でも 魂のラジオを聴いて

「でも」という感情をなかったことにして生み出されたものは、言葉でも作品でも、なんだか妙にあっさりしている。

もちろん、制作の過程でいったん考慮から外すことや、諸々の都合で削ぎ落とさざるを得ないことがあるのは承知の上だ。でもなんかさ、それって意志を持って行動しているものっぽくないよね、と思う。

ラーメン屋ので流れていたラジオ。全部は聞けなかったけれど、福山雅治がパーソナリティーだったから、きっと「福のラジオ」だ。
大きくまとめると、人間の気持ちには揺れがあるという話だ。福山さん「ヒトツボシ」「最愛」を例に出して、「○○だよ、でも▲▲なの 」っていう心の揺れの話をしていた。

私はなんだか込み上げるものをどうにかこらえながら、戸の遠くを眺めてごまかした。心が疲れていたというのもあるけど、やっぱりそうだよね。揺れがあって然るべきだし、それが人間らしさなんだよね。福山さん、あらためて認識させてくれてありがとう。

・・・
たまに「逆に」優れているよね~というニュアンスで「あ、でもこれおいしいですね!」「でも、いい案ですね」という人がいる。あれは言葉を出す前に頭の中で(む、これは想像していた味と違う方向のおいしさだな・・・)「あ、でもこれおいしいですね!」って考えた結果なんだろうか。

否定の意味や取り消しの意味がないことは伝わるのだけど、心がささくれ立っているときはどうにも気になる。

自分も「でも」って不意に口にしていないだろうか、ちょっと気にかけたい今日この頃なのでした。


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