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怒りの鉄拳、悲しい旋律、優しい風味

はじめに

趣味か習慣と言っていいのか分からないが、不定期でデカい図書館に籠って各ジャンル・業界の雑誌を読み漁っている。これは俺が大学を卒業後に既卒無職となって日々自宅と図書館を往復する大正時代のニートみたいな生活をしていた頃からのもので、飽きっぽい俺の中では珍しく、Twitter小学校登校の次くらいには長く続いている。

どんなものを読むのかは完全にその時の気分次第で、比較的有名なやつ━『中央公論』や『芸術新潮』━や、缶詰の業界誌、国立国会図書館が毎月出版している世界各国の立法情報を纏めた雑誌、数学系の雑誌、etc…とにかく色々読むようにしている。そして特に面白いなと思った記事があれば、その記事だけ複写するかその場でamazonを使い雑誌ごと購入したりしている。

前置きが長くなったが、8月のある日に図書館で雑誌を読み漁っていると、岩波書店の『思想』の2022年8月号で面白い論文を見つけた。

上から三番目にある源河亨氏の「怒りの鉄拳、悲しい旋律、優しい風味」がそれだ。この論文は感情用語の三つの使用法の違いについて明らかにしたもので、非常に面白かったので本記事ではこの論文の内容を援用しながら「感情」について俺自身の思考整理を行ったものだが、本記事をお読みの方は最後まで読んで頂ければ幸いです。

本編

「怒りの鉄拳、悲しい旋律、優しい風味」

↑の冒頭を引用する。(太字は俺の修正です)

タイトルで挙げた「怒りの鉄拳」「悲しい旋律」「優しい風味」は、どれも感情の形容詞と名詞から成る名詞句だが、それぞれの感情用語は異なる意味で使われている。結論をあらかじめ述べておけば、本稿は、「怒りの鉄拳」の「怒り」は感情表出、「悲しい旋律」の「悲しい」は感情認知、「優しい風味」の「優しい」は感情喚起が関わると主張する。

源河亨「怒りの鉄拳、悲しい旋律、優しい風味」『思想』岩波書店,2022年8月号,26p

結論箇所も引用する。(太字は俺の修正です)

まず、感情は、価値を捉える評価的思考と、捉えられた価値に対処する行動の準備となる身体的反応から成るものである。そうした身体反応のうちのいくつかは、他人に感情状態を伝える表出の役割を果たす。「怒りの鉄拳」の「怒り」は、こうした対処行動と表出を意味している。他方で「悲しい旋律」の「悲しい」は誰かの悲しみの表出ではなく、悲しみの表出と似たものとして認知されているものにすぎない。最後に、「優しい風味」は「優しい振る舞い」と同じく、その対象となった人の側に落ち着きや賞賛を喚起するものである。

源河亨「怒りの鉄拳、悲しい旋律、優しい風味」『思想』岩波書店,2022年8月号,39p

この論文の面白いところは、予備知識がほぼ必要ないのでいきなり読んでもある程度(表面上は)理解することができる点にある。論文というのは「まぁ〜前提としてこれくらいは知ってますわな^^」なものが多いのだが(専門的な内容なので当たり前)、そういうのが一応はない。加えて「感情」という誰もが有しているものについて、文章で論理的に考察を行っている。論拠の筋道の立て方、本論文についての背景説明なども非常に丁寧であり、読後の「読んでよかった〜」感がシンプルにバカデカい。例えが適切か分らないが歯医者でクリーニングをしてもらった後の感覚だろうか。

本論については是非その目で読んで欲しいので詳細については触れないが、これを読んで俺は、我々(少なくとも俺は)が単に「感情」と呼んでいるものは実は非常に奥深いもので、かつ誰しもが言及できる余地のある分野であると理解した。なにを今更?と思われるかもだが、俺はこういった素朴な気付きの体験が好きでクセになっている。

改めて思えば「感情」とはなんだろうか?SNSでは「感情がない」とか逆に「クソデカい感情」とか感情に関する語句を目にすることがあるが、この「感情」とは?源河氏の論文を読むには感情というのは、なにかしらの対象についての評価とその評価に対する反応から構成されているとある。

雑感とか

ここで一気に俺の脳内連想ゲームが大爆発し、そもそも感情というのは…「対象」についての実在論的な考察の余地は…など云々となった。オタクあるあるだ。こうなると湧き上がった好奇心が止まらなくなってしまう。

というわけで、ひとまず2020年〜2022年に公開された「感情」に関する研究の論文を可能な限りほぼ全て収集してプリントアウトし、一つのファイルにまとめて綴じた(本以外にもこういう独自研究のファイルもそれなりにあって、これも書庫を圧迫している原因である。余談でした)。お断りしておくが、「児童・生徒の感情」や「例の感染症禍に於ける大学生の感情」など教育関係については含めていない。というか、感情に関する研究の大半はこういった分野のものだった。

今回収集した論文に一通り目を通すと、感情研究に関して凡その傾向を掴むことができる。その一つは歴史学の文脈に於けるもので、心性史とも関連し(この辺が気になる人は「アナール学派」で検索してください)歴史上で記録に残った感情の記録を分析し特に民衆運動などを感情論的側面から分析を試みたりしている。その最たる例がフランス革命である。

フランス革命が取り上げられる理由としては、比較的多くの記録が残っている民衆運動だからだと思う。時代的にも新し過ぎず古過ぎずだからだろうか。確かにフランス革命は「これノリだろ」と思えない出来事もない訳ではなく、「なぜこれが起こったのか」を論理的思考で組み立てる以外にも、感情という視点から研究するのは良い試みだろう。上から目線ですんません。

面白いのは、文学史を感情という視点から考察した論文である。何故かは分らないがドイツ文学が対象となっている。資料が豊富だからだろうか?ドイツ文学史に於ける「感情」について、それがいつ重要な立ち位置となったのかについてや、ドイツ文学での「罵り」の感情の表出から分析を…と研究の視点がどれも面白い。俺は最近は小説も読むようにしているのだが、感情に着目して読み直せば新しい読書体験も得られるのではないか?と考えたりするようになった。

今回収集した限りで一番多かったのは哲学との関連だ。中でも大別すればトピックとしては二つあり、一つはカント哲学に関連するもので、彼の著作である『道徳の形而上学』や『判断力批判』を手掛かりに、共同性や倫理に着目して感情を考察している。もう一方は共同体に於ける感情の果たす役割についての考察である。正直なところ精読出来ていないので、本記事では軽く触れるに留める。

これら文系の分野以外では、神経科学などの分野に於いて、感情の表出について研究したり動物の反応との比較で感情の実体を浮かび上がらせようとしたりなどもあった。ただ正直この辺は俺は詳しくないので「へぇ〜…感情って結構いろんな学問分野の研究対象なんだなあ」と小学生並みの感想しか持てておりません。

おわりに

今回は雑記のような感じになってしまったが、「感情」について掘り下げるだけでもこれだけ思考のネタが湧いてきた。今回収集した論文を読み込んでいけば、メンタル関係━メンヘラとかも含めて━についての考察も捗るだろうと思っている。

↓メンヘラ研究のnote

これ以外でも、いわゆる「推し」などに抱くといわれるクソデカい感情についてもう少し筋道を立てて言語化が出来ればいいな…とも考えているのだが、相当に時間が掛かりそうだし、俺自身は「推し」というものを持っていないので達成できるかは不明である。

じゃあなんでお前は書こうとしてんの?については、最近『ガチ恋粘着獣 ~ネット配信者の彼女になりたくて~』にハマっているからです。配信者を「推している」女性たちの群像劇的な感じ?なんですが、概してヤバイ女性ばかりであり、彼女たちが一人の配信者に対して抱えるクソデカい感情を激突させて大バトルする描写が俺は大好きで〜(割愛)

いつの間にか3,000文字を超えていたので本記事はここで一旦終えることにする。気力があれば続きを書きます。収集した文献についてのリストも気が向けば記載します。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以上

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