【雑記】noteを書いていて思うこと

記事を読んでいただいたことがある方、初めて目にしてくださった方、お越し頂きありがとうございます。
一走十休です。

早速ですが本日は、noteの記事を書いていたり誤字脱字・訂正箇所等を確認していて思ったこと。
(※誤字脱字間違いは自省のみとして大抵放置しています。文章構成が下手なのは温かく見守って頂けたら幸いです。学び精進しているところ。人間、忘れることも多いのだと再認識しています。言葉や文法などは時代とともにゆっくりと変化していくものもあるとは思いますが、明らかにおかしな文章構成は気になって直したくなりますね。)


私はこのnoteを、自分の好きなゲーム等の作品を軸として、作品の良いところや遊んでいて思ったことをただひたすら書き連ねる場所にしたいと考えて始めました。

正直多くの方に読んでもらえなくてもいいという心持ちで始めました。
おそらく現時点で嘘だろと思われた方もいると思います。私も思います。『多くの方に』というところがせめてもの予防線です。
本当に誰にも読んでもらえなくていいのならば、ネット上に日記を書く必要なんてどこにもないですから。

記事を書くときは、誰かがふらっと見たときに「そういえば久しぶりにゲームやってみようかな」とか「何かわからないけど興味わいた」とか思ってくれたらいいな、というような気持ちで書き始めます。

私は好きなゲームを好きなタイミングで遊ぶ人間です。
発売からある程度期間が経ってから手をつけることがほとんどですが、逆に発売日から遊ぶこともあります。そのあたりは完全に気まぐれです。また、ひとつの作品を長い期間延々とやるのが基本です。悪く言えば天邪鬼、良く言えば……言えば…浮かばねえな…

でもと言うかだからと言うか、好きだけどクリアしていない作品もいくつかあります。それでも好きなんです。周回がメインの方(必ずクリアはする方)からすると理解できなくて当然の考え方かも。
最近で言えばトロフィーコンプのようなことも全く目指していないし(こっそりはっきり言うとまったく)興味がありません。性格的にも頭脳的にも無理でした。トロコンを目指して遊べる人はすごいと思います。それぞれの楽しみ方の違いだと思っています。

だから、このnoteでプレイ日記(という名の何か)として書かせていただいている作品はどれも好きな作品です。
Instagramに写真を投稿し始めたのも同じような理由からです。


でも、読み返していて感じたのは、好きだと思っているのにも関わらず自分の中には沸々としてもやもやとした感情があるんだということ。
好きといいながらどこかで疑っているような気持ち。心の中で引っ掛かっている一部を好きという感情で隠したい、というような気持ちです。

ただひとつはっきりとしているのは、作品に対しての嫌な気持ちはありません。
嫌いになった作品には触れていられないからです。クリアして周回していたけど、どうしても気になることが脳裏をよぎるのでやめた作品もあります。

個人的に今は、ぐちぐち文句を垂れ流しているなら喜びで泣くくらいのほうが良いと感じています。振り切っている時点でどっちもどっちだと思いますが、好きな感情の方がすっと終わることができるというか…少なくともストレスだなんだと思いながら遊んでいるのは本当に時間と金と心の無駄でした。
でもChirperだけはいつまで経っても許…ン゛ン…街の発展のさせ方によっては愚痴も減っていくからお前の街づくりに問題が…そもそもオフに出来るって…でもまた遠回しに(もういい)


個人的には、好きという感情だけが良しとされて少しでも違う意見は排他されるのも、嫌いという感情が声を大にして叫ばれるのもいい気分にはならない。
また、好きだけが良いというわけではないと思う。〇〇信者という立場で何かを見ることはしたくない。というか偏屈なので絶対にできない。

すごく嫌な言い方かもしれませんが、なんの疑問も持たない瞬間は今まで一度も無かったし完全無欠なものは見たことがないから。皆同じで良いのなら、新しい作品やその要素をもったものが生まれる意味はないと思う。

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なんにせよ、私はこの場所でプレイ日記を書いたりしていて、それを読み返すことで自分がいかに視野が狭く無知であるかを痛感しています。

娯楽作品は生命維持の第一に必要なものではないと私は思う。
あらゆる事柄において飢えた状態で真っ先にそれらを手に取ることはないだろうから。

それでも、自分にとってはずっと大切なものであったし今現在でもそうです。
だから、自分がゲームやその他の何かについて述べるときに、日記を読んだ人が少しでも新しい作品に触れてみようと思えるようなものを書きたい。読んだ人自身の、あわよくば自分自身の何かが良い方向へ向かえるようなものを書きたい。

こういう場所で何事も感情に任せて書き殴るのは簡単だからこそ、改めて自分の主張に対して責任を感じなければならないし、死ぬ時までゆっくりでもいいから学び続けたいと思う。新旧問わずいろんなものに触れたいと感じる。

自己を省みて謙虚でいたいと思う、それが最も難しいと感じている、今日この頃です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。