2022年、たくさん愛してください。
新年早々洗濯機が壊れている、朝。
朝から元気にストレッチして掃除もして、いざ溜まりにたまった洗濯物を片付ける時。エレベーターに乗り地下まで行った洗濯場、2台しかない洗濯機に張られた不穏な紙にドキリとする。
「en panne(故障中)」と書かれた張り紙は、ストレッチ後のストレスフリーな朝でも攻撃力抜群。
幸先の悪い朝に頭を痛めながらとりあえず友だちに現状を報告して、溜まった洗濯物は放置しておくことにした。
日本を出て3カ月、家族以外と過ごす年越しは2回目。日本以外で過ごすのは初めて。
そんな今年は友だちの家でパーティ―してバカ騒ぎして、気づいたら年を越してた。
今年は半分フランスで過ごして、あとの半分はとりあえず日本に帰るけど、それからどうするかは何も決めてない。流れに身を任せることにしてるんだ。
この間2021年を振り返る記事をなんとなく書いて、今度は今年の自分について書こうとしてる。なんだかんだ2年も続いてるnoteだけど、最初は2カ月に一回のペースでしか投稿してなかったことを考えたら、ここ最近は物凄いペースで書いてることになる。いいぞ自分、もっとやれ。やる気が尽きるまで。
さて、2022年。どうなりたいか自分なりに考えてみたら、意外と簡単に答えが出た。
それすなわち、「周りに刺激を与えられる人になりたい」。
というのも、去年一年を通して、自分は人との関わりの中で生きているということを再確認した。
尊敬する人たちと会話してる中で自分を見つめ直すヒントをもらったり、大好きな人たちが踊ってる姿を見て心から感動したりした。
僕が何かを書きたいと思うのだって、誰か、何かに刺激を与えられた時だ。
周りの人たちに生かされている。
だから、僕もそうありたい。誰かに刺激を与えられる人でありたい。
誰かを生かす存在でありたい。これは言いすぎか。
それがどんな形だっていい。僕の部屋を見てかっこいいと言ってもらえたり、ダンスを通して誰かを楽しませることができたり。それこそ、僕が書いたものを通して誰かの気持ちを動かすことができたら、どんなにいいか知れない。
これは一年前の1月1日に撮ったもの。2021年最初のphotoshooting。22歳を目前にしても、とりあえず横文字を入れておけばそれなりに見えると未だに思ってる。
初めて友達と宇都宮で過ごした正月、お気に入りのコートを着て行った初詣。
こうして改めて見ると、確かに去年一年は「新」の漢字で表せる年だった。いろんな障害はあったけど思い切ってフランスに来て、新しいこと尽くしの一年。追い風が僕の背中を押し続けてくれた一年だった。
そしてこの追い風はまだ僕の後ろにいてくれているように思う。
今もまだ後ろで支えてくれる風に背中を押されて、僕はまだ前に進みたい。もっと自分のことを知りたい。もっと自分らしい自分でいたい。
もっと、自分が好きな自分でいたい。
あまりに人間臭いけど、僕はどうしたって傲慢だから、いろんなことを求めてしまう。けれど、それだっていいじゃない。
いつだったか友だちが言ってたことに感動した。
そう。僕は誰よりも不器用で、何をするにも一回以上失敗しないと学べない。だからさんざん人に迷惑をかけて、さんざん傷ついて。でも、そうして学んできたものは深く自分の中に刻まれているから、簡単には消えない。
たくさん失敗してきたからこそやり直す方法も知ってるし、大抵のことはなんとかなるんだ、って分かってる。
人よりもたくさんの「弱さ」が僕にはあるけれど、今の僕はそんな自分の弱さも少しは愛せるようになってきた。そうしたら自然と自分を大切にできるようにもなってきた。
だから、今年も程よく頑張って、程よく自分を甘やかして生きようと思う。自分の強さも弱さもまとめて愛して、変わらず自分らしい自分でいようと思う。
その結果誰かに刺激を与えられていたら、万々歳だね。
これと決めてしまうと何も達成できない僕だから、具体的な目標なんてない。けれどただ一つ、今年も健やかに生きたい。
だから皆さん、今年も僕をたくさん愛してね。
さ、重い腰上げてコインランドリーに行ってきます。
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