見出し画像

Epsode7 -Life Theme 青年期 2

明るい浪人生活から、輝かしい大学生活へ
浪人というのはある意味、自我の欲求を満たすための社会から少し外れた立場である。大学に入って初めて社会としては認められる。
やはり、大学に入ってよかった。そして、大学生活を謳歌するには甲南大学を選択して間違いなかった。
この頃にはもう「あそぶ」ということ以外、考えられなくなった。アホになったのだ。

ただ、ずっとやりたいことはあった。バンドと同じくらい役者をやりたかったのだ。この希望だけは捨てられなかった。
経験したことはなかったが、映画と演劇のサークルに入った。
初めての舞台で主役をやった。50人程度の小さなホールだったが、100の目がこちらに集中している緊張感と、演じる、自分ではない自分を
見せるとそれに反応するお客さんのバイブスがシンクロしてくる。
セリフを覚えるのが苦手で、何回も頭が真っ白になったこともあったが、何とかなるものだ。
最後にアンケートがあるのだが、主役はやはりコメントも多くもらえるので、達成感は最高である。これはやってよかった。勘違いするのだ。

サークルが生活の中心になった。よく稼ぎ、よく遊んだ。ほとんど昼夜逆転の生活をしていたので勉強は全くできなかった。
一人暮らしも始めた、誰にも何も言われない最高の環境も手にいれた。
遊ぶためには、稼がないといけない。バイトも初めてだったが、一緒に入った悪友と「Weather Report」というCafeで働くこととなった。
六甲にあるかなりお洒落なCafe&Barである。来ている客もレベル高いし働いている人もカッコイイ人ばかりだった。結局そこは長く続かなかった。あまりにまわりが凄すぎて、ちょっとついていけなかったのだ。
バイトは飲食をずっと続けることになる。最後の2年くらいは「SEAFOOD CLUB」というロブスターとカニをメインとしたレストランで働いた。
アットホームで仕事もきつくない。また、ラストまで入ると物販で余ったロブスターやカニがもらえるのである。晩御飯はロブスターとBeerという 
今よりも贅沢な食生活をしていた。飽きたら友達に差し入れすると、ただで飲めたりといいことずくめのバイトであった。
(この頃の贅沢が祟って痛風になる。。。)
 
海外も初めての体験だった。今でこそ旅行会社でバリバリ海外も行っているが、その時は悪友2に連れて行ってもらった。3週間をバリで過ごした後にシンガポール、韓国をまわった。一人ではとうてい行けないようなところを、悪友のおかげで楽しめた。バリではダイビングのライセンスを取得した。
なんでダイビングを選んだかは、いまでは謎である。帰ってきても一回も潜っていないのだ。
こうやって全く違う場所に身を置くことで、新しい自分を発見できる。
今の若者は海外へ行かなくなったが、やはり日本以外の国を体感することは大事だと思う。そこにしかない文化をしることが価値観を広げる。
 
話せば色々あるのだが、一番輝かしい時代であった。アイデンティーも吹き飛んで毎日、毎日ただ楽しかった。
ここから、一転暗黒の時代がやってくる。
就活である。自分と向き合うこともなくマスコミ関係に絞って就活を始める。ピンポイントである民放関係を受けたが全滅、卒業生が多く就職しているベンツを売る会社もダメ。ずっとバイトさいていたレストランからお誘いがあったが、名古屋に帰るということもありお断りした。(受けておけばよかった) バブルの恩恵を受けれたのは1年前までで、なかなか内定はでなかった。当然だ、しっかりとした考え方もなく、とりあえず就活していたから当然の結果なのである。
しかし、就活も終わりに近づいたころ名古屋でなんとか、1社きまった!
だが、それはこれから始まる地獄への第一歩なのだ。
暗黒の時代へつづく。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?