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笹舟に乗って届けばいい

 2023年の9月にはじめてNHK短歌に投稿した。木下龍也の教え通り定型で三百首をようやく読み終え、次は投稿で負けまくろうと思い、テレビでずっと見ていたNHK短歌から応募することにした。岡野さんの短歌教室に参加していたこともあって、とくに岡野さんのテーマを考えるときは教わったことをちゃんとやるということを目標にしていた。だから教室と同じように短歌のたねを考え、二期の教室でテーマの洞察を深めていくことを教わった時からはテーマについて自分なりに考えを深め解釈をおいてから短歌に取り組むようにしていた。

 先日発売されたNHK短歌5月号をもって岡野さんは選者の期間を務め終えた。わたしは3回しか投稿できなかったけど、そのすべてを岡野さんに選んでいただくことができた。
(岡野さんは教室の参加者を贔屓するということはなく、まずは名前を見ずに歌を見るしむしろ教室参加者は厳しめに見ているということを岡野さんの名誉のために記しておく)
 先述のとおり、短歌のすべてにたねとなる文章があるので、区切りとしてここに残していこうと思う。

高速道路

走るなら嘘もメーターも振り切って

 お父さんが運転する真後ろでどんどん右に傾いていくメーターを見ていた。他の車も雨も雪もぐんぐん後ろに流されていく。信号も何もない真っ直ぐな道は何も阻むものがなくて、スーパーマリオやマリオカートのスターの状態みたいだと思った。
「高速は速度制限がないから何キロで走ってもええねん」
お父さんがそんなことを言ったのがいつのことだったかはもう覚えていない。ずっと信じていたそれは嘘で、今はもう100キロの速度制限があることは知っているけど変わらずにお父さんが運転する車は100を振り切って加速していく。景色は高速で流れ去る。

短歌のたね

「高速は速度制限がないから何キロで走ってもいいねん」
お父さんが小さなわたしに言ったその言葉が嘘であることを知ったのは免許を取るために教習所に通った19歳になったばかりの夏だった。言った張本人であるお父さんも含めて家族全員わたしがそんな嘘をずっと信じているとは思ってもなかったらしく、「高速にも速度制限あるやん!」とLINEした時「なんで信じたの」と返ってきた。そこには「普通分かるだろう」という含みもあった。
確かになんで信じたんだろう。無知だったのは確かだけど、それを10年〜15年くらいはそれを疑うこともなく生きてきた。真っ直ぐに伸びる黒い高速道路は下道と違って何も阻むものがなくて、ただ速く移動するためだけの道のように思えてだからそんな嘘を信じたのかな。
なんにせよ、お父さんの嘘は常に100を振り切るメーターくらい振り切っていた。

制限速度なしの高速 百キロを振り切り走るお父さんのうそ

NHK短歌12月号掲載

 この歌は教室でこのあと二度推敲をして以下の歌になった

疑うこと教えたくないスピードスターここは制限速度なしの高速(みち)

コンビニ

特別と日常の狭間

 コンビニは昔は特別な場所だった。車で何分かかかる場所だった。小学生か中学生の途中くらいから少しずつ店舗が増え始めたけど、近くにはない特別な場所で、それが歳を重ねるごとに日常のものになっていく。でもコンビニという場所を思うと、特別な場所であったあの頃を思い出す。当たり前の日常の中の特別な時間がコンビニの記憶の中には残る気がする。

短歌のたね

 練習場である陸上競技場から自転車で5分、部活帰りに買い食いしたサークルK(サンクスだったかもしれない)の駐車場でおでんやアイスやジュースを買って自転車を並べて喋りながら食べた。今年は地震のせいで集まれなかったけど、きっとまたみんなで集まればあの日の話の続きができる気がする。何の話をしたかなんて覚えてないけど。

サークルKかサンクスだっけ新人戦の前にみんなでおでんを食べた

NHK短歌4月号掲載

続き

生きているからこそ続いていく「わたし」

 続きを考えるっていうのは終わりを考えることに等しい気がする。死という絶対的な終わりの先にも続きを考える人類はどこかみんな寂しい。生きても死んでも「わたし」は続いていくのだろうか。

短歌のたね

 今まで何回も「終わり」を考えたことがある。その一歩を踏み出さずに済んだのは生きることを続けるための約束があったからな気がする。生きること、生活は続いていくから些細なことに泣いたり笑ったりできる。すべてのものに「続き」がある。海辺の町では潮風で室外機はすぐにダメになるし外に停めた自転車のチェーンは3年と経たずに錆びてしまう。そのことにしょげれるのも人生が続いていくからだとそう思う。

海の見える町に住もうよ自転車のサビにその後ちょっと泣こうよ

NHK短歌5月号掲載


 2023年4月から岡野さんの短歌教室に参加して、とてもたくさんのことを教えて頂いた。教わったことを自分なりに自分のものにしようとしていますよ、ということをNHK短歌という場を通して岡野さんに発表していたような、そんな気持ちがする。
 自分だけの心の動き、自分だけに見えている景色をテーマにのせてリズムに乗せて歌にして、そうして届けるということがようやく最近わかってきたような気がしている。短歌をはじめてもうすぐ1年半、1年前よりずっと自分の生んだ歌はリズムに乗って他の人にも届くような歌になってきているという実感が確かにある。わたしはわたしのためだけに短歌を詠んでいて、それはずっと変わらないけど、遠くや近くにいるあなたに届く手紙になっているのであれば、あなたもわたしと似たような世界をみているのであれば、それを歌を通して共有できるのなら、それはとてもうれしいことだと思う。

 岡野さんはわたしのきっかけで、はじめての先生でもあるので、NHK短歌という場所じゃなくても、他のさまざまな場所で、これからも「がんばってます!」の言葉の代わりに、届く歌を笹舟に乗せて届けていこうと思う。

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