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自己紹介しとくか(サブカル・ゲーム・1975年産)

1975年、(自分ではサブカル・おたく元年だと思っている)生まれ

1975年6月4日 千葉県千葉市犢橋(よめる?)に生まれる。
父 英男38歳  母 浩子30歳 姉 めぐみ 4歳 父方の祖母(以外は全員亡くなっていた)が同居していた 64歳
母子手帳をなくされたので細かいことは不明だが産まれたときは特に問題なし。ただ、姉のさらに上に兄がいたはずなのだが死産(骨があるので産まれてはいる)している。(これが後のトラウマにつながる)

多分生まれつきの不眠。最初の記憶は夜天井から自分らが寝ているところや家具の位置を確かめてる映像。夜中よく目を覚ましてたことは覚えている。寝ゲロや高熱も(まあこどもにはよくあることなのだが)ひどかったらしい。あと夜尿は小学校あがるくらいまで続いた
197x年 水疱瘡で42度を超え、医者に「覚悟して下さい」と言われるもなんとか生き延びた…らしい。

1978年くらい? 三輪車に乗っていたら姉が後ろの足をかけるところに(今の三輪車にはない)足かけてガーってやったせいで転倒し、頭を割る。なぜか共働きなのに母はいたのだが救急車を呼ばず、当時うちには車もなかった(そもそも母は免許を取ったことがない)ので会社にいた父に連絡し、父の同僚の車で病院に。大したことなかったようだけど母も「血がですぎて怖くてタオルから手離せなかった」っていうなら救急車呼べや!!

同年くらい?に姉(4歳半・学年5つ違い)の運動会を見に行った際に急なすべり台で遊んでいて、前の子が急にブレーキをかけたことにより空中にすっ飛ぶという事件が勃発。結構高く飛んだらしく、母は青ざめたが偶然にも知らない人がすっぽりキャッチ。うちの人はすぐ話を大げさにするのだが、母はずーっと「あのとき慌てすぎてその人にろくにお礼してないから今でもしたい」って言ってるくらいなので結構やばかったのかもしれない。下はコンクリだったらしい。

ちなみに当時は平屋の一軒家(借家だったと思う)に住んでいた。
大きな道路から坂を登ると、くるっとロータリー型に道があって、真ん中に家があり、他は道路の外側に家があったので10件ほどの家が隔離されている形となっていた。ので近所仲は良く、私が一番年下だったが、姉と同い年の隣のなおちゃん、反対のとなりの姉の1つ下くらいのみすずちゃんとよく遊んでいた。私は本当はダメな4年保育を受けている(2年保育園・2年幼稚園)が他は全員もう小学生だったはず。
ここに4歳になる直前くらいまで過ごす
ちなみになおちゃんは姉と文通という形で交流が残るが、母親がメンタルやばい人で引っ越した5年後くらいに川で死んでる(自殺?)のが発見されたり、なおちゃん自身も「名前が書ければ入れる」と言われていた犢橋高校(こてはしこうこう・キムタクやマツコ・デラックスで有名である)を落ちたりしていることが判明する。
一方保育園で、多分2人目のこどもなので子育てに飽きた母は私を保育園に入れ、そこで長い時間を過ごすことになるも「昼寝の時間に昼寝できない」「年が同じ子がいなかったのでなんだかハブられる」「それに対抗すべく絵本の漢字が読めるマウントでいじめ返す」(こどもの頃から貪るように読書していたので幼稚園に上がる頃にはふりがながなくとも絵本はもとより児童書くらいは読めていた)「親の愛情が足りなかったのでおしっこを我慢しもらすことで快楽と保育士さんの世話を受けることができるとわかり膀胱炎を発症する」「夜とにかく親が迎えに来るのが遅くて一人ぼっちになることが多かった」「なぜかうがいがなかなかできなかった」などの問題を発症させる

幼稚園に入る

こんなに細かく描いてたらおわんねーよ!
なに無料noteでこんな長い自己紹介しようとしてたの!?

幼稚園ではやっぱりお遊戯のできない子で、昼寝の時間も嫌いだったよ!

その後

まあいろいろあってエロ漫画家先生ちゃんやっています。

いきなりそう言うとビビるかもしれないけど精神障害者2級です。とにかく眠れん ってでも30代はずっとクソ病院たらい回しで(と言いつつクソって思ったら行くの辞めるのでそんなに30代のときずっと言ってたわけじゃないけど長い鬱で半年以上やばかったときもあったな…不眠だけじゃなく双極性障害(2型)の診断も受けてるんだけど、先生はASD/ADHDの気分障害であり、学会では双極性障害(2型)を否定している変わり者の先生。でも言ってることは正確無比なので大好きで通っている。(私に対してはちょっとかいかぶりすぎではないかと思うが)
初診のときかなり長く話を聞いてくれるんだけど(45分くらい?)
私→「君はADHDでASDに間違いなし(えっ!?)でも趣味を原動力にして友達をたくさん作って仕事もきっちりしている。そういうあなたが僕は好きです」
「好きです」って言葉にびっくりした。
あと、この日単行本が出たという偶然もあったんだけど
「単行本は同人誌をまとめたやつなの?」って言われて「わかり味ありすぎ」って思った

姉に紹介したんだけど(姉もいろいろやばい)
姉は「君は自己愛が強いね、あとあんまり話をまとめられないだね」といわれたらしい。姉から聞いたのでそれがすべてなのかはわからないけど。姉はその後行ってないと思う。そうやって患者が逃げてしまうようなことも行ってしまうし、当時病院は三田にあったのだけど、豊島区まで「変わり者の先生」ってことは轟いていたが、私は家族より大事にしている。

家族が私のこと「好き」って言ってくれる?エロい仕事してるって言える?
薬物を使用してたことがあるって言える?

最近汐留に病院が引っ越した。綺麗で結局今のところ先生はやっぱりひとりだし、巣鴨に住んでいるので三田は便利だったんだけど、汐留なんもないしな!!まあ変えるつもりはありません。

あれが変わり者の先生だとしたら他の精神科にはかかれない。
あの先生に合わなかったらと思うとぞっとする。薬に耐性が付きやすく普通の効き目が出なく副作用の出やすいクソみたいな体質の私に考えて処方もしてくれる。

あー、なんか結局病気の話しちゃった。さっきあげた麻雀漫画くらいでちょうどいいと思ってたんだけど。


先生が大好きで、つい書きたくなっちゃったのよね。

では。