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022 日本宗教史(縄文・弥生時代)


皆さんこんにちはコバチバです。

今回は日本の宗教史を題材に記事を書いていこうと思います。

あまりにも生活に根付きすぎて、実態が掴み切れない日本の宗教を歴史から見ていけたらと思います。

宗教史から日本人の思想・習慣・文化のルーツが見えてくるのかと考えています。

※記事は資料を読んだうえで個人の見解・感想で書いていきますのでご了承ください。

記事は時代ごとに分けて掲載し、随時調べて分かったことがあれば更新していく予定です。


①縄文・弥生時代


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(川に注目した日本地図)

日本は山と川に恵まれた風土から日本人原初の宗教観が形成されたと考えられます。

縄文・弥生時代に山は、動物の狩場であり、木の実や山菜を取り、稲作や飲み水に必要な川の源であり、山の美しい姿や山頂の澄み切った空気は神秘性を秘めていたことから、日本人は山の恩恵と神秘性に敬意を抱き「神」として崇めました。

ちなみに富士山が山岳信仰の観点から世界遺産に選ばれたのはこのような背景から始まっています。

特に山からもたらされる川は、上記の地図から分かるように、とても多くの地域に広がって日本の人々の生活に密接だったことからとても日本の人々は敬意を持つようになりました。(稲作、飲み水、洗濯、風呂など)

 稲作については別の記事で載せましたので こちらをお読みください 


水を起点とする宗教観


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特に日本の恵まれた河川により、体を洗う習慣から水で身を清めることを重視する価値観が形成された思われます。神社に入る前に手水舎(上記の写真)でまず手を清めるのはこの表れだと考えられます。

多くの川のおかげで身を清める習慣から、自分の身の汚れに敏感になったことから、自分たちの体を清めてくれる川を崇拝しました。

日本人の清潔意識の高さや風呂好きのルーツかもしれませんね。

また、「神」という言葉は川のもとである「川上」を示し、人の上の「上(カミ)」へとつながる形で、上の存在を表すカミから出来た言葉と考えられます。



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水で身を清める価値観により、「死」というのは古来は穢れによるものであり、死は穢れたことを意味していました。
穢れの果てである死は恐ろしいものであり、穢れた人が災いとなって再び現れないように屈葬という形で手足を縛り、膝を曲げて地中に埋めたり、地域によっては穢れの浄化の為、船で川や海まで死んだ人を流すところもあったようです。

日本神話により日本の地を産んだイザナミが死後に根の国で夫のイザナギと会った際に腐敗した姿であった場面は、この穢れの価値観と密接に関係していると考えられます。

「死」というのは穢れであり、人が触れていいものでは無いという価値観は日本人の死生観の弱さに繋がり、宗教に現世利益を強く求める土台になったのではないでしょうか


また穢れを払う水から精製される「塩」はその成り立ちゆえにお清めとして用いられてきました、神社での神事、葬式でのお清め、相撲で土俵に巻いたりと、食事だけでなく清さの象徴でもありました。


さいごに、政治の言葉の起源は「政(まつり)」→「祭り」→「祀り」→「まつらふ(服ふ・順ふ」であり、時には河川の氾濫など大自然の大きな力に服し、身と心を清め神に従って生きるというのが古来日本人の宗教観であり、現代にも繋がる価値観であると考えられます。

河川が氾濫したとしても、川が運んだ山の産物が田畑の養分となり次の豊作をもたらすのだから、自然の意思に従って生きていこう………このような心境だったのではないでしょうか?


まとめ

自然万物を崇拝するアミニズムは世界各国でありましたが、日本は山と河川に恵まれた地形で会ったことから、山と川の恩恵に感謝と畏敬の念を抱き、特に川を崇めたのではないかと考えられます。

日本もたくさんの地域があるので、一括りで信仰観を言い表せるわけではないですが、1つの大きな流れとして川及び水への信仰観が強くあったのではないかと思います。


最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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