【トラペジウム感想】夢の擬人化・東ゆう【ネタバレあり】

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―――――はじめに―――――

 筆者はトラペジウムを映画館で1回鑑賞しただけのにわかです(2024/5/21現在)。細かいセリフ回し等、記憶違いは相当な数あると思われます。正確さは保証できませんのであしからず。
 読者にはトラペジウム既視聴勢を想定していますので、登場人物の名前等は特に説明なく使います。
 観よう、トラペジウム。

 公式サイト。正確に引用している台詞はこちらから拝借しています。
映画『トラペジウム』公式サイト (trapezium-movie.com)



2024/5/23 二周目感想はこちら。
【トラペジウム感想#2】東ゆうを理解したい【ネタバレあり】|とつげきチョッキ (note.com)

2024/5/23 一部訂正。
2024/6/1 一部訂正。

―――――始まります―――――




序論

 学校教育の現場にサイコパスが紛れ込んだら何が起きるかの思考実験の産物を悪の教典とすれば、アイドル現場にサイコパスを放り込む思考実験の産物こそがトラペジウムである。かわいい女の子が夢に向かう青春ストーリーというガワで中和しきれないほど、主人公の言動は反社会的で、視聴者の神経を逆撫でする。だがその表面的な「正しさ」ゆえに誰もそれを止めることができず、破滅へと着実に駒を進めてしまう周囲の反応も含めて、高純度のサイコスリラーと言えなくもない。同時に、これは夢に囚われた盲目的なサイコパスが人間へと回帰する再生の物語でもある。

人間・東ゆう

東の「正しさ」

 主人公・東の行動は、打算的で、時に露悪的で、友人を手駒のように利用し、ごく自然に当事者の感情を無視して悪びれるところがなく、アイドルになるという目標以外、何一つ顧みることがない。カント道徳論の「汝の人格と他者の人格の内なる人間性を手段としてのみではなく常に同時に目的として扱うように行為せよ」に真っ向から対立する、折り紙付きの不届き者である。しかし、当事者の感情と言うファクターを排し、アイドルになるという最終目標に照らしてその行為を振り返ると、それらはあまりに「正しい」。その正しさゆえに、東は自らの行為を顧みることができない。頭の中には理想化された「アイドル」の四文字しかなく、すべてが夢の実現のための手段に見えている人間にとって、その正しさはあまりにまばゆく、強固で、覆りがたい。彼氏がいることを隠してアイドルになったメンバーに「彼氏がいるなら、友達になるんじゃなかった」と吐き捨てることも、ライブへの口パク出演をたやすく受け入れ、「歌うの苦手だからちょうどよかった」と緊張を和ませようとしたメンバーに「歌下手だって自覚あるなら練習しなよ」と言い放つことも、東にとっては1+1=2と同列の「正しい」テーゼであり、表明することに何の躊躇いもない。なぜなら、安定したアイドル活動の上で彼氏の存在が障害になることは明らかであり、当事者には事前に関係を解消する義務があるから。歌が下手なことを開き直るアイドルなど言語道断で、不十分なサービスしか提供できていない自覚があるなら即刻改善すべきだから。正しい、正しすぎる。感情を排し、文脈を無視し、アイドルという職責を全うする上での理想的な態度として文章を切り出してみれば、あまりに真っ当な主張である。
 だが、一般論として、正しいことを大っぴらに主張することは、必ずしも正しいとは限らない。

 一体、東を突き動かすものは何なのか。アイドルになりたいという一見無害な欲望から、どうしてこのようなおぞましい行為の数々が生み出されるのか。全編通して、東の思考と行動は一般的な感性では度し難いが、その断片はCanvasノートとして視聴者に開示されている。東の思考はノートの内容と同期している。東の行動はノートに書かれた目標を実現するために最適化されており、目的のためなら、文字通り手段を択ばない。逆にノートに書かれていないことは絶対に考慮しない。そしてノートには、アイドルになるための計画だけがびっしりと書かれている。東の信じる「正しさ」の根拠はすべてこのノートに書かれている。だから東の言動に違和感を覚えたら、ノートの内容を思い出せばいい。そうすれば大抵の違和感は氷解する。同時に、東の人間らしさも後退することだろう。

具体例

 東の「正しい」発言について、いくつか例を挙げてみよう。

1.登山

 東が美嘉のボランティア活動に参加するシーン。東は美嘉の誘いで、くるみも交えて定期的にボランティア活動に参加していた。東がボランティア活動に参加しているのは、アイドルデビューした後で経歴を掘り返されたときに受けがいいから。清々しいまでに純度百パーセントの打算である。あとは美嘉を抱き込むために誘いに乗って恩を売った側面もあるだろうか。
 ある時、ボランティア活動の一環として登山する機会が訪れる。東はくるみと蘭子を誘い、初めて東西南北の四人が一緒になる運びとなった。だが、四人で登山できないことが判明した際、事情を説明した中年のボランティアスタッフの前で東はあからさまに不機嫌になる。あろうことか「四人一緒じゃなきゃ意味がない」と言い放つ。東は美嘉と同じグループだった。気を遣う美嘉の前でも「意味がない」と繰り返す。結局グループ分けは変更されないまま、東は美嘉とともに山頂を目指すことになる。
 倫理的に考えて、東の発言には問題がある。東と同じグループに配属された他のボランティアスタッフを、車椅子の子供たちを、愚弄している。あくまで私欲のためにボランティア活動にタダ乗りしている立場でありながら、利用価値がないと見るや否や、彼らの活動を「意味がない」と切り捨てている。
 また、美嘉の視点で見ても、この発言は残酷極まりない。美嘉は東と小学校の同級生で、当時からいじめられていた。教室で誰からも話しかけられなかったところを、東だけは話しかけてくれたことをずっと覚えている(東は忘れている)。中学にも行けず、ボランティア活動だけが居場所で、顔を変え、高校で全部初めからやり直そうとして、それも失敗してしまった美嘉にとって、東は生涯で唯一の友達である。本屋で再会した後、くるみを交えて喫茶店に行った際、美嘉には焦りが見られる。唯一の友達である東に、自分より親しい友人がいる。美嘉、東とくるみを見比べながら「仲、いいのね」くるみ「ん~、そうだね。最近はずっと一緒にいたからかなあ?」直後、美嘉は意を決したように、二人をボランティア活動に誘う。ここには美嘉の計算が見て取れる。東の時間を占有したい、あるいは、ともに過ごす時間があれば自分も東ともっと親しくなれるはず、という裏の欲望が透けて見える。
 その東による「意味がない」発言は、美嘉に様々な疑念と不安を巻き起こすだろう。東にとって、美嘉と過ごす時間には意味がないのか?ボランティア活動に誘ったことも、内心疎ましく思っていたのか?山頂で弁当を食べながら、美嘉はしきりに、「東ちゃん、今、楽しい?」と尋ねている。自分といるのは楽しくないのか?自分といるより、蘭子やくるみといる方が楽しいのか?自分に発言権があれば、他のスタッフを説得して四人一緒のグループにできたんじゃないか、と暗に詰っているのか?東は終始仏頂面で、生返事を繰り返す。
 だが、東にとっては、アイドルになるという目的にとっては、本当に「意味がない」のである。ボランティア活動に参加しているという実績なら、もう余所で得ている。この登山は、メンバー四人が初めて一堂に会する、東の計画上の一大イベントなのだ。蘭子と美嘉の初顔合わせでもある。絶対に失敗できない。蘭子とくるみがロボコンを通して築き上げたのと同じレベルの結束を、今回の登山を通じて実現しなければならないのだ。これはCanvasノートからも読み取れる。登山の目的は「四人の結束強化」である。ちなみに蘭子宅でのロボコン合宿の総括は「三人の結束強化」だった。美嘉個人の感情、はノートに書かれていない。東にとって、ノートにとって、個人の感情は関知するところではない。もちろん、東自身についてもそうだ。

2.テレビ取材

 観光ボランティアの現場にテレビの取材が入るシーン。東は、テレビに可愛い女の子が映ってSNSでバズってアイドルデビュー、という青写真を描いている。実際に取材が始まってみると、AD古賀さんと主にやり取りをしているのは伊丹老人で、視聴者には、東らはあくまでオマケであることが察せられる。話の流れで東が通訳を担当している件になり、東が口を開く機会が回ってくる。話の流れは、
東「はい、外国人観光客向けに通訳をしています。英語は得意ですけど歴史は苦手なので、ガイドの内容はみんなで考えています(全員に古賀さんの注意を向ける)」
古賀「仲よさそうだけど、全員制服が違うのな~(蘭子、美嘉を見ながら)」
東「城州の東西南北の学校出身で、一緒にボランティア活動をしている仲間なんです。」
蘭子「四人は城州の東西南北東西南北。別の名前があるんですけど、南さんて呼ばれてます。」
(古賀、城州の東西南北出身というフックに食いつく。)
 限られた文字数で的確に狙った情報を伝えている。繰り返すが、アイドルになるという目標に照らして、この行動は極めて「正しい」。
 取材の帰り道、くるみがドタキャンしたことに不平を漏らしながら、海辺の坂道を下る(くるみがドタキャンした理由は明言はされていないが、人前で注目を浴びたくなかったからだろう。この時点で予兆はあった。)。すると美嘉が不意に立ち止まる。
「結局さ、私たちはただのボランティア仲間なんだよね。さっきの東さんの言い方、まるで私たちはボランティアでしか繋がってないみたいだったボランティアやってるから仕方なく一緒にいるみたいじゃん。あたしたちって友達じゃなかったの?
東、気圧されて「いや、それはさ、ああいった方が分かりやすいっていうか…」
美嘉「(映像に残ってたくさんの人が見ることになるんだし、)私たちは元々友達だったんだから。そこはちゃんと友達って言ってほしかったな」
 美嘉に怒りの感情が浮かんでいるのは、全編通してこのシーンだけである。美嘉の「東の友達である」という自意識が強烈で侵しがたいことが確認できる。
 東西南北のメンバーは、アイドル以前に友達である。東は当初、蘭子とくるみに「友達になろう」と言って接近している。美嘉のことは印象に残っていなかったが、小学校では友達だった。友達四人の仲良しグループ、これが彼女らの共通認識である。ただ一人、東を除いて。東にとっては「自分が目によりをかけて選び抜いたアイドルの原石」に過ぎない(これは東西南北(仮)の企画がスタートした際の東のモノローグでも確認できる。「私の目に、狂いはなかった!」そこに友情らしきものは一切ない。)。
 東の発言は美嘉の不興を買ったが、結果としてこの売り込みが奏功し、AD古賀さんから個人的にコンタクトを受けることになる。繰り返しになるが、アイドルになるという最終目標に照らして、東の行動は常に正解になるよう話が組み立てられている。

矛盾した正しさ その不安

 視聴者から「主人公が怖すぎる」「胸がゾワゾワする」「ひとりで見ちゃいけない」等の感想が散見されたのも、この東の一貫した「正しさ」が一因としてあると思う。正しいことをするのがひとつも正しくないという矛盾した状況に、美少女アニメを前に武装解除していた倫理観が、強く揺さぶられたのだろう。それは作中の人物についても同様で、だからこそ、くるみがテレビ局で限界を迎え、致命的な破局に至るまで、誰も東を制止することはできなかった。


東には見えないもの

 東の見る世界は極端に澄み切っている。歪んでいるのではなく、歪みがなさすぎる。アイドルになるという確固たる目的に最適化された東の行動は一貫しており、迷いがなく、傍目には冷淡に映る。
 東は理性的である。ただ、その付き従う格率が途方もなく異質なのだ。そこまでは確認できた。ここで、一旦東から離れ、蘭子、くるみ、美嘉から見た東西南北(仮)を整理しておく。
 蘭子はお嬢様学校のテニス部で誰よりもテニスが弱い。キャラの濃さも相まって、恐らく同性の友人はいない。東が口を滑らせ「南さん」と呼んだ際も、「あたくし、綽名を付けてもらったのは初めて」と言っている。東が「城州の東西南北で友達を作りたい」と言い出したのにも乗ってくる。(この二人が友達になるシーン、配置がえげつなくて、画面左手の日陰に東、右手の日なたに蘭子、中央にはピンボケした柱がある。二人の間の、きっと最後まで覆ることのなかった壁と温度差を暗示している。)
 くるみは高専のプリンセス(真司談)。前年のロボコンに出場した際にルックスの良さが話題になり、一時期学校にファンが詰めかけていた。真司の仲介で、東はロボコンガチ勢という触れ込みでくるみに接触する。今年のロボコンは初の水上競技だが、くるみの練習環境は劣悪。そこで東は、自分の学校のプールの使用許可を取ろうかと持ち掛ける。それは流石に無理だったが、蘭子の家のプールを使わせてもらえることになり、三人は毎週蘭子の家に入り浸るようになる。結果的にロボコンは準優勝。くるみからすれば、東は初めてできた女友達であり、ロボコンのサポートをしてくれた恩人でもある。
 この二人については、くるみのロボコン対策で約二か月ずっとべったり一緒にいた。それでも東の「アイドルになる」という目標は一切曇らなかった。一緒にいて楽しい友達がいるからアイドルはもういいかな、なんて話はない。ここまで来ると、東のアイドルになる計画は、目標とか欲望などという生ぬるい言葉で表現するには足りない。呪い、とかの方がいいのかもしれない。
 美嘉は前の章で述べた通り。東のファン一号。東の「友達である」ことへの執着が人一倍強い。
 三人の共通点は、孤独なこと、東に対して強い友情(それだけでもなさそうだが)を抱いていること。後述するが、この友情こそが東をアイドルたらしめた原動力に他ならない。だが東は、最後までその存在に気付くことも、報いることもできなかった。

 少し話がずれる。東に絡んでくるいじめっ子のモブがいるが、あれが世間から東への一般的な態度なのだろうと思う。美嘉の話なのでバイアスは相当にあると思うが、小学生の東は「可愛くて、勉強も運動もできて、絶対に泣かなかったあたしの憧れ」だった。性格に難があり、社交性ゼロのハイスぺ美人、というのが東の客観像として想定できる。とはいえ、東が嫌われているのは、鼻につくからとか、出る杭は打たれる的な話でもなく、単純に東の素行にも問題があるせいとは思う。東はことあるごとに舌打ちする。最初は舌打ちとは気付かなかった。変なSEだな、くらいに思っていた。美嘉の写真流出の場面で初めて確信した。あ、これ舌打ちしてんのか、と。だってあり得ないから。主人公の美少女が舌打ちする映画なんて見たことない。多分、学校でも近いことをしている。そりゃ嫌われる。一般論として、我々が問題と呼ぶものは、他の誰かにとっての答えなのだ。あの嫌味なモブは既に答えを出している。それが、東の抱える問題を逆照射している。

人間関係=手続き 説

 これは重要な特性だが、東にとって、人間関係は手続きである。特定の所作が特定の影響を引き起こす、関数のように明確な対応関係の中で、東は生きてしまっている。くるみと初めて会話したとき、東の話に不信感を出すくるみに対し、自身の情報を開示する手続きを経れば心を開くはずだと考え、急に自己紹介する。(これは深読みしすぎかもしれない。脚本の都合というか、話の流れを遮らないように視聴者に主人公の属性を伝えるための措置だったかもしれない。)
 美嘉の彼氏といる写真が流出した際、彼氏がいるなら、友達にならなきゃよかった、という発言があった。これ自体は普通にライン超えで弁解の余地はないと思うが、この後の東の謝罪の態度に違和感があったので、東の内面の動きについて自分なりの解釈を述べてみる。それは、東が人間関係を手続きと捉えているというテーゼによって説明がつく。
 東の思考を顧みてみると、男の存在に強い警戒心がある。真司と作戦会議の際にもこの傾向は見て取れる。
 公式の映像から引用。真司との作戦会議における東の発言。
「アイドルになったら、過去はすぐに暴かれる。さあ問題。その時に、男との写真が見つかるのと、ボランティア活動に身をささげている写真が出てくるの、どっちが好感度高いでしょう?」
 東はCanvasノートのエミュレータである。東の言動は全てCanvasノートにも書かれているはずで、となれば、ノートにも「アイドルは男関係NG」と書かれていることが推測できる。それは東にとって絶対的なテーゼである。東は恋愛感情を理解しない。アイドルの職責を全うする上で不要な要素は、何一つ東に搭載されていない。東は感情に任せてだとか、勢いに呑まれてだとかではなく、常に正しいと思ったことを言う。人の箍が外れるのは、悪意で動くときではなく、自分に正義がある確信したときである。危うくアイドル活動を台無しにされかけたことに腹が立ってはいるのだろうが(すごい顔してた…)、冷静ではいる。冷静に、自分に百パーセント分があるという確信のもと、友達になんかなるんじゃなかったと、そう言っている。私はそう思う。
 美嘉の写真流出を詰った翌日、暗いロケカー内で、開幕謝罪をキメた。一見誠実そうだが、直後に古賀さんが「どうした、暗いぞ~!」と割り込んできた瞬間、安堵の溜息をもらす。この反応に私は強烈な違和感を覚えた。現状の私の解釈では、謝罪という手続きを経たので、これで問題はリセットされた、関係は全部元に戻った、やれやれ、というのがこの瞬間の東の内面の変化である。一時的に感情的になってしまったことを悔いる人間の態度ではない。この件は一貫して自分に分があるが、こうして頭を下げてやったんだから全部元通りにしないと承知しないぞ、という声が聞こえてきそうである(考えすぎかな…)。そして東の見立ては間違っていて、くるみは気付いているが、この日以降、美嘉は笑わなくなった。何も元には戻っていなかった。致命的に壊れたままのものがある。東には見えないものが。

(東が正義の側に立って一時的に箍が外れたような書き方をしたが、そういう意味では東の箍は常に外れている。Canvasノートという正義をエミュレートするのが東という実働部隊で、正義の執行に迷いがあるはずない。)

 美嘉の写真流出シーンについてもう少し。
 流出した写真だが、「三周年記念」というキャプションが添えられていた。美嘉は現在高校一年生で、三年付き合っているということは中一で交際開始した計算になる。不登校でボランティア活動にしか居場所がなくて男受けするルックスといえば放っておかれるわけがないとは思うが、手を出した男がヤバすぎる。ボランティアの先輩とのことだが、同世代ならギリギリセーフとして、他のケースが本当にヤバい。美嘉の人間関係における受動性、危うさが見て取れる。

大切なもの

 東の行動力と先見の明は凄まじい。あれよあれよという間に魅力的なメンバーを集め、的確にチャンスを掴み、地位を固め、アイドル街道を進むための前提条件を整えることに成功する。だが、本当にそれだけだっただろうか?東が完璧な導線を引いたとして、当然その功績は称えられるべきだが、実際にその道を進むことができたのは、本当に東だけの力なのだろうか。
 考えてみてほしい。東のノートに書かれているのは、あくまで機会と目的だけ。登山で四人の結束が強くなると書けばその通りになるし、テレビの取材で全国に放映されると書けばその通りになる、そういう想定で東の計画は出来上がっている。
 そんなはずはない。計画は細部にわたって、蘭子が、くるみが、美嘉が、東の提供した機会に全力で乗っかってくることを前提としている。計画と呼ぶにはあまりに楽観的、不完全なものである。他校に飛び込みでメンバー集め?正気の沙汰ではない(私なら断る。怖すぎる)。一緒にボランティアに参加?断られたらどうするのか(私なら断る)。テレビ出演?乗り気じゃなかったらどうするのか(私なら断る)、芸能人でもないのに、顔だけが全国区に広がることはリスクしかない(フリー素材化!)。
 この穴だらけの計画を人知れずパテ埋めし、東を高みへと押し上げたものは、三人が東へ向ける巨大な感情、友情、恩義、そういうものである。蘭子もくるみも美嘉も、孤独だった。東のほかに友達はいなかった。だから協力した。唯一の友達の、自分を孤独から救ってくれた恩人の、夢を叶えるために。

 東は、自分を支える歪な構造に気付いていない。東が三人に提供できるのはあくまで機会だけで、それをどう活かすか、そもそも活かすかどうかさえ、当人の裁量に委ねられている。どう動くかは誰にも予想できないはずだ。それでもことが東に有利に運んだのは(フィクションだから、というのはさておき)、ひとえに東に向けられた、ただならぬ感情のせいに他ならない。それだけの強い動機がなければアイドル活動など続けられるはずがない。人前で注目を浴びるのが苦手なはずのくるみが、なぜここまでついてきたのか?蘭子に不安を溢しながら、それでもアイドルを辞めなかったのは何故なのか?
 だが、東には想像もできない。東にとってアイドルは理想的な職業である。綺麗な服を着て、素敵な歌を歌って、たくさんの人に夢と希望を届ける、最高の職業なのだ。それ自体が至高の目的なのだ。他に理由はいらない。アイドルをやりたくないなんてあり得ない。かわいい女の子は全員アイドルになるべきなのだから。
 くるみが限界を迎え、テレビ局で暴れた際、東の答え合わせが始まる。公式が動画を公開しているので、折角だし全部引用してみよう。
蘭子「わたくしもね、気付いたことがあるの。アイドルって楽しくないわ」
東「そんなのおかしいよ!綺麗な服を着て、可愛い髪型をして、スタジオでいっぱい光を浴びて、それがどれだけ幸せなことか分かってる!?」
蘭子「それを楽しいって思えるのは、東さんがアイドルを好きだからよ?」
東「そんなことない!慣れていけばきっと楽しくなってく!…だって、アイドルって大勢の人たちを、笑顔にできるんだよ!こんな素敵な職業、ないよ!」
 これが東のアイドル観、狂気の源流である。東の考えでは、三人がアイドルを続けているのは、本人がアイドルになりたいからだ。この考えは間違っている。共感とは、自分が感じるのと同じように、相手も感じると考えることである。相手が感じているのと同じように自分も感じるのではない。
 ただ、この時点の東には、その他者へと照射するところの自分自身の内面に対しての批判が欠落している。東は、アイドルは最高の職業で、女の子は全員なりたがっている、というテーゼを決して撤回することができない。他者がそれを受容することを当然と信じて疑わない。だが、現実は異なる。繰り返すが、蘭子らをここまで動かしてきたのはアイドルへの憧れではなく、東への友情だ。だが、東にはそれを見通すことができない。

そして人間へ

 東西南北(仮)が消滅した後、東は自身のすべてを失う。中にアイドルのことしかなかった東は、空っぽになる。すると、今まで東の中に入り込むことがなかった、様々な要素が実感として現れ始める。将来への不安、過去の自分、他者の目に映る自分、友達。蘭子。くるみ。美嘉。
 これも公式が公開している映像から引用。東は母親と二人きりとき、尋ねる。
「あたしってさ、嫌な奴、だよね」
 母は東の肩に手を置き、優しく言う。
「そういうところも、そうじゃないところもあるよ。ゆうには」
 東は自室に戻り、夜空に慟哭する。咽び泣く。このシーンほんとすき。この瞬間がこの作品の転換点である。東は人間に戻ったのだ。アイドルという盲目的な夢が終わりを迎え、抜け殻になった東は産声を上げ、新たな人間として幼児のごとく、ぎこちなく、だが力強く産まれ直したのだ。
 Canvasノートのカットイン。「出口。私は…」この後は黒く塗り潰されている。Canvasノートに一人称が登場するのは恐らくこれが初めて。Canvasノートは東の思考内容を具現化したものだが、ここでようやく「自分とはいかなる存在か」「周囲から見た自分はどんな存在か」「自分は嫌な奴なんじゃないか」という問いが出現する。今の東はこれに答えられない。東には、アイドルになる以外何もなかったのだ。







本論:夢の擬人化・東ゆう


ここから本編。あくまで個人の感想、個人の解釈です。アイドル業界についてごちゃごちゃ言ってますけど全て憶測です。

 全編通して、東の非人間的な言動をなんとか解釈してきた。元も子もないことを言うが、登場人物には誰一人感情移入できなかった。東はもちろん、東を友人として受け入れる蘭子、くるみ、美嘉でさえも。
 そこで、逆に考えてみた。ここまで非人間的に描かれている東は、本当に人間なのか?別の抽象的な何かを代替するアイコンなのではないか?
 これを踏まえて、本作における私の解釈は次の通り。

 東ゆうは、現実世界のアイドル業界を擬人化した存在である。

 こう考えると、東の打算的で相手の感情を一切顧みない行動の数々はすべて説明がつくと思う。「東ゆう」とは、アイドル志望の普通の女の子・蘭子、くるみ、美嘉が相対するところの、アイドル業界そのものである。
 ある日突然、スカウトにやってくる。愛想のいい顔をして甘い言葉を囁きながら、真の目的はひた隠しにしている。親交を深めるようで、その実愛着を抱くことはなく、あくまで自己実現(商売?)の道具として女の子のコンディションを高めてくる。的確にスケジュールを練り、時には裏で手を回して女の子の行動を操作し、目標を設定してイベントを手配し、関係各位への根回しを怠らず、最速で彼女らを光り輝く舞台へと連れて行ってくれる。
 ただし、その背後にあるのは、商業主義に裏打ちされた徹底的な打算である。

 東の「正しさ」から引用する。

 主人公・東の行動は、打算的で、時に露悪的で、友人を手駒のように利用し、ごく自然に当事者の感情を無視して悪びれるところがなく、アイドルになるという目標以外、何一つ顧みることがない。

 東をアイドル業界に、友人を女の子、アイドルになるをアイドルとして売り込むに置き換えても本論の論旨は完全に通用する。何なら、この文章を冒頭から、すべてこの置き換えをして読み返してもらってもいい。

 東=アイドル業界を仮定すると、話の筋は次のようになる。アイドルのスカウトにあった蘭子、くるみ、美嘉がユニットを結成する。背後には敏腕P(東)がいて、デビューに向けて的確に導線を引いてくれる。いくつか不信感を抱かせるイベントはあったが(本人も認めている通り、東はボランティア活動を踏み台にしてテレビへとのし上がった)、流れに身を任せていくうち、とんとん拍子に知名度は高まり、三人はアイドルデビューを果たす。最初はうまくいっていたが、業界=東の独善的な態度が往所に目立ち始める。事前の相談もなく勝手に仕事を入れられる(東は新曲の歌詞を皆で考える件を独断で決めた)、人間関係に干渉し(美嘉は彼氏と別れさせられた)、始末の悪さを口汚く罵る(彼氏がいるなら、友達にならなきゃよかった)。三人は疲弊する(特にくるみ)が、業界=東の行動は、アイドルという職責を全うする文脈において完全に正しく、覆りようがない。何より、三人はアイドルに憧れているのだ。挙句、限界を迎え、最早アイドルを続けられる状態ではなくなったくるみを、それでもアイドル業界に残らせるべく、業界=東は淡々と説得に向かう。蘭子ははっきりと、アイドルの仕事は楽しくない、くるみを解放するべきだと告げ、美嘉は業界=東の人を人とも思わない態度に恐怖し、泣き出す。そしてユニットは解散。業界=東はすべてを失い、何かを反省し、再起をかける。
 東を、人間ではなくアイドル業界に、三人から東への友情を、アイドルへの憧れへと置き換えると、きっと東に纏わる様々な違和感が腹落ちするのではないか。友達ではないから、打算で付き合ってもいい。寝食を共にしても、愛着を感じなくていい。アイドル志望なのだから、事前の断りなくデビューの話を進めていい。アイドルは商品なのだから、価値の低さを開き直るなんて言語道断。商品の評判が落ちるのは困るから、彼氏との関係は解消させてもいい。商品の一存で勝手に仕事を辞められるのは困るから、説得して仕事を続けさせる。そして東の狼藉に三人が耐えられたのは、ひとえにアイドルへの憧れの気持ちのおかげだった。
 どうだろう。一般的な感性でも理解しやすい構図になったのではないか。

 すると、東の行動の異様さは、即座にアイドル業界の異様さへとすり替わる。絶えず行動を共にし、自分たちの動静を観察でき、立場だってどうとでもできる東=アイドル業界が、自分たちに一切人間的な関心と愛着を向けてこないことの異常さ、耐え難さは想像に余りある。東=アイドル業界への思慕ただ一つをよりどころに、懸命にその地位にしがみつこうとしている彼女らの心労は筆舌に尽くしがたいだろう。

 蘭子が繰り返し発言していることだが、「このまま流れに身を任せていれば、色々楽しい体験ができる。今までのことも、全部やったことなかったけど、結局楽しかった。」この楽観にアイドルの一種の典型的な姿勢を見て取れる。変化の激しさ、環境の歪さ、やり口の強引さに戸惑いを覚えながらも、あくまで受動的に、アイドルという流通可能な商品としての役割を内面化し、「いい子」に徹すればいいという発想。
 だが、その蘭子が最終的に行きついた先が「アイドルの仕事は楽しくない」だったのは、ある種示唆に富んでいる。蘭子ですら楽しめないなら、況やくるみをや、況や美嘉をや、である。
 アイドル業界は、一体誰を幸せにしているのか?

 本作は東というキャラクターを通して、アイドル業界を痛烈に批判している。
 夢だけを語り、都合の悪い側面を隠蔽し、夢溢れる若者を囲い込む。その実計算高く、冷淡で、人間的なつながりは薄く、利用価値がなくなれば簡単に切り捨てられる。人を人とも思わず、将来を顧みず、アイドルのほかに選択肢があるなど露ほども考えず、我が物顔で人生を操作する。夢を人質に、あらゆる狼藉が容認されている。東の横暴を通して、そういった業界の放恣がありありと描かれている。 

 作中での東の徹底的な打算と、人間関係の手続き化には真に迫ったものを感じた。
 行くところまで行くと、本当にこんな感じなんだろうな。感情的に納得できなくても、偉い人が特定の所作を経たらそれで手打ちにしないといけないこと、たくさんあるんだろうな。納得できないこと、割り切れないこと、言いたくても言えないこと、やりたくないけどやらなきゃいけないこと、やりたくないけどやらなきゃいけないこと、ほんとにたくさんあるんだろうな。美嘉のように、笑えなくなっちゃった子、たくさんいるんだろうな。くるみのように、限界まで無理して壊れちゃった子、たくさんいるんだろうな。
「一番身近な人を笑顔にできないのに、アイドルなんていえるのかな」
 破局の瞬間、美嘉がそんなことを言っていた。泣きながら。何かがおかしい。アイドルなのに。どうしてこんなに苦しいのか。身近な人を苦しめているのか。きっとそういう葛藤もあるだろう。何のためにアイドルになったのか、分からなくなる夜もあるだろう。
 でも、そういう現実は、私たちの目には届かない。
 アイドル業界は綺麗な嘘をついている。


 アイドル業界は夢を語る。普通の女の子に向けて。アイドルになりませんか?アイドルは素敵な職業です。皆があなたを見ています。アイドル業界は、東の口を借りて夢を語る。自身の正しさを語る。正義を、あまりに確信しながら、まくしたてる。その目の前に転がる、誤魔化しようのないほど汚いものを、なかったことにできるかのような一途さで。

 序論から引用する。

学校教育の現場にサイコパスが紛れ込んだら何が起きるかの思考実験の産物を悪の教典とすれば、アイドル現場にサイコパスを放り込む思考実験の産物こそがトラペジウムである。かわいい女の子が夢に向かう青春ストーリーというガワで中和しきれないほど、主人公の言動は反社会的で、視聴者の神経を逆撫でする。だがその表面的な「正しさ」ゆえにそれを止めることができず、破滅へと着実に駒を進めてしまう周囲の反応も含めて、高純度のサイコスリラーと言えなくもない。同時に、これは夢に囚われた盲目的なサイコパスが人間へと回帰する再生の物語でもある。

 この文章を読んだときの気持ちを思い出してほしい。東に対する強烈な違和感、反感が、ぜひともあってほしい。
 本論の論旨に従えば、主人公=アイドル業界である。アイドル現場にサイコパス=東を放り込む思考実験の産物、否。アイドル業界=東。これは思考実験などではない。現実、現在進行形の社会実験の成果そのものである。

(ちなみにだが、私はこの本論を最後に書いている。序文を書いたときはこんな結論に着地することになるとは全く思っていなかった。当初は東という「人間」の異様さを、具に、かつ面白おかしく掘り下げるつもりでいた。が、途中で方向転換しこの本論を追加する運びとなった。序文を書いてからまだ半日も経過していないが、この文章の意味は様変わりした。今私は、新鮮なグロテスクさを伴ってこの文章を眺めている。)

 アイドル業界は、東の口を借りて夢を語る。
 綺麗な服を着て、可愛い髪型をして、スタジオでいっぱい光を浴びて、それがどれだけ幸せなことか分かってる?アイドルって大勢の人たちを、笑顔にできるんだよ!こんな素敵な職業、ないよ!
―――だがそれは、東がアイドルを好きだからだ。
 蘭子が喝破した通り、アイドル業界を、東の横暴を、今日まで生きながらえさせてきたのは、女の子の「アイドルが好きだ」という情熱に他ならない。作中で三人から東に向けられた感情のように、巨大で、本当にかけがえのない、取り返しのつかないものを養分に、だが決してそれに報いることなく、確実に見殺しにしながら、それでも生き永らえてきた、この巨大な産業に何を思うだろう。
 アイドル業界が彼女らの情熱に報いることは、きっとなかったのだろう。作中の東が何も受け取れなかったように。彼女らの思慕は、憧憬は、情熱は、どこにも届かないだろう。
 擦り切れるまで頑張って、駄目になっても、きっと誰にも理解なんてされない。東は、また同じ言葉を繰り返す。同じ口調で夢を語る。どうして?アイドルは素敵な職業なんだ。大勢の人たちを笑顔にできるんだ。どうしてやめてしまうんだ?そんなことあり得ない。だって、アイドルは素敵な職業なんだから。

 東=業界の独白。
「私ってさ、嫌な奴、だよね」
 これも切れ味鋭い。おびき寄せた若者の人生に、愛着に、憧れに報いない業界の態度を、端的に「嫌な奴」と喝破している。夢を語り、不都合な現実を語らず、普通に生きられたはずの女の子の人生をめちゃくちゃに壊して回っていることを、「嫌な奴」と。
 



だが、希望もある。
「そういうところも、そうじゃないところもあるよ。ゆうには」
 
 




そして、東は人間に戻る。



東は、まっさらに産まれ直すことができる。






 トラペジウム。本作は、アイドル業界の人道主義への回帰を願った人間賛歌である。
 海の見える高台の練習場所で四人が再会したとき、三人にとって東は、友達だった。アイドル業界で辛酸を舐め、散々痛い目を見たが、それでも彼女らからアイドル=東への思慕が消えることはなかった。くるみに至っては、最初から東の夢に気付いていた。自分に接触したのも、別に友達になるためじゃなく、最初から知名度目的だったこともわかっていた(聡い子!)。でも、たとえそうであっても、くるみにとって東は初めてできた友達なのだ。打算でも、自分の気持ちが報われないと解っていても、友情=憧憬は、それで消えてしまうようなものではないのだ。
 きっと人知れず夢破れた子も同じなのだ。どんなにすげなく拒絶されても、決して諦めることなんてできない。
それがアイドルという光なのだろう。

 東の言動に違和感を覚えたあなた。その感覚を大切にしてほしい。その違和感を、アイドル業界の現状に向けてみてほしい。今この瞬間も、あなたに夢を与えるために、使い潰されている人生があるかもしれない。あなたに夢を与えているその子は、光り輝く舞台の裏で、苦しんでいるかもしれない。それを変えられるのは彼女らと同じくらい眩い光を放つ、あなたの熱意かもしれないから。






東ゆう、君に光あれ。


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