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愛猫と過ごした大切で宝物の22年間

こんにちは。ハルです。
今回はwebデザインとは関係ない記事となります。

※猫の死について触れています。苦手な方はブラウザバックお願いします。



約一か月前、5/3に大切な家族である愛猫のぴいちゃんが天国に旅立ちました。
noteにするか迷ったのですが、ぴいちゃんが生きていた証をこうして文字に起こして残すことで私や家族の中だけで留めずインターネットを通して1人でもいいから知ってもらえたらいいな、と思い綴ります。

タイトルにもある通り、ぴいちゃんは22年2ヶ月生きたご長寿ねこちゃんでした。両親曰く、家族にした当初にお医者さんに連れて行ったら「心臓に雑音がある」などと言われたのでそこまで長生きは出来ないのかも、と思ったそうです。

そんなことを言われた22年前。実際は大きな病気もなく亡くなるその日まで自力で歩きご飯をきちんと食べ、水も飲んでいました。

年相応のヨボヨボさはありつつも、22歳にしては元気な猫ちゃんだったと思います。

私が7歳の時に家族になったぴいちゃん。出会った経緯は今でも覚えています。
当時、猫ではなく掃除機を見に母親と叔母と出掛けていました。そしてたまたま電気屋の下がペットショップだったので、少し見て行こうかと立ち寄ったのがぴいちゃんとの出会い。

そして、ぴいちゃんはゲージの中で後ろを向いていてお顔を見ることが出来ませんでした。他にも色んな可愛い子がいるなかで、どうしてもその子が気になって、母親に伝えたところ店員さんのご厚意で抱っこをさせてもらえることになりました。

抱っこしたらもう気持ちは揺るがないですね。「この子は家族になるんだ!」って運命を感じて、母親も同じ気持ちだったようで父親に連絡をして家族に迎え入れました。掃除機のことなんて忘れてました。


お迎えして2ヶ月目のぴいちゃん

私は一人っ子なので、まるで妹のような存在でした。人間年齢的にはどんどん私の年齢なんて追い越して両親よりも年上なんですけどね。

小さい時から甘えん坊で好奇心旺盛。
一緒に寝たり、勉強していれば手に持っている鉛筆に興味を示してじゃれてきたり、クリスマスツリーに登ったり、洗濯物に突っ込んでみたり。

最近では人間の食べ物に興味を持って「なになに?」と言わんばかりに近づいてきて食べようとするので「だめだよ」と遠ざけるのに精一杯なくらい好奇心旺盛でした。

22年も一緒にいるので、小中高大、そして社会人になるまで見守ってくれてたぴいちゃん。ぴいちゃんが年齢を重ねるにつれて「いつかいなくなっちゃうんだ」という、想像するだけで辛くて、涙が出る時もありました。

でも、遂にそのときが来た時、母から連絡を受けて急いで帰宅し、初めて亡骸を見た時は崩れ落ちてしまったけれども、それでも22年間大きな病気もなく生きたぴいには尊敬しかありませんでした。

「死なないで」という気持ちはもちろんありましたが、それより今まで私の、そして私の家族に与えてくれた色々な思い出への感謝の方が大きくて「頑張ったね、ありがとうね」という気持ちでいっぱいでした。

最期の時、母は直感で「帰らなきゃ」となり帰宅するとぴいはもう横たわっていて、なんとか生きている状態だったそうです。母が話かけると「にゃあ」と鳴いて、そのまま天国へと行きました。

最期にひとりじゃなくて本当に良かったと思います。私はいれなかったけれども、大好きな母に抱えられながら天国にのぼっていったぴいちゃん。もしかしたら苦しい中でも待っていたのかもしれないなあ、と勝手ながら思ってしまうくらいです。

私たちの家族になれて幸せだったかなあ、幸せだったといいなあと思います。少なからず、私たち家族はぴいちゃんと会えたことで人生が変わりました。たくさんの思い出をくれました。

そして、ぴいちゃんが最期まで頑張っていてくれたことで私もこれから、ぴいの分まで人生頑張ろうと思えています。本当にぴいちゃんの与えてくれる影響力とは凄いもので。

22年間本当にありがとうね、ぴいちゃん。天国でまた会おうね。


だいすきなぴいちゃん

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