ち会えたことに感謝いたします。この公演に関わった全てのみなさん、本当におつかれさまでした!

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