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ドアの向こうへ vol.9

~決心した美樹 2~

休み明けの木曜日、いつもより、少し早めに出社した美樹は、机周りの掃除と片づけをしていた。
「あ、美樹さん、おはようございます、もう体調良くなりましたか?」
後輩の鈴木が声をかけてきた。
「ありがとう、美保さん、もうだいじょうぶよ。ご心配かけました」
社内のエレベーターや壁などにおそばにんのスマホケースのリーフレットが貼ってあったのを見ていたので、平静を装って聞いてみた
「そうだ、美保さん、あの、おそばにんってグッズ、すごくかわいいよね」
「美樹さんも、そう思います?、さすが、桂木部長ですよね、倒れた美樹さんの代わりに新商品のおそばにんのプレゼンをなさったんですよ」
「そう、そうだったの?、プレゼンやってくださったんだ」感情を抑えながら答えるのがやっとだった。
「それから、美樹さん、知ってました?部長結婚なさるんですって」
「部長が結婚?」
「そうなんです、ほら、前ここのデザイナーでその後独立した、吉影さんと」
「え?PIN―ONEの吉影さん?」
「そうです、そうです、すごいなぁ、お二人お似合いだよなぁ、何でも今度事務所を海外のシンガポール、だったかなぁ、そちらへ移してお住まいそっちになさるんですって、ますます、あこがれちゃいます」
そうか、そういう事っだったのか、何も知らないのは私だった、ピエロだった。
「今日は部長はみえるの?」
「今週はシンガポールへ出張ということで今週は出社はなさらないそうです」
「あぁ、そうなんだ、ありがとう、いろいろ教えてくれて」
美樹は電源を切っていた、スマホを取り出して起動させた。
メッセージが20件ほど届いていた、一つづつ開けて確認する。取引先からの体調を気遣うメッセージがほとんどだったが、淑子からのは、1件もない。パソコンを開き社内資料のプレゼンのファイルを開く、過去のプレゼンのファイルなどが収められている。
2020年4月資料と記載してあるフォルダを開いた。PDFファイルを開く。
鳥谷部美樹 スマホ型ドアチャイム 本人体調不良のため開催中止
代案として
桂木淑子 キュンキュンがとまらない 
スマホケース おそばにん のプレゼンを開催、詳細は別紙にて資料添付。
おそばにんと記載してあるフォルダを開く、そこには、おそばにんのキャラクターの原案とそれの完成版、そしておそばにんが埋め込まれたスマホケースの試作品などの画像などが収められていた。
やられたと美樹は思った。怒りよりも、淑子のしたたかさに、ある意味感心してしまった。
全て計算づくだったのだろう。あえて何も行動せずに、私が自滅するのを待っていたんだ。
二人の結婚のことも、まったく思いもしなかった、吉影だって、独立してからも、そんな事お首にも出さずに、私のデザインなど相談に、的確なアドバイスもしてくれていたし、
「あーなんておめでたいの、美樹あんたは」
と、誰に言う訳でもなく呟いた。
それよりも、気になるのが、オフィス内の、
企画部以外の営業部の社員たちの視線の方だった。廊下ですれ違っても、なんとなく目を逸らすし、お手洗いへ行っても、先に化粧を直している、女子社員が、急に会話を止めて、哀れんでいるような、視線を投げてくる。
淑子が私の休んだ理由をどう伝えたかは判らないが、気にしないようにした。だが、翌日もまた更に翌日もと、皆の視線がますます、露骨に嫌なものでも見るような感じになって来た。中には、
「恋にも仕事にも、失敗しちゃったら、私は会社辞めちゃうけどなぁ」と化粧室の中で会話しているところに遭遇した時もあった。
いつの間にか、私は淑子との恋争いにも失敗したことになっていた。
 
 そんな一週間が過ぎ、淑子も出社してきた。
「桂木部長、おはようございます。先日はいろいろご迷惑をおかけして、すみませんでした。代わりにプレゼンも行ってくださり、お手数をおかけしました」美樹は淑子のデスクの前でこう言って頭を下げた。
「いいえ、いいのよ。それより、体調はどう?その後、大丈夫なの?」
大丈夫なわけないだろ!と飛び掛かり叫びたかったが、それをやってしまったら、それこそ本当に辞めなければならなくなる。
「はい、ありがとうございます。大丈夫です。おそばにん、拝見しました。可愛いキャラですね」
「ありがとう、美樹さんが、そう言ってくれたら尚の事、うれしいわ」
席に戻るまでの、周りの視線が二人のやり取りに集まっている。私がキレて淑子に暴言を浴びせるんじゃないかと、それを待っている視線を背中に感じていた。席へ戻ろうと踵を返した時、その視線は一斉に、それぞれの手元へ移された。席へ戻ると、パソコンへ社内メールの受信、淑子からだ。

お昼ご飯、外でご一緒しませんか。お話したいこともあるので。

承知いたしました。

ありがとう、じゃぁ、プラザホテルの7階のシャモアでどうかしら?

シャモアですね、はい、よろしくお願いします。

話って何だろう、私の方も聞きたいこともあるし、ちょうどいいかも・・・・・
そして、新商品【おそばにん】の注文書の作成や納品予定の確認などを、いつも通りに仕事を進めた、あと15分ほどで昼休みという時に、スマホへ淑子からLINEが来た。

先に行ってます。ゆっくりでいいですから、では、後程。

承知いたしました。

外へ出ると、4月の割に日差しは暑いくらいだった。プラザホテルは徒歩で10分足らずの距離にある。シャモアの入口で、店員へ待ち合わせを告げると淑子のところまで案内してくれた。個室を予約したらしい、店員がノックしてドアを開けてくれた。
「ありがとう、来てくれてありがとう美樹さん」
「いいえ、どういたしまして、改めて、今回は失礼いたしました」
「いいえ、もういいのよ、そのことは」
私は、それはそうだろう、もう触れて欲しくはないだろうと思った。
「ランチコースにしたわよ」といって今日のおすすめのコースメニューを指さした。
「はい、お任せします」
「ノンアルコールビールで乾杯しませんか?部長?」
「え?、乾杯?」
「すみません、ノンアルのビールを二つお願いします」
傍らにいた店員へオーダーした。
「休み中は、久々に母とゆっくり話をしたり、お料理したりと有意義な時間を過ごしました」
「あら、そうなの?」
「はい、OSOBANIで勤務してからは、一緒にお料理なんてやってなかったですから」
「そうね、ずっと仕事一筋だったものね」
そこへ、店員がビールグラスを運んできた。
「では、先ずは、新商品ご成功おめでとうございます。そして、ご結婚おめでとうございます、乾杯」
「あ、ありがとう美樹さん、あなたにそう言ってもらえるなんて・・・・・」
と言ってグラスを合わせた。料理もちょうど運ばれてきたので、新商品の件は、淑子はどんな言い訳をするのかとても聞きたかったが、淑子が言うまで、触れないようにしておいた。
運ばれた料理を食べながら
「シンガポールは、どんな食べ物がおいしいんですか?」と美樹は聞いた。
「そうね、チキンライスやパクテーなんかも良く聞くけど、ラクサと言うのが、おいしいのよ」
ラクサとは、ココナッツミルクにシーフード系の出汁と辛みのスパイスがミックスされた、甘くてスパイシーな独特の風味のスープに米粉の麺が入ったものだそうだ。
日本人の口にほとんど合うみたいで、食事で困ることは無いそうだ。
「事務所と兼用のお住まいだそうで?」
「中心地より、すこし離れた、日本大使館前のナッシム通りにある一軒家を購入したわ。都内の23区とほぼ同じ面積の都市国家だから、事務所を単体で借りるのが、いろいろ制約があって、大変だったみたい」
「プロポーズは、どちらから?」と美樹は笑いながら聞いた。
「え?、そんな言葉はお互いなかったなぁ」
「お付き合いしていたなんて、全くわからなかったです。おそらく気が付いていなかったのは私だけでしょうけど」
「美樹さんへ隠していたわけではないのよ、ごめんなさいね」
いいや、隠していただろう、あえて吉影の事は触れないようにしていただろう。
「吉影も、美樹さんのこと褒めていたわよ」
ほほう、そう来ましたか、吉影をシンガポールへ渡航させておいて、作戦ばっちりだったその口で、まぁ続きを聞こう。
「今回のドアチャイムスマホケースのデザイン例えば、スピーカーを省いて、ケースから発音させる仕組みやバッテリーもソーラーパネルを使用したことなどセンスが良いって」
「なんだ、結構連絡取り合っていたんじゃないですか、そうであれば、伝わっていなかったのはおかしいんじゃないですか、私の試作品の事は」
淑子は、しまったと言う顔をした。
「最初のころよ、まだ図面上のときの話よ」
明らかに慌てている。新商品は開発中、漏洩を防ぐために、社員にさえ非公開で進められる。図面や仕様書などはファイルで送信しているからその図面を淑子は見ることはできない、知ってるということは、私の社内プレゼンの前にすでに吉影から見せてもらったことになる。
「まぁ、もうどうでもいいですけどね」
淑子はフォークを持ったまま固まっている。
「OSOBANIへ誘ってくれたのも、部長でしたから、それはとても感謝しています。でも、吉影さんを私から遠ざけるように、独立させたり、私のプレゼンを邪魔したり、理解できません」
「私は吉影さんへ恋愛感情も抱いてなかったし、同期の部長へは良きライバルとして、仕事をしているつもりでした」
「でも、今回のように、あからさまな扱いはとても、我慢できません、社内の私への視線などはもう慣れましたが、部長の事は到底許すことはできません」
「そうよね、許すことなんてできないわよね・・・・・」
沈黙が続く。
「それでね、美樹さん、私はここのオフィスからシンガポール支店長として移動するの、だから後任の部長を美樹さんへお願いしようと思っていたの、それをお話ししようと・・・・・」
謝罪の言葉はないんだな、その代わりに、お情け部長の席を譲るって・・・・・・・
抑えていた感情が爆発した。
「ふざけないで!」
と言葉と同時に、私は淑子へ乾杯の後の手つかずのままのビールを浴びせていた。
「あんたね、自分の言ってる事、やった事解ってんの?部下には何しても良いって思っていたら大間違いよ、そんなお情け部長の席なんてまっぴらですお断りします、第一自分の実力で獲得したものでもないし」
立ち上がって、ビールでびしょ濡れの淑子の鼻先へ、再出社した日から、ずっとスーツの内ポケットに入れていた退職願を突き付けた。
「・・・美樹さん・・・・これは受け取れないわ」
「いいえ、あなたが嫌でも置いていきます。そして、貴方が辞めさせたことを、後悔して生きていってください。ランチ代、置いていきます」
私はそう言って、ふり返らず個室を出た。
もっと、いい辞め方もあったかもしれなかったが、さっぱりした感も否めなかった。
ホテルから出ると、午後の日差しがますます強くなっていた。

《続く》


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