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ホーチミンの若者と脱植民地化の考察

ベトナムのホーチミン(サイゴン)に1週間滞在し、自分の五感による観察と若者たちとの交流を通して感じたことを、温度を感じられるうちに書き記した。

全てがインスパイア源となるエネルギッシュな街、ホーチミン

今回、私がインターンとしてお手伝いさせていただいているfor Citiesの活動の一環*で、ホーチミン市に1週間ほど滞在してきた。日夜絶えず五感に常に訴えてくるこの街によって、私はどんな自己啓発本を読むよりも触発され、西洋中心主義に呑み込まれないよう突き進む(ように見える)ベトナムの若者への尊敬が高まった。

*Urbanist Campと称したこのプログラムは、1ヶ月間参加者がそれぞれのテーマを通して街をよそ者視点で見つめリサーチを行い、アウトプットを最終週に展示するというもの。私は展示準備と広報周りのヘルプのため途中だけゆるっと参加するつもりだったのだが、現地の人々との交流のおかげで期待を遥かに上回る濃密な時間を過ごすことができた。

本記事は、鋭意溢れる現地の若者たちの手によるベトナムのアイデンティティの確立と脱植民地化というテーマを、私が滞在中に耳や目にしたものを媒介として自分なりに咀嚼していく記録である。

なぜ「若者」と「脱植民地化」なのか?

Vietjetと白人至上主義

元々私にとって「脱植民地化」は新興国を見つめる上で気になるテーマではあったのだが、ベトナム・ホーチミンについてそこを深ぼろうという気が旅行前からあったわけではない。しかし、渡航のVietjet機内で下のシーンを目の当たりにしてから、なんだか心がざわついたのである。

Vietjet機内メニュー表紙
Vietjet機内メニュー子どもグッズページ


こちらの写真を見て、私と同じように違和感を持った方はいるだろうか?そう、機内メニューのあちこちに白人モデルがメインに使われているのである。Vietjetといえば、ベトナム初の民間航空会社であり、創業者のタオ氏は東南アジアの女性創業者初のビリオネアとして知られている。そんなベトナムを象徴すると言っても過言ではないほどに強いアイデンティティを形成してきたエアラインの機内メニューでは、子どもか大人か問わず白人モデルがブランドを代弁しているのだ。

皆さんご存知の通り、ベトナムがフランスに入植されたりアメリカに占領された時代、ほとんどの白人は現地人にとって憎むべき相手か媚を売る相手かで、喜んで迎え入れる人種ではなかったはずである。それが現在、ベトナム人が自分たちの手に国を取り戻した後、遊びにくる白人たちに親近感を訴えるが如く、自ら白人文化に迎合しているのである。

そこから、ベトナムのアイデンティティ/精神面での脱植民地化についてふつふつと想いが募り、「これは書かねば」とここに至る。

若者たちによって成り立っている国

for Citiesのプログラムのおかげも相まって、短い期間ながらも毎日新しい出会いがあった。平均年齢33歳、30歳以下が人口の半数近くを占めるベトナムの中で、ホーチミン市はとりわけ若者が集うエネルギッシュな街である。そこで私が出会った若者は皆漏れ無く何かの創設者だったり、オーガナイザーだったり、オーナーだったり、専門を持って(建築家やシェフ、アーティストなど)活躍していたりしていた。私と完全に同世代の人たちがベトナムの今と未来を文字通り構築している様子を目の当たりにし、これは脱植民地と絡めて何か書けそうな気がした。

ホーチミンの若者が体現するベトナムの過去・現在・未来

若者が過去から受け継ぐアイデンティティ - ベトコンカフェ

Cộngカフェ公式HPより

ベトナムではカフェ文化が大いに発達している。どのカフェも基本Wi-fiが使え、飲み物の種類は私が日本や欧米で見たことのないメニューばかり(しかもどれも最高に美味)、何時間居座っても(なんなら注文しなくても)優しく受け入れてくれるベトナムカフェが私は大好きだ。その中で最近大ブームとなっているのが、かつてアメリカ軍と戦ったローカルのゲリラ兵=ベトコンをテーマとしたカフェCộngである。

狭い階段にノスタルジックな写真、伝統的な内装、そして見ればそれとわかる制服……。ベトナムという国を強く象徴するコンセプトは、冒頭のVietjetの戦略とは真逆を行くものである。Vietjetが一つ上の世代が生き残るために西洋社会風に着飾ったベトナムを見せているとするならば、CộngはU30が中心となり確固としたベトナムの風貌でこの国のアイデンティティを世界や次の世代に発信しているように見える。そこには「私たちはベトナム人であり、それはクールで誇るべきもの。西洋社会なんて知るもんか」とでも言いそうなメッセージが見て取れる。

Cộngカフェ公式Instagramより

国際競争力を底上げし、若者が今の世界とつながるための英語教育

私が現地で最も驚いたことの一つに、ホーチミンの若者たちの英語力がある。肌感覚で私が出会った20代の半分くらいは日常会話が成り立つレベルで英語が話せていた。意思疎通が取れるレベルで言ったら、7-8割は普通に話せるのではなかろうか。街中の至る所にTOEFLやIELTSのスクールがあることも印象深かった。教育格差が未だ存在するため、都市部でも中卒で働く人々や農村部の住民はまた状況が違ってくるが、ホーチミンに限っていうならば、日本の若者と比べるともうそれは英語が通じる街と呼んでしまっても過言ではない。

興味心で彼らに「なぜみんなそんなに英語が話せるの?」と聞いたところ、「学校で習うからね、そりゃ話せるようになるよ」と半分笑いながら返された。また、「特にホーチミンはいろんな人が集まってくる国際都市になってきているし、英語は話せて当然だね」とも続けてくれた。ベトナムは東南アジアに位置する小さないち新興国だと認めつつ、国際社会の一員でもあるというマインドが若者の間には確かに広まっており、すごく頼もしく感じた。彼らにとって一時期はフランスやアメリカが外界との仕切りとなっていたが、今は自分たちの力で自分たちのストーリーを世界に語る力があるのだ。

イケイケな現地セレクトショップOBJoffの周年パーティーにて

若者たちが主役となって構築する未来、かつての日本

滞在中に私が最もインスパイアされたのは現地若者たちとの交流である。先述の通り、多くの20代がここでは何者かになっている。その中で特に私が脳内で反芻している会話がる。

今の私と同じ23歳であった3年前に仲間ととてもクールなリソグラフ印刷所を始めたユーモア溢れる若者と話す機会があった。彼に創業エピソードを聞くと、こう語ってくれた。

当時は借金をして印刷所を始めたんだ。家族と暮らしていたからありがたいことに生活費はどうにかなっていて、もしもう少し大人になって一人暮らししていたらこんなことできなかったね。でも自分ではそんな大したことをやったつもりはないよ。ただこれをやり始めて、続けた。それだけなんだ。僕たちはまだまだ若い。もう3年経って26歳になるけど、まだ若い。君も何かやれるよ。

彼らと交流はまさに日本の経済成長期を彷彿とさせる。その時代に私はもちろん生まれていなかったわけだが、友人の祖父の話を聞いたりメディアから見聞きするには、今のベトナムと同じように若者がお金を借りローンを作り、自分たちの帝国を築き上げていたそうな。一方で、その間ベトナムはアメリカとの戦争真っ只中。戦争のせいで半世紀単位でこの国の発展が先延ばしにされたと思うとやりきれないが、最新技術や情報を使って一気に若者がベトナムの社会やカルチャーを成熟させている様子を見ると、自分も何かやらねばと大きなエネルギーをもらう。

若者のアイデンティティがベトナムの脱植民地化の促進剤に

さて、話を脱植民地化に戻そう。国そのものはもちろん独立して久しいが、行きのVietjet機内で見たそれは、ベトナムという国が精神的にかつての植民地時代のパワーバランスにぶら下がっている印象を与えるものであった。しかし、ホーチミンに1週間ほど滞在して見えてきたのは、若者たちが自覚あるいは無自覚にこの国の輪郭をはっきりと描いている様子であった。

日本は戦後の経済成長期に「世界の未来」となってから50年ほど経ち、今や縮小期に入っている。他の高齢化の進む先進国も早かれ遅かれ縮小を経験することになるだろう。そんなグローバルノースという「先人」たちを見て、ベトナムはどのように突き進んでいくのだろうか。今は植民地の余韻を未だ感じさせる側面も持ち合わせているが、かつて世界をリードした宗主国が停滞へのタイムリミットを刻み始めている中、ベトナムの若者たちは確かにアイデンティティを育み発信し、精神の脱植民地化を進めていることは確かである。

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