考察『カーテンの頃』加納愛子著

Aマッソ加納愛子、初の小説集! 「文藝」掲載の短編「イトコ」「最終日」「宵」「ファシマーラの女」に、「了見の餅」「カーテンの頃」を加えた全6篇の作品集。

河出書房新社 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309030814/

にしもん=父親説

はじめに

「カーテンの頃」は、Aマッソの加納愛子さんの短編小説集『これはちゃうか』に収録された作品。母子家庭で育った15歳の男子高校生が母親を亡くし、ある人物(にしもん)とアパート暮らしを始める話。

この小説を読んでいた時、何度か違和感を感じた。読後もいくつかの言葉が心の隅に残った気がして、自分の頭を整理するために再読したり、あれこれ考えているうちにある説に辿り着きました。

まず、にしもんの人物像を整理します。

にしもんと父親の情報

にしもんに関する情報
・主人公と同居している
・主人公の両親の仲人
・主人公の両親と親しかった
・両親はにしもんのことを「にしもん」と呼んでいた
・にしもんは主人公の母親のことを沢田、父親のことをあきらと呼ぶ
・主人公の祖母からまとまったお金を預かっている
・下の名前は三郎
・職業不詳
・娘がいる
・宝島(雑誌)を保管している
・競馬をやっている
・主人公の母親から信頼されている(死期の迫った母親が主人公に「にしもんを頼りなさい」と言った)

父親に関する情報
・主人公が幼い時に家を出た(誰かと出て行った)

違和感1 「うち」「家」「ウチ」

初めに違和感は感じたのは物語終盤の以下の会話だった。

「お前、父親に会いたいか?」
「……会いたない」
「せやろな。あいつおもろいけどな。まあ父親としてはあれやな。この歳で会ってもしゃあないしな」
「知らんけど」
「あとでうちの住所教えとくわ。一応な。めっちゃ近いで。(以下略)」

カーテンの頃・187ページ

この「うちの住所」が父親の住所なのか、にしもんの住所なのかが何故かすぐには理解できなかった。前後の文章を読み返してみたが違和感が残った。
自分の読解力に問題があるように思ったし、普通に会話の流れで考えれば父親の住所だとも思う。
けれど、にしもんが翌日居なくなったことを考慮すると、にしもんの「うちの住所」と言えなくもないのでは?

どちらの「うち」なんだろうと考えているうちに、「もしかして叙述トリック的なことなのか?」と思い、「うち」に注目しつつ再読することにした。

また、主人公が何歳の時に父親が家を出たのかは書かれていない。幼い時としか分からない。なので主人公の記憶に関しての記述には怪しい部分がある。母親やにしもんから聞かされた話を、自分が見聞きした記憶と思い込んでいる可能性も考えられる。なので、そういった可能性も踏まえて読み返す。

やはり「うち」という言葉に引っかかるのだ。関西圏で使われるニュアンスが分からないせいもあるかもしれないが…。
主人公の言う「うち」は「うち=自分の家」ということなのか?
しかし「家」と書かれている箇所もある。
流れで使い分けているだけで深い意味はなさそうでもある。
ただし、知人の住居や祖母の住居のことは「家」としている。
単に話し言葉と書き言葉の違いとも言えるのだが…。

では、にしもんの場合は?

「ここもないな。402もあらへんかった」
「電球買ってくる?」
「いえ、ウチだけちゃうんやったらええわ。戻ろ」

カーテンの頃・141ページ

と、カタカナの「ウチ」を使っている。アパートの二人の部屋のことを「ウチ」と言っている。「私たち=ウチラ」という言葉を縮めて「ウチ」と言っているようにも読める。それとも両方の意味なのか?
次の箇所では、

「そうや、明日俺おれへんから、出るとき鍵忘れんと持って行けよ」
「わかった」
「家おんのか?」
「わからん。でも一瞬ばあちゃんち行く」

カーテンの頃・162ページ

と、アパートの部屋を漢字の「家」としている。

「料理できひん」
「俺が?」
「いや、ちがう」
「お前が? 携帯みたらなんでも書いてるやろ、ええからやってみい。家だけ燃やすなよ」

カーテンの頃・178、179ページ

再びアパートの部屋を漢字の「家」としている。そして最後の箇所では、

「あとでうちの住所教えとくわ。一応な。めっちゃ近いで。(以下略)」

カーテンの頃・187ページ

と、今度は平仮名の「うち」を使っている。
しかしこれは、上記三か所とは違いアパートの部屋のことを指してはいない。
主人公の父親の住居、もしくは、にしもんの住居を指している「うち」だ。

主人公はモノローグとセリフがあるので「うち」と「家」が混在して当然だ。書き言葉と話し言葉の違いでもある。

しかし、にしもんについてはセリフだけなので「ウチ」「家」「うち」が使い分けられていることには何か意味があるはずだ。感情やニュアンスの違いを表わすためでもあるだろうが、はたしてそれだけだろうか?

仮に、にしもんの使い分けを以下としてみる。
ウチ=主人公とにしもんの住居
家=一般概念としての住居
うち=自分の住居
この場合「うちの住所」は勿論にしもんの住所だ。

何故「うち=父親の住居」と仮定しないのか?そもそも「うちの住所」は父親の住所ではないのか?
しかし、であるならば「家の住所」の方が適切ではないだろうか?また「ウチ」と「うち」を使い分ける意味はどうなるのか?

一旦、条件「うち=自分の住居」で再度下記の会話を読んでみると

「お前、父親に会いたいか?」
「……会いたない」
「せやろな。あいつおもろいけどな。まあ父親としてはあれやな。この歳で会ってもしゃあないしな」
「知らんけど」
「あとでうちの住所教えとくわ。一応な。めっちゃ近いで。(以下略)」

カーテンの頃・187ページ

どうだろうか。
「うちの住所」を「にしもんの住所」として読むと、「にしもん=父親」の姿が現れないだろうか?
父親の「うち」なのか、にしもんの「うち」なのかではなく、「にしもん=父親」の「うち」ではないのか?
彼らが同一人物である可能性はないのだろうか?

にしもんが父親でない場合、にしもんが自分の住所を教える理由は翌日アパートからいなくなるからである。しかし、

「次の日の朝、にしもんはいるけど、いなくなった。以下略」

カーテンの頃・188ページ

「いるけど、いなくなった。」とは何なのか?
自分がいなくなる前に教える住所とは誰の住所なのか?
「にしもん=父親」とすることで、これらの疑問は解消されないだろうか?

では「うち」以外についてはどうか?

仲人は大人たちの嘘である可能性

なんだかの理由で父親であることを隠し、仲人ということにしたのではないか?近くに住み、母親とは別の女性との間に娘もいるため、息子のことを思って、または先方の家庭のことを思い、そのような嘘をつく可能性はないとは言えない。

15歳の少年をにしもんに預ける理由

母親の死後、当初主人公は祖母の家に行くはずだった。しかし祖母宅には飼犬がおり、主人公が猫アレルギーのため同居できないと説明されている。そのため親族で会議が開かれ、本人の意思もありにしもんと暮らすことになった。祖母宅に住めない理由としては若干違和感を感じる。それに飼っているのは犬なのに対して、主人公のアレルギーは猫アレルギーなのだ。
また、父親に託す案が出てもおかしくない。他界していれば話は別だがそのような記述はない。しかし父親に別の家庭があるのならば難しいのかもしれない。とはいえ15歳の少年を他人に預けるのも難しいだろう。

違和感2 勘弁してやにしもん

(前略)にしもんが言うとったけど、にしもんにあげたんちゃうかったっけ、勘弁してやにしもん。

カーテンの頃・146ページ

上記は、にしもんとの会話に挟む形で書かれた主人公のモノローグの一部だ。会話の内容は主人公の両親にまつわるものだ。
しかし、この「あげたん」が何にかかっているのかが不明で、今でも分からない。もしかしたら何か見落としているかもしれないが。
続く「ちゃうかったっけ、勘弁してやにしもん」は、にしもんのキャラクターを表している。エピソードを盛ったり、編集したりする感じ。
にしもんが話すエピソードが、聞く度に違っているため「ちゃうかったっけ、勘弁してや」になるのではないだろうか?
にしもんが語る主人公の両親の話を、言葉通り真に受けて良いのだろうか?

違和感3 にしもんは三郎、職業は俳優

主人公との会話の中でにしもんは自分の下の名前を三郎と答えている。
しかしその前の会話で、

「……にしもんってさ、なんの仕事してるん」
「俺? 俳優」
「そういうのじゃなくて」

カーテンの頃・181ページ

というやりとりをしている。
煙に巻くような感じで、冗談なのか、はぐらかしなのか、本当に俳優で有名ではないだけなのか、俳優志望だったのか、エキストラのバイトをしているのか……真偽はわからないが、質問に対して素直に返答をしていない可能性が示されている。
少なくとも主人公は信じていない。
にしもんの名前が本当に三郎ならば父親(あきら)ではない。けれどこれも曖昧なのである。
また、ここで選択された俳優という職業にも注目したい。
にしもんがこの場(アパートの中)で芝居をしている可能性を表しているのはないか?

にしもんを頼りなさい

主人公は死期が迫った母親から「にしもんを頼りなさい」と言われた。
これは相当なことだと思う。相当信頼していなければ言わないだろう。
しかしにしもんと母親との関係性を示す描写は少ない。
にしもんが語る、和歌山の海に父を含む「俺ら」で行ったこと、母親の料理を食べた際に文句を言ったら、主人公の父親と同じく「黙って食べろ」と言われたことくらいだ。
親友、恋仲等の可能性を示しつつ、にしもんが父親の可能性も残しているようにも読める。

子供の頃、親の周りで関係性が分かってなかった人達がいたなあと思い出す。親の会社の人が叔父だったり、祖母だと思ったら他人だったり、親戚だと思ったら父の友人だったり。15歳だとそういう事はだいぶ分かっている時期だと思うけど、曖昧なこともあるだろう。

とここまで書いて著者のインタビュー記事を見つけた。

この話のテーマは「知り合い」だった。
「小説はどれも書くのがムズいんですけど、これを書くときは何も浮かばんくて、ある人に『なんかお題くれへん?』って頼んでもらったテーマが『知り合い』やったんです。で、いろいろ考えて思い出したんですよ。そういえば私が子供の頃って、オカンとオヤジの友達がよく家を出入りしてたなって。知らないオバチャンやオッサンが平気で家におったんです。私にとっては何者でもない、ただの知り合いなんですよね。あの感じを思い出して、その知り合いたちをミックスさせて作ったキャラが『にしもん』でした」

小説丸 https://shosetsu-maru.com/sb_special/aikokanou_interview

って、知り合いかい!



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