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回想録:京都下宿時代(大学一回生5月頃まで)

はじめに

先日、久々に京都へ行って四条河原町周辺をぶらぶらしました。通っていた喫茶店、よく利用したゲームセンター、入り浸っていた居酒屋、etc…。色々と懐かしい記憶が蘇りました。

Twitterでは大学在学中の呟きは全て消しており、当時使用していたスマートフォンもぶっ壊れて写真等も漁れないためほぼ空白の歴史と化しています。2017年4月以降のフォロワーで「コイツって大学時代どうやったん?」と気になる方いればお読みください。

また、せっかく色々と思い出したので、僕自身の記憶整理も兼ねてここに記載しようと思った次第です。ただ全て正確な記憶とは限りませんし、無意識に色んなことがごっちゃになってる可能性があるので、半分フィクションのつもりでご覧いただければと思います。お時間のある方は最後まで読んで頂ければ幸いです。

※3000文字くらい

本編

■下宿決定まで

京都の大学に合格し、下宿を選ぶために父親と京都へ訪れた。大学付近に不動産屋が何軒かあるので、取り敢えずその辺で探しますか~とブラブラしていたところ、父親から「あそこの不動産屋にしよう。受付の女の子が可愛いし」と言われたのを覚えている。選定理由が不純すぎるが金を出すのは父親なので俺は「ッス」と返した。

下宿については父親に4、5件ピックアップをしてもらい、そこから俺が選ぶスタイルをとった。敷金礼金を出すのは父親であり、下宿の選択を俺だけですると後から何かあったときにゴチャゴチャと口を出されるのが嫌だったからだ。

ちなみにこの「選択肢を相手に絞らせて自分が最終的に選ぶ」というのは有用であるが悪用も可能なので皆さんも覚えて対策を立てて頂ければと思います。逆の「自分で選択肢を絞って相手に選ばせる」もまた然りです。

閑話休題。最終的には何の変哲もないワンルームのアパートに決めた。立地的には複数路線の最寄り駅で、近所に松屋・美容院・家電量販店・弁当屋・銀行・etc…と色々あったので割と良かった。

■下宿引っ越し準備ほか

下宿が決定したので色々と家具や家電を揃える運びになった。noteのフォロワーは高校生も多いので先人からのアドバイスとして記載させて頂くのだが、特にこだわりとか無ければ、これらはリサイクルショップで適当に揃えたらいいです。男子大学生の一人暮らしの初期装備に新品の家具家電は必要ない。

また入学直前の3月とかに家電を揃えようとすると、一人暮らし用の冷蔵庫がどこも売り切れていたりする。おかげで俺は「同棲中?」と思われてもおかしくないくらいクソデカい冷蔵庫を買う羽目になった。

あと大学入学当時に童貞なら(つまり、俺)「女の子を家に上げた時に備えてベッドはセミダブル以上にして~」とかしょーもないこと考えて、部屋の大きさに見合わないクソデカいベッドを置かないように。そういうのは然るべきタイミングというものがある。気持ちは分かるけどね。俺は父親に諭されてシングルベッドを買いました。セミダブル以上になる予定は今もありません。

はい。少なくとも家電については拘りが無ければ最低限のものでいい。親が全部好きに買え!と言ってくれる場合は好きにしてください。羨ましい限りです。

■下宿環境準備

3月なんて引っ越しシーズン真っ盛りでタコほど引越し費用が嵩むので、父親にハイエース(だったと思う)を借りてもらい大阪から京都へ荷物を輸送した。母親にも来てもらい、家族で協力して引っ越し作業を終えた。

父親がベッドを組み立てている時に突然「俺が締めたボルトが緩むくらい、いっぱいこのベッドで女を抱いてくれよな!」と言って部屋の雰囲気が””終焉(おわ)””ったことは覚えている。ちなみに、ネジやボルトは締めたときにマジックで線を引いておくと緩み具合がすぐ分かる。これを「アイマーク」と呼ぶ。

ヨシ!

引っ越しについては特に書くことはないが、強いて挙げるならばウサギ小屋みたいに狭いアパートにクソ長いガラステーブルとベットを置いたため、なんか北欧の刑務所と日本のビジネスホテルが合体した謎の部屋が出来上がったくらいである。今思うと意味不明。また来客があった場合はベッドに座らせるしかない。半年くらいでガラステーブルは実家に返した。

■一人暮らし開始

家族が下宿を去ると突然静寂が訪れる。寂しさと孤独感に襲われて狂…わなかったが、メンヘラが家で一人になって寂しい気持ちに襲われて、適当な男を家に上げてしまう気持ちは分かる気がした(偏見です)

入学式の記憶は全く無い。この前祖父母に「これお前の入学式の時の写真だよ~」と見せられて「二人とも来てたのか」と思ったレベル。その後のオリエンテーションの方がまだ覚えている。

皆さんは「オス友」というのをご存じだろうか。ちょっとヤバいタイプの女が言う男友達の別の呼称ではない。簡単に言うと大学構内で遭遇したら「オス」と言い合うだけの関係の人間のことだ。知り合いと大差ない。入学当時は人間関係の探り合いみたいなものがあり広く薄い関係が築かれることが多く、こういうものが発生する。春の大学で群れていた集団が解体される5月頃によく目にする光景だ。

もちろん俺はこういう群れる行為が大嫌いである。どれくらい嫌いかというと、入学時にゼミみたいな感じで各学部学科ごとにクラスみたいなもの(週一で講義が開かれてグループワークで発表をするやつです。伝わりますか?)が編成され、親睦会やりますか!となったときに俺だけ欠席したくらいだ。群れるのが嫌いなのを通り越して単純に社会不適合者だろコイツ。

マジでこんな思考してる

■大学生活(一回生春)

食生活は朝食にシリアルと牛乳、昼に学食で適当に(もちろん一人)、夜に鶏もも肉を焼いたやつを一生食べていた気がする。当時は酒も飲まずタバコも吸っていなかったので、親から生活資金として貰った10万円で二カ月余裕で生活できた。

現在はタバコはやめたが毎日タコほど酒を飲んでおり、お金も毎月5000兆円くらい使っているので、よくこんな慎ましい暮らしをしていたなと自分で自分に感心する。単純に本を買いまくるのと酒を飲みまくるのをやめて、遊ぶ頻度を減らせばいいだけなんですけどね。

当時の俺の人間との交流はほぼ限られており、加入したサークルの先輩らと活動後に学食を食べる程度のものだった。あとはグループワークの話し合いでメンバーの人たちと図書館で話し合ったくらいか。

『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』について発表したのは忘れることはないだろうし、俺が歴史を考えるうえで大きな影響を受けている。

今調べたら絶版になったのか高騰していてビビった。興味ある人はぜひ読んでみてください。

じゃあお前は4月と5月は何してたん?については本記事が長くなってきたので割愛。機会があれば書きます。

おわりに

これTwitterでもnoteでも8億回言っているのですが、「京都の大学の文学部に通い、京都で下宿生活を送る」という振り返れば森見登美彦の小説みたいな境遇だったにも関わらず、ほぼ一切それっぽい体験をしなかったのが悔やまれます。もう死語だけど「エモい」生活をしたかったな~。

2013年6月以降についてはつらつらと書き連ねる予定はありません。断片的には記事にするかもしれませんが。Twitterと絡めたやつとか。今回は書いている途中に昔のことを色々と思い出せたので昔話を書くのも悪くないですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以上

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