いかもく

場面緘黙症/軽度自閉症/INFP

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最近の記事

【臆病を叱ってくれ】限界に近い場面緘黙症当事者の日記#4

言いたいことをズバズバ言える人が羨ましい。嫌味とかではなく、今の時代自分の意見に自信を持って発言できることの勇敢さに憧れる。 コンプライアンスの厳重化により、父性愛のような叱責は確実に減少している。生徒に嫌われている先生というのは、凡そ生徒を叱る。私は大学に入って「もうそんな講師は見られない」と思った。学生は皆成人しているのだから。 しかし、いたのだ。学生にわざと嫌われにいっている講師が。もちろん、その講師は多数の学生に嫌われるようになった。テストの採点も厳しく、たとえそ

    • 【出口だけバカ狭いキュー】限界に近い場面緘黙症当事者の日記#3

      頭の中が常に散らかっている。集中すべきことが分散していて、優先順位がつけられていない。出口だけバカ狭いキューに煩雑に詰め込まれているタスクを、ちら見したり二度見したりして消失しないようにしていると、今最優先で何に取っ掛かれば良いかがわからなくなる。 とにかく与えられた宿題やテストを颯爽とこなしてなおかつ自分がやりたいことも何の躊躇いもなくやっていた小学生時代とは打って変わって、今は、脳内散々目移りしまくり後回ししまくりの甘ったれた根性なしときた。 特に、自分がやりたいこと

      • 【コミュ症とギャンブル依存症は似ている】限界に近い場面緘黙症当事者の日記#2

        コミュ症とギャンブル依存症は似ている。今までに納得のいくコミュニケーションがとれなかったから次こそは上手くいくだろう。今までに当たらなかったから次は当たるだろう。 だが、未来はそう簡単にうまくいかず、振り出しに戻る。サイコロで連続10回『偶数』が出たとしても、次に『奇数』が出る確率は変わらず一様であるが、ついつい「ここまできたら11回目も『偶数』が出るだろう」と錯覚してしまいがちである。 成功が連続で重なっているとき、不意に失敗すると、どう感じるだろう。 「そういうこと

        • 【会話ができない】限界に近い場面緘黙症当事者の日記#1

          誇張なしで人と会話ができない。最近は他人の声を聞くのもしんどい。大抵の言葉が攻撃的に聞こえるし、過剰に耳を立ててしまう。この原因はわかっている。自分が迎撃の構えをしているから。そして、もうすぐ22歳になるというのにまだそんな幼稚な牽制をしている自分が憎く、嫌いだ。 嫌いだから、そんな年齢にそぐわない幼い自分を立派な大人に矯正するために、心理学や哲学、文学などの本を人並み以上に読んできた。最初は「読書してる人賢そう」というよくある動機で本を読み始めたけど、今は「より善い人間に

        【臆病を叱ってくれ】限界に近い場面緘黙症当事者の日記#4

        • 【出口だけバカ狭いキュー】限界に近い場面緘黙症当事者の日記#3

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          二者択一に迷ったとき

          人生の究極の二択といえば、 「生きるか」または「死ぬか」である。 今これを見ている人は、一度でも本気で「死にたい」と思ったことはあるだろうか。思ったことがあるにせよないにせよ、今のいままでに「生きる」を選択し続けていることは明白である。 数十年生きていると、生半可に決定するのが困難な二者に直面し、それが悩みとなってしばしば葛藤することだろう。例えば、「自分を殺してまで相手に合わせるべきか」または「合わせないべきか」、「進学すべきか」または「就職すべきか」といった具合だろう

          二者択一に迷ったとき

          原因不明の自己否定から脱却するために

          生活は豊かなのに、友人はいるのに、自己否定をしてしまう。環境のせいでもない。過去のトラウマのせいでもない。将来への不安?それともやっぱり自信のなさ?……なんかしっくりこない。 原因不明の自己否定。では一体全体、何が自分自身をそこまで否定に追い込むのか。実は、『自信のなさ』は惜しい。 この謎の自己否定は、単に『自信のなさ』からくるものではなく、『自信のなさに対する圧倒的な自信』からくるものである。 自信があるから自己否定をしてしまうという、何とも気づきにくい視点。本来プラ

          原因不明の自己否定から脱却するために

          意味を求めすぎるのはつまらないから

          何かを始めたいとき、ないし続けたいとき、何かしらの動機を持たないといけない。逆も然り、何かをやめたいとき、ないしやりたくないとき、何かしらの理由をつけないといけない。というのは正直、私にとってはどうでもいいし、社会にとってもどうでもいいはずである。 なのに就職活動をするにあたっては、特に動機や理由がなくとも言語化を強いられ、無理矢理にでも言葉を出させようとする。 人間は大まかに言語思考タイプと視覚思考タイプに分けられるが、言語思考タイプの人間が優位なのは言うまでもない。声

          意味を求めすぎるのはつまらないから

          INFP思考備忘録

          最終更新2024/4/2 96点 自分を偽ることに懸念する。それ含めての自分だということに気づいているが、やはり不安が残る。 共感力はあるがそれを共有したいかといえば別にそうではない。 自分の意見よりもアウトヘーベンのような他者との織りなす高次元の考えを優先したい。 自分の意見をあまり重要視せず、大切にしない。 内省をよくする。 求められると嬉しいが、その気持ちを表に出さないようにしている。 断定や決断が不得手。 均衡型の人間になりたいとも思うし、突飛型の人間

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