【原因不明の自己否定から脱却するために】

生活は豊かなのに、友人はいるのに、自己否定をしてしまう。環境のせいでもない。過去のトラウマのせいでもない。将来への不安?それともやっぱり自信のなさ?……なんかしっくりこない。

原因不明の自己否定。では一体全体、何が自分自身をそこまで否定に追い込むのか。実は、『自信のなさ』は惜しい。

この謎の自己否定は、単に『自信のなさ』からくるものではなく、『自信のなさに対する圧倒的な自信』からくるものである。

自信があるから自己否定をしてしまうという、何とも気づきにくい視点。本来プラスであるはずの自信が、マイナスである自信のなさに掛けられていることから、統合してマイナスになってしまっている。

自信のないことが唯一のアイデンティティになっている。例えば「すごいね」と褒められたとき、過度に謙遜してしまう。何かヘマを犯したとき「大丈夫だよ」と慰めの言葉をかけられても、余計に落ち込んでしまう。

かなりクリティカルなことを記述するかもしれないが、この自信のなさの自信は、『自分の弱さを指摘されても落ち込まないため』に形成された保険みたいなものである。相手に傷つかれる前に、先に自分が自分自身を傷つけるわけだ。

そしてもう一つ、『自分の判断基準や世の中の見方に対する圧倒的な自信』を持っている可能性もある。何を言われても、自分に『自信がない』ことだけは頑なに譲らない。

まとめると、『自信のなさに自信がある』から自己否定する、ということになる。それは、自分を守るためでもあり、自分の存在を鼓舞するためでもある。

「傷つけられるのが怖い」という場合、まずその偏見をやめてみる。自分に対する肯定的な意見を述べられたとき、素直に受け止めてみる。

自分の可能性を自分で狭めてしまってはもったいない。誰かの欠点は誰かの居場所であり、自分の欠点については自分が最大の理解者であることを常忘れないようにする。

何に自信を持つかで、生き方が変わる。

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