20220908#林日記 「お父さんと喧嘩」

少し前にカラオケでオーダーしたポテトが永遠に届かず激怒するお父さんのエピソードを日記に書いたら、なんだか面白がってくれる人がちらほらとおり、お父さんとのエピソード、なんか書けることないかな〜とぼんやり考えてました

お父さんとの1番楽しかった思い出は、小学生の時、お父さんと2人で土砂降りの雨の中、公園で遊んだこと。

その公園には大きなお皿の形をした滑り台があって、そこに雨がたくさん溜まってプールみたいになって、大はしゃぎでその滑り台で遊んだ。お父さんも私もありえないくらいハイテンションで、とにかく楽しかったなという思い出だけ残っている。
それと2人してずぶ濡れで帰って家の廊下をびしゃびしゃにしてお母さんが嫌な顔してたことも覚えている。


比較的仲の良い父娘だったが、それなりに怒られたりして喧嘩もした。

私が中学生の頃、何が気に入らなかったのか今となっては思い出せないが、母との言い合いの末、もう家出する!と家を飛び出しだことがあった。

母との喧嘩を黙って見ていた父だったが、私が飛び出すのをみかねて、直ぐに追いかけてくれた。

車で。


私は徒歩だ。父は車。勝てるわけがない。すぐに並走され、早歩きで泣きながら歩く私のすぐそばを父は車で徐行した。

父は手段を選ばない男だった。
効率の良い方法と勝てる状況で戦いに挑む。

おそらく時速3〜4キロにも満たない徐行で運転席の窓を開け、泣く私をとりあえず帰ってこいと説得する父。

父の説得か車の馬力か、どちらに根負けしたのか分からないが、しばらく並走したのちに私は父の運転する車に乗り、3分ほどで帰宅した。歩いて進める距離なんてたかが知れている。初めての家出は3分で幕を閉じた。あんなに息巻いて出ていったのに3分で帰ってきた私に、母はどう思っていたのか。だいたい家出っていうのはしばらく帰ってこずお互い頭を冷やすだけの十分な時間があって改めて冷静になって話し合いを進めるものではないのか?

3分ではほとぼりは冷めていない。熱々のままだ。まだ言われた言葉にムカついているしそれは母も同じだったと思う。


ある年の私の誕生日、家族でご飯を食べにいった。
ご飯を食べにいく数日前に、何が欲しい?と聞かれていた私は、ミシンが欲しいとお願いをした。
熱し易く冷め易い私は当時、手芸にハマっていた。

父は大いに張り切り、何十万もするミシンを調べていたらしい。しかしそんな父を見て母は「すぐ飽きるんだから勿体無い」とずっと反対していた。

しかし父は可能性に賭ける男だった。
「このミシンが娘の人生を変えるかもしれない」
そんな意気込みでプロ専用のマシンを何台も下見していた。

しかし当の私はプロ専用のマシンは求めていなかった。高くて2〜3万、家庭用のミシンでよかった。
いや、家庭用のミシンが良かった。
プロ専用のミシンなんて使いこなせない。正直要らない。
それなら家庭用のミシンとプラスお小遣いが欲しかった。

そしてご飯会でプレゼントの話になり、3人は熱くなった。
父はプロ用のミシンを、私は家庭用のミシンを、母はお小遣いを渡せと全員の意見は交わることはなかった。

誰も冷静じゃなかった。

最悪の空気でご飯会は幕を閉じ、3人バラバラで帰宅した。

父と母はそれぞれ別のタクシーで、私は徒歩で帰宅した。お金を持っている人間、持っていない人間。お金は強い。金に勝るものはないのか?

それ以降、3人でご飯を食べにいく時は一緒に家を出たとしても必ず3人とも鍵を持って出かけるようになった。いつまた、激論の末バラバラで帰ることになるか分からないからだ。あんなに気まずく別れたのに結局オートロックでインターフォンを鳴らし「…あけて…もらっていいすかあ…?」とお願いする羽目になるからだ。


家出をして家に帰るまでの車に乗っていた3分間で、父は仕事が1番大事で、その次に家族が大事だと言った。
仕事があるから家族を守れる、仕事がないと誰も守れないと言った。だから仕事に集中できるよう、家は平和である必要があると言っていた。
そのためには家出なんてさせない、ドラマチックでなくとも父は徒歩で出ていった娘を車で追いかける。

父は昔、一度仕事を失ったことがある。
それを母に秘密にして、仕事をしてるふりをしばらくしていたらしいがバレて、結局お金がなくて離婚することになった。
私と母は、お風呂がなくて狭いボロアパートに住んだ。外に干した洗濯物は目を離すとすぐ盗まれるような気の抜けないアパートだった。
私は幼すぎてあんまり覚えてないけど、毎晩自転車で祖父母の家に行き、お風呂を借りていたことだけ覚えている。湯冷めしないようにマフラーぐるぐるに巻かれて母の後ろに乗って家まで帰る時間が、私は嫌いじゃなかった。

それから何年かして、父と母はまた再婚した。
それから一度も、お金に困ったことがない。何不自由ない生活をさせてもらった。
父は数年前に病気で仕事を辞めざるを得なかったが、仕事をしていた時に買った家やその他いろんなものでその後も母と私を守った。だから多分、父は仕事が1番大事だと言ったんだと思う。家族を大事に思ってるからこそ、そう言うんだろうと。だから母も、どんなに大変でも父が残したあの家を大切に守っているんだろうと思う。


私も仕事を頑張らないといけない。いや、頑張りたいと思う。父と母、それからもしかしたらこれから出会う誰かを、家族を守れるような人になりたいと思う。


じゃあバイバイ


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