ポケモンバトルは人生を表す
ここ最近、僕は「ポケットモンスター バイオレット」プレイしている。
僕が子供の頃は初代の「ポケットモンスター 赤・緑」がブームになり、僕も当時はどっぷりハマっていた。
その後はやっている作品もあればやってない作品もあったが、今回のバイオレットで再びポケモンにハマっている。
ポケモンの魅力と言えば、やはり通信対戦ではないだろうか。
僕が子供の頃は、公園に友達とゲームボーイを持ちより通信ケーブルを繋げて対戦していたが
現在はインターネットを経由して全世界の人たちといつでもどこでも簡単に対戦できるようになった。
それに伴いみんな本気で対戦に挑むようになり、ポケモン対戦はスポーツの粋まで達したように思える。
僕は通信対戦も楽しんでプレイしているが、ガチというレベルではなく軽く嗜んでる程度だとは思う。
とは言え、勝つためにいろいろ模索し本気でこのゲームに挑んでいることは間違いない。
今回はこのポケモンの通信対戦…
いや、ポケモンバトルを通して思ったことを綴っていきたい。
厨ポケが蔓延る環境
ポケモンバトルをプレイしている人の多くが思うであろうことは
「厨ポケ多すぎておもんない…」ではないだろうか?
厨ポケとは、厨房(中坊)が何も考えずに使っても勝てるポケモンの略。
シンプルに言えば強すぎるポケモンのことである。
強いが故にネット対戦では皆こぞってそれを使う。
その結果、ポケモンバトルをプレイしていると、ほとんどの対戦相手が無個性なパーティ、いわゆる厨ポケパーティで溢れ返っている。
例えば今の環境で言えば、カイリュー、ハバタクカミ、ウーラオス、ガチグマ、ランドロス、パオジアン、オーガポンなどなど
これらが大抵のバトルでは出てくる。
コイツらが出てくると本当におもんない。
特にオーガポンは強すぎて気持ち悪いレベルだ。
あれはまさに悪魔。
ほのおオーガポンがテラスタルしたときの、あの顔面はマジで怖すぎるから本当にやめてほしい。
とは言え、僕も敵を知るため厨ポケパーティで挑んだことがあるが…
やはりつまらなかった。
厨ポケvs厨ポケの戦いは、もはやただの殴り合いだし、ただのジャンケンでしかない。
そこには深い読み合いもなければ工夫を凝らした戦略もない。
ただ思考停止でボタンを押しているだけになる。
と、そういうこともあり、今のバトル環境に辟易してやめてしまった人も多いかと思う。
逆にその環境を楽しむ
僕も正直言えば、今の厨ポケだらけの環境には辟易としている。
しかし、こんな環境だからこそ楽しめるのも事実だ。
如何に自分の知識と知恵を絞り、工夫と戦略を凝らして厨ポケをぶちのめすかを考える。
そして、それが功を成して敵を打ち負かした時の快感はハンパない。
「厨ポケが多すぎておもんない…」で終わるのではなく
その先に一歩前進することで、本当のポケモンバトルの面白さに気付くことがてきる。
僕は今アップリューに目を付け試行錯誤しバトルに挑んでいる。
アップリューは弱いポケモンに位置付けられているとは思う。
対戦で見かけることがほぼないポケモンだ。
しかし、僕はこのポケモンに可能性を感じた。
もちろん厨ポケは強すぎるので、いくら作戦を練っても勝つのは難しい。
でも、アップリューでもそれなりに勝つことができた。
アップリューは強い。
アップリュー1匹で3タテできたし、あのマルチスケイルカイリューを一撃で倒すこともできるポテンシャルの高さがある。
自分の戦略が上手くいき相手を完膚なきまでに叩きのめすことができると、アドレナリンがドバドバ出て最高に気持ちが良い。
これは勝てたから良かったと言いたいわけではなく
ここに至るまでのプロセスが楽しかったということ言いたいのだ。
勝つための方法を模索し、戦略を試行錯誤して勝利まで繋げていく過程がとても楽しい。
本来、ゲームは楽しむためのもので、対戦での勝利なんて副産物に過ぎないはずだ。
それがいつの間にやら勝つことが目的となり、何も考えず勝てるテンプレをコピーして思考停止でボタンを押すだけになってしまう。
それは本末転倒ではないだろうか?
ポケモンバトルと人生は似ている
ポケモンバトルをしていると、どこかこれが人生に似ているなと思うことがある。
厨ポケを使うように、無難な方法で生きていると失敗は少なくそれなりに上手く生きていける。
例えば、良い大学に進学し良い企業に就職するみたいな。
何も考えずそれさえこなしていれば勝ちやすい。
しかし、それは人生をただなんとなく消費しているだけのようにも思う。
逆に弱いポケモンでバトルに挑むように、成功するのは難しいけどあえて困難な人生を歩むのも悪くない。
困難な道ほど、知識や知恵を絞りだし様々な工夫を凝らさなければ生きていけない。
でも、こんな生き方のほうが楽しくないか?
どちらが正しいとかはないだろうけど
僕は無難な生き方で人生を消費するより、困難だけど楽しい人生を求めてしまう。
それに、ポケモンバトルをやっていると感じるのが
厨ポケを使っている人ほど、いざという時の勝負に弱かったりする。
やはり厨ポケばかり使っていると、それなりに勝ててしまうので成長がないのだ。
なまじ厨ポケばかりを使っているから、勝つための経験や知識が乏しくなる。
そんな輩は僕のアップリューに意表を突かれ全抜きされるし
マジックミラーのブリムオンにちょうはつを仕掛けるし
サイコフィールド時にノーマルテラスカイリューでしんそくを撃ってきたりする。
厨ポケを使わず自分なりに戦略を考えていると、自然と様々な知識が身に付く。
厨ポケ相手に圧倒的不利な状況で戦っていれば自然と駆け引きに長けてくる。
人生も同じではないか?
無難な生き方をしていると、それなりに生きていくことはできるが、成長できずそれ以上はない。
それに予想外のことが起きると途端に崩れてしまう。
何よりもそんな人生楽しくない。
それなら、あえて困難な人生を突き進み
どうすれば成功するか、幸せになれるかを模索し試行錯誤し続けていれば
本当の意味で強い人間になれるのではないか。
ポケモンバトルなんかよりも人生の方がもっと複雑だ。
厨ポケのような絶対的に君臨するものがなければ、雑魚ポケモンのような全く役に立たないものもない。
例え雑魚みたいなスペックでも、やり方や考え方次第ではどうにでもなる。
そもそも、ポケモンバトルのように人生に勝ち負けがあるわけではないしね。
勝っても負けてもお祭り騒ぎ バトルしようぜ ポケモンバトル!
ポケモンバトルで勝ち負けに拘る人は多いけど
所詮はゲーム、負けたところで失うものはさほどない。
もちろん、ランキング上位になりたい者や大会で優勝したい者もいるので、勝ちたいという気持ちは良いことだ。
しかし、厨ポケを使うほとんどの人は
勝ちたいと言うより、できるだけ負けない手段として厨ポケを使っているように思える。
そんなネガティブ思考で得た勝率などに何か意味があるのだろうか。
そんなもの空虚にしか思えない。
そんなことなら、自分の好きなポケモンややりたい戦術でぶつかり、負けまくる方が何か得るものがありそうな気がする。
それに楽しめる。
結局、ゲームというものは負けを恐れずひたすら立ち向かいトライ&エラーを繰り返すところに楽しみがある。
簡単に勝てるゲームなんて何が面白いのか。
現実の世界も、自分の運命に立ち向かいトライ&エラーを繰り返すことで人生が面白くなるんじゃないかと僕は思っている。
勝ち組、負け組なんて言葉もあるが
こんな言葉、誰が作った言葉かわからない。
そもそも勝ちってなんだ?
社会の常識や流れに迎合して空虚な時間を過ごすより、自分の目指す目的や生き方を貫いて辛い生き方をする方が面白い人生になるのではないか。
その方が絶対に生きている実感を味わうことができるはずだ。
僕は逆境を楽しめる人間になりたい。
勝ち負けよりも大事な何かがきっとあるはずさ。
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