ショートショート「飼い主の右手」

 彼はベッドの上でスマホの動画を見ていた。猫の動画だった。
「ふふふ」
 彼は笑みをもらすと、両手を上に挙げて大きく伸びをした。
「あー疲れた」
 彼は約三〇分ほど、似たような猫の動画をずっと見ていた。
「ちょっと休憩するか」
 彼はベッドから起き上がった。そのベッドは有名なブランドのベッドだった。人生の三分の一は寝ているからという理由で、いいベッドを購入したのだが、眠る時だけではもったいないと思い、ベッドの上で本を読んだり、スマホをいじったりもしている。
 彼はコーヒーを入れると、間違ってベッドの上にこぼしてはと気遣って、今度は机の前の椅子に座った。するとスマホが鳴った。彼女からだった。
「ねえ、いまからいっていい?バクもいっしょに」
「いいけど。なんで猫つれてんの」
「今日手術の帰り」
「避妊の?」
「そうそう。さっき終わったの」
「分かった。待ってるわ」
「はいはーい。じゃーねー」

 彼女が猫を抱いて彼の部屋に入ってきた。猫はリードでつながれ服を着せられている。猫は知らない場所に来たためか、落ち着かない様子で、彼女の腕の中でもぞもぞ動いていた。
「ほら、かわいくない?」
「うーん…手術は大丈夫だったの?」
「うん。でも、連れてくときが大変だった。車はじめてだから」
「抱いて連れってたの?」
「そう、最初ケージに入れようとしたら、すごい逃げて。でも、あたしが抱いてあげてるとおとなしくしてるから、リードつけて抱いてのせた。」
「ふうん、ケージよりいいのか」
「やっぱ安心するみたい」
 猫は彼女の腕から飛び降りると、さっと部屋のすみの方へいってじっとしていた。
「ねえ、エサあげていい?」
「いいけど、ウンチとかオシッコとか大丈夫?」
「絶対だいじょぶ。家のトイレ以外でしたことないから」
「じゃあ、いいけど、エサは?」
「なんか、病院でくれたの。今日はこれあげてくださいって。皿ある?あと水も」
 彼はプラごみのなかから使えそうなものいくつか選ぶと、からのものと水をいれたものを用意した。
「これでいい?」
「まあ、よかろう」
 彼女は答えると、エサをプラごみの皿にあけて、水と一緒に猫のそばに置いた。
「ほら、バクちゃん」猫は横をむいた。
「まだ、おなかすいてないんじゃね」
「うーん、そーかなー。手術の影響もあるのかな」
「ほら、バクちゃん」
 彼女が今度はエサを手にのせると、猫の鼻先に近づけた。猫はくんくん匂いをかぐと、少しなめただけで、顔を横にむけた。
「手からエサあげるといつもよろこぶのに…。先生が避妊手術のあと性格の変わる猫もいるとか言ってたけど…」
「大袈裟だよ。まあ、動画みたいにかわいいときばかりじゃないよなあ」
 彼がふと気づくと、猫はベッドの上にいた。猫は彼のベッドの上でかしこまったような姿勢をとったあと、ぶるぶるっと震えた。そして、もといたところの匂いをかぐと、優雅な仕草でその場を離れた。首からさげたリードが猫のあとにつづいた。
 「ふふふ」彼は笑みをもらすと、リードに左手を伸ばした。

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