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風呂嫌いバレは社会的な死である

風呂に入ることがめちゃめちゃ嫌いだ。
※ややこしいので、ここではシャワーのみでも風呂に入ると表現している。

風呂に入る前も最中も入った後も気分が悪い。できることなら風呂をショートカットして、生活を営みたいくらいだ。生活から風呂にかんする動きの全てをを取り除きたい。
けれど、わたしも不潔は嫌だと思っている。他人から「汚い」と思われたくはない。だからしょうがなく風呂に入っている。そうやって我慢して、我慢して、ほぼ毎日遂行している。もはや業務だ。
風呂に入らなくていいのなら、それが可能ならば、入りたくはない。無職の期間だったり病に伏している時は、心ゆくまで風呂に入らない。明日の予定なんて何にもない/誰にも会わない。それならば風呂に入る必要なんてどこにもないとさえ思ってしまう。不潔だろうか。そうだろうか。そうなんだろうな。

心から風呂に入ることが嫌いなのだ。

X(現Twitter)では度々、「風呂って入る前はあんなに面倒なのに入ったら最高すぎる」という旨のポストが流れてくる。わたしには到底、理解しがたい。
風呂に入る前は嫌すぎて泣き出しそうなのに、入ると作業の多さに気力が尽きそうになる。風呂から出たら回復してるだなんて都市伝説かと疑いたくなる。怠くて怠くてしょうがない。

女性なら大体の人は髪を乾かすだろう。もしかしたら気にせずそのまま寝る人もいるのかもしれないが、それは論外として話をすすめる。なぜなら風呂も嫌いだが、濡れた髪の感触は大嫌いだからだ。肌に冷たくまとわりつく毛髪を感じたまま寝る行為は、まるで死んだ人間と就寝するような不快さを感じる(そんな経験はもちろんないが)。起床時に、髪の内側がなんとなく湿ってることを感じるのも最悪だ。
だからドライヤーは絶対にする。ドライヤーをするまでの間、虚空を見つめて耐える。どうやったらがんばってドライヤーをすることができるようになる?わたしはできるだろうか?ーードライヤーをする気力が出るまで待つ。だが、いざドライヤーができたところで、そこには達成感なんて何もない。ただの日常の業務なのだから。こんなことを毎日、毎日、しなければいけないなんて苦痛にもほどがある。

こんなにも風呂が嫌いだが、このことは家族や長年交際した恋人くらいしか知らない。友達や職場の人には一度も言ったことがないし、何なら風呂好きと思われているだろう。スキンケアや化粧をすることが好きだと思われているからだ。
基本的に風呂に入らず、学校や仕事に行くことはないが、風呂に対する認識がバレて「不潔」と思われることを恐れている。なぜだろう。そう思われることがすごく怖い。不潔というのは社会的に忌避されているからだろうか。風呂嫌いだとバレることに、社会的な「死」を感じる。

ちなみにうつがひどい時は、本当に何にもできなくなるから風呂に4〜7日ほど入れなくなることもある(本当に不潔ですね、心からそう思います。でもできないんです。そういう症状として許してください)。
痒くなってくるし、ここでいよいよ人としての終わりを感じてくる。ここで風呂に入ってようやく本来の意味の「サッパリ」というものを感じれるようになるのだが、別に最高な気分にはならない。シンプルに汚れは落ちたという感覚はあるが、別に最高ではない。

わたしは一生、風呂が嫌いなんだと思う。願いがかなうならば、風呂に入らなくても生活できるようにしてほしい。
子どもの頃に数えきれないほど見た国民的アニメ『ドラえもん』の秘密道具を想像する。のび太さながら、ドラえもんに「お風呂入らなくてもよくなる道具出してよ!」と言いたくなる。
だが、わたしのそばに猫はいても猫型ロボットは存在しない。今日も苦しみながら、風呂に入るしかない。毎日こんなことでも生きるつらさを感じている。泣きたいよ、ドラえもん。

おわり。


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